東京木材問屋協同組合


文苑 随想


「歴史探訪」PartU−(7)

江戸川木材工業株式会社
顧問 清水 太郎

 正月、元旦に、東海道ネットワークの会の大先輩 浜文さん、こと浜野文夫様から「日本一分厚い年賀状」と称して、第10巻「味の旅」が届きました。毎回洒脱な文章と素晴しい挿し絵で、旅をしながら、土地の旨いものを尋ね、多くの人と交流し、昭和45年横浜市で歯科医を開業しながら、体験を語ってくださり、我々に人生はかく楽しむもの、と多くの示唆が全ページに満ちており、これぞ人生の達人と云えましょう。
 今年の正月は、恒例の大学駅伝を見て、選手達の熱い襷リレーと共に、かつて歩いた街道の冬景色を懐しく見せて頂きました。1月15日は伝統ある世田谷ボロ市に出掛け雑踏にもまれながら冬を満喫致しました。大相撲初場所では、20年近く待っていた日本人横綱が誕生致しました。知人から千秋楽の枡席にご招待頂き、昇進を決定付けた大一番を見ることが出来ました。
 東京では、「都民ファースト」と銘打って小池都知事が登場し、豊洲移転の行方や、東京五輪の動向も気になります。米国ではアメリカファーストと銘打ってトランプ氏が登場、世界中が揺さぶられています。私も昨年まで、有明の街づくりに少し関わっておりましたので、豊洲市場の行方も他人事と思えず、今後とも微力ながら自分なりに勉強し、発信できるよう努めたいと念じております。
 今回は「月刊 わたしの世田谷2月号」、せたがやの風景をヒントに、玉電(玉川電車)について歴史探訪します。

 玉電が開通したのは明治40年でありました。昭和7年当時は、渋谷区、目黒区、世田谷区、川崎市に玉川線、溝ノ口線、砧線、天現寺線、中目黒線と5路線、39駅を擁しておりました。発足当初は多摩川で採れる砂利を都心に運ぶ役目を担っており、ジャリ電と呼ばれておりました。時代の変遷と共に地下鉄に取って代わられ、世田谷線、三軒茶屋〜下高井戸12駅まで縮少されました。玉電当時、池尻と大橋が合体して池尻大橋となり、玉川駅と二子駅が合体して二子玉川駅となり、通称ニコタマとして親しまれております。

 私は鉄道の路線図を見るのが好きで、街の様子や時代の変遷が感じられて非常に楽しい時間です。都内に網の目のように張り巡らされていた都電は地下鉄に取って代わられ、私が中学生のとき銀座線のみであった地下鉄に丸の内線が開通、その後日比谷線、東西線、千代田線、有楽町線、半蔵門線、南北線、副都心線と東京メトロ9線に加えて都営地下鉄浅草線、新宿線、三田線、大江戸線の4線が開通しました。私の好きな鉄道は、都電の荒川線(早稲田〜三ノ輪橋)、玉川世田谷線の他に、江ノ電(鎌倉〜藤沢)、湘南モノレール(大船〜湘南江ノ島)、箱根登山鉄道(箱根湯本〜強羅)の他に旅をして知ったJR御殿場線(国府津〜沼津)、SLが走っている大井川鉄道(金谷〜井川)、JR小海線(小渕沢〜小諸)、岳南鉄道(吉原〜岳南江尾)等です。まだ知らない鉄道が沢山あることでしょうが、これからも健康に留意して出合い度いものです。

出典:「月刊 わたしの世田谷2月号」


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