東京木材問屋協同組合


文苑 随想

日本人 教養 講座 「日本刀」…Japanese Sword…

「♪一家に一本 日本刀♪」
其の5

愛三・名 倉 敬 世

 モシ〃〃,イマアル日本刀ノナカデ,ドレガ,ベリーベリーグッド,デスカ ?,と変な外人に聞かれましたら,以下の如くにお答えを願います。
 この質問は外人に限らずヤマトンチュー(日本人)にも時々聞かれます,この場合は質問者の関心が何辺に有るかにより答えがかなり変化を致します,例えば次の様にです。
 イ.製作年代が古く,伝来,伝承,を有し「歴史的価値」の有る物がベターである。
 ロ.出来が優れ他の及ばざる物,現存の200万本の中でトップの質実剛健なる物。
これらの条件によってもベターでありグッドの中身が大いに変化を致す訳であります。
 一般的に刀剣の評価は打ち上がった時を100点とし,それから欠点を差引く減点法が普通なのですが,ぶぅ〜ちぁけた話,生まれてこのかた刀には一度も接点が無いという善男善女100人にお集りを頂き10本の刀を見せ,この中で一番ベターと感じられる
刀を1本選んで下さい,というアンケートをしますと,その結果は業界のプロの評価と先ず間違い無くドン・ピタリと一致いたします,摩訶不思議な話ですが実際この通りで,「ド素人,侮り難し」ですが,芸術品の本性という事は多分この様な事なのでしょう。
 それでは独断と偏見で現存の「日本刀」のベスト・スリーを選んで見ましょう。
併し,現実には(1)(2)(3)の格付けは甲乙つけ難く「同点ダ!」とも云われております。

(1) 名物「大包平」(オオ・カネヒラ)。国宝。
 備前国包平作。刃長二尺九寸四分(89.2cm)反り九分(2.7cm)。平安時代。東博。
作風は小板目肌が詰み地沸がつき地景がこまかく入り乱れ映りの立った鍛えに丁字を交え足・葉の入った小沸出来の刃文を焼き,表裏に棒樋を掻き流している。中心は生ぶ,目釘穴2個,中心尻近くに大きな切り欠ぎがある。
 包平は古備前(岡山県)の刀工。高平,助平,と共に“古備前三平”と呼ばれる名工。
時代は永延(987)頃が定説になっているが,この刀の完成度からしてもう少し若いか,藤原保昌(平安期の歌人,武士としても名高い)の懐太刀。後鳥羽上皇の,釜歯,蒲穂,
鉈切。平重衡の稗穂。源頼朝の靭丸,簾丸,箱王丸,小手丸。等の作者とも云われるが,
その中でもこの太刀は健全無比の大傑作で現在では日本刀中屈指の代表作の一口であり,日本一の名刀とさえ云われている。
 大包平の号は単に大きいと云う意味だけでは無く,その偉大さも含めた敬称であろう,備前岡山の藩主・池田輝政の「一国に替え難い」と云わしめた愛刀。亨保名物帳,所載。
 ※上野の東京国立博物館の刀剣コーナー…本館の裏側…にたまに展示してあります。

(2) 「真恒」(サネツネ) 国宝。
 刀長二尺九寸五分(89.4cm)反り一寸三分(3.9cm)。備前。平安時代。久能山東照宮蔵。古来,久能山のサネツネといわれ,前述の大包平と双璧というべき堂々たる雄刀である。古備前の正恒(マサツネ)の流れを汲む刀工であるが,現存する作品等は比較的少ない。
 作風は腰反りが高く踏ん張りがあり,鎬造りで猪首切先となり,小板目のよく詰んだ鍛えに地沸がこまかく付き,小乱れに足,葉が入り物打ちより上互の目ごころに乱れて小沸の付く刃文の作風となる。時代,長大,健全,傑作と云う点でパーフェクトである。

(2)−1 「梨地桐紋蒔絵糸巻太刀」(武家太刀拵)総長三尺九寸八分。桃山時代。
 元和三年(1617)二代将軍・秀忠が久能山東照宮の正還宮に際し奉献した真恒の拵え。総金具は赤銅魚子地金桐紋散し,鞘は桐紋蒔絵の糸巻太刀である,桐紋の形,鞘の薄い肉取りに桃山時代の特色がみられ,武家の「糸巻太刀」の基準の作例となるものである。当時の金工,漆工の技術の良さに加えて資料的価値が高い。

(3) 「安綱」(名物・童子切どうじぎりやすつな)。国宝。
 刀長二尺六寸五分(80.0cm)反り九分(2.7cm)。伯耆(鳥取県)。平安時代。東博藏。
室町時代以来の名物,その昔,源頼光が大江山に住む酒顛童子を退治した太刀と伝える。地鉄は板目肌流れ地沸え良くつき映りも鮮明,刃紋は互の目と丁字乱れ交じり沸え出来。
阻元は焼き落として鋩子は乱込み佩表は尖り裏は焼き詰める。中心は生ぶ,鑪目は切り。
 伝来は室町幕府評定衆の摂津家に古くから伝来していたが,摂津与一の時に手を放れ足利十三代将軍義輝(永碌八年・1565・松永久秀他三好三人衆と幕府内にて激闘し落命),信長,秀吉,家康,秀忠と渡り,三女勝姫が越前宰相忠直に嫁した際に持参し,その後色々とあったが結局は作州津山松平家に伝わり,終戦後に同家を出て国の買上げとなる。
 糸巻太刀拵えが付いているが,その金具の紋が五七桐になっているのは,この太刀が松平家に入る前(慶長18年・1611・)の製作のためである,刀箱は二重で内外とも表に「童子切」と金粉で書かれている,内箱は葵紋散らしであるが,これは松平家に入ってからの製作だからである。 「亨保名物帳」所載。
 因に今日の史学会の学説では源頼光が大江山の鬼を切ったり,山賊を退治した史実はございませんので,童子切の物語は完全なフイクションでござる。となつております。原典は最古の「酒顛童子絵巻」といわれる,南北朝期に香取神宮の大宮司家に伝来した,
中国の「説邪白猿伝」という京劇の台本で,主役の欧陽糺を源頼光に書替えたものです。

(1)   太刀 銘 備前国包平作(名物 大包平)
(2)   太刀 銘 真恒
(2)−1  梨地桐紋蒔絵糸巻太刀(国宝銘真恒の拵)
(3)   太刀 銘 安綱(名物 童子切)

※4月6日の12チャンネルの「何でも鑑定団」に,「包平作」に剣が出てまいりました。
造込み(スタイル)も地肌(鉄)も良く,ホレボレする様な顔をしていました,伝来も立派で折紙(鑑定書)や識者の鞘書も有って完璧でしたので,ナンボ付けるかいな,と見ておりましたら,銀座の「刀剣・柴田」の柴田光男会長が,1500万と付けました。
 持主は若い方で相続物でしたが,親父さんが○○県の文化財の審査員をしていた時に或る刀屋で見て,非売品だと云うのを何回も足を運んでようやく入手したとの事でした。故人は「国宝」に成る,と言っていた様ですが,確かに申請の時期と申請者によっては国宝はともかく重美か重文の指定でもおかしくない位の物に見えました,そうなれば
0が一つ余計に付いた価格になったかもしれません,これが剣で無く短刀でしたら先ず間違い無くそう成っていたでしょう,不思議な事に昔から,剣,槍,薙刀,脇差し,は太刀,刀,短刀,に比べかなり安いのが実態です,併しあのシブチンの柴田のオヤジが良く1500も付けたものです,むしろこちらの方に感心を致します,この価格は今迄
「鑑定団」で出た刀剣の内ではトップでしょう,余程物が良かったのに違いありません。
〜「鑑定団」のアレコレについては後程じっくり,アレコレ申し上げましょう〜。




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