東京木材問屋協同組合


文苑 随想


「歴史探訪」PartU−(8)

江戸川木材工業株式会社
顧問 清水 太郎

 先日(2月7日)、大学同窓の江東区の仲間による新年会があり、目玉のイベントでは、柳亭燕路さんと、こみちさん師弟による高座を楽しみました。こみちさんは最近真打に昇格したばかりの女性噺家で歯切れの良い江戸弁を披露してくれました。

 会場に向う途中、少し時間がありましたので、駅ビルの本屋に寄り、岡田喜秋著『山村を歩く』の購読を始めました。著者岡田氏とは始めての出会いです。大正15年生れで、学卒後JTBに入社。雑誌『旅』の編集長を務め、日本各地を取材し、数多くの紀行文を発表。退職後は大学教授として観光学の構築に努め、著書は50冊を超えるこの道の大家であります。第一部山村の組曲No.7「花と石畳と一里塚」は、中山道の細久手宿から大湫宿までを歩いた体験による記述でありました。

 冒頭で「中山道というと、人々は木曽の馬籠や妻籠あたりを語りすぎる。申し合わせたように、まるで旧街道の郷愁は、ここにしかないかのように、人々は訪れる。」とあります。中山道の目玉は木曽11宿である、と信じて疑わない私にとって、目から鱗が落ちる瞬間でありました。続いて「木曽路の部分だけが妙に話題になるのは、そこに鉄道が走り、訪れるのに便利だからである。」ここまで読んで、20年前の中山道中を回想し、以来、気懸りになっていたことを思い出しました。東京の自宅から新幹線で名古屋から中央線と乗り継いで前回の最終地点の落合宿から中津川、大井、大湫、細久手、御嶽と途中一泊して5宿12里(46.9km)を踏破するのは多少の無理があったようです。

 木曽路を過ぎますと、中山道は美濃の国に入ります。最後の馬籠宿は、長野県に在りましたが、最近の町村合併により岐阜県に併合されました。従って、馬籠宿で要職を務めていた家で生まれた島崎藤村は岐阜県出身ということになります。
 気懸りな事とは、大井宿で遅い昼食を摂った私は、大湫宿に向う途中、この先の十三峠を越えると、予約していた中央線釜戸駅近くの水月館に明かるいうちに辿り着けないと判断し、槇ヶ根一里塚の先、(大神宮右西京大坂、左伊勢名古屋道)と記した大きな石の道標の地点で中山道を離脱して坂を下り3km先にあるJR瑞浪駅から1時間に1本の中央線に乗り1駅先の釜戸駅で降り、近くの鄙びた温泉峡に辿り着くことが出来ました。翌日、早朝タクシーを呼んでもらい中山道に合流し、東へ歩き、昨日の最終地点に向かいました。大湫宿の東端、高札場の地点で、急に雨が降り始めました。民家の軒先を借りて雨宿りをしておりましたが、今日は恐らく難儀するであろうと予測し、やむなく西へ向かいました。大湫宿は静かな町並で、昔は賑わっていたでしょうが、今は時代に取り残されたようです。

 神明神社の大杉は樹齢1200年以上もあり、江戸時代に大田蜀山人が通ったときも、立派な姿を愛で、記録に残しております。
 前述した如く、約2里の行程は歩き残したまま、現在に到っております。
 著者の岡田喜秋氏は、瑞浪駅から車を拾って細久手宿で降り、私が歩いた方角と反対方向、東へ歩き、大湫宿を隈無く探索して車を呼び名古屋まで行ったようです。

 私は、石畳道を歩いて琵琶峠に登りましたがその日は悪天候の為、岡田氏が愛でた伊吹山も恵那山も見ることは叶いませんでした。蜀山人が道中記で「左の方に小さき池あり、カキツバタ生い茂れり、池中に弁財天あり」と記した池で憩んでおりますと東から歩いてくる旅人に出会いました。挨拶すると、すぐ親しくなり、その日は終日同行して頂きました。数日後、私がこれから歩く中山道全宿場の案内書と道程を赤線で示した2万5千分の1の地形図を送ってもらいました。細久手宿で丁度お昼になり、私は小さな店でカップ麺を買ってお湯を入れてもらい、旅人氏はリュックからコッフェルを出してお湯を沸し味噌汁を作り始めました。岡田氏も愛でたもと脇本陣の大黒屋は不覚にも見落しておりました。その後、沿道にある旅人氏の友人宅の軒先で憩ませてもらい、和泉式部の墓などを案内して頂き、名古屋鉄道の御嵩駅から電車に乗り、途中で、「また御縁があったらお会いしましょう。」とさり気なく仰って降りて行きました。

 岡田氏の記述は細久手−大湫間であり、以前購入した、静岡の元郵便局長大畑氏が夫人と歩いた、中山道のスケッチ画集を繙きましたが手掛りは得られず、私が歩き残した空白の2里についてはなんとか体力があるうちに行って見たいと、念じております。
 東海道には東海道線が走り、1964東京オリンピック開催に合わせて新幹線が開通、日本の人口の6割が住む、東海道メガロポリスと云われるようになりました。
 一方、中山道は中央本線が開通したものの、新幹線は、東北、山陽、九州、北海道、上越、北陸の諸線にも遅れをとり、訪れる人も少なく、取り残された感がありました。
 岡田喜秋著『山村を歩く』を繙きますと、平家落人の里、伝説に生きる桃源郷、秘められた温泉峡等、読む程に、行って見たい気持が沸沸と湧いて参ります。
 ところが、取り残されていた中央本線にもリニア新幹線が着工され、大阪まで60分で行けると聞き、希望の光が射して参りました。
 今、日本の首都、東京は、世界の都市と競っております。@ロンドンAニューヨークBパリに続いて4位にランクされておりましたが、パリがテロに襲われ、No.3に昇格しました。5位のシンガポールにも追い上げられておりましたが、リニア開通により人口の60%が住むエリアから60分以内に東京に到達出来るようになるようであります。私達高齢者にとっては、そこまでしなくても・・・とも思いますが、日本の発展を考えますと、これは致し方のないことでもあります。開通まで元気で、との思いも籠めて、「リニアに乗ろう」が、我々高齢者の間で合い言葉にもなっております。
 2月18日は長野に住んでいる長男の45歳の誕生日です。息子に会いに行きがてら、八ヶ岳の中腹、標高1,000mにあるホテルに泊り、温泉に浸かり、雪を頂いたアルプスの山々、明け方、刻々と表情を変える富士のシルエットを拝みました。深夜に屋上にある天文台で寒空に震えながら、冬の星座、オリオン、シリウス、北斗七星等を眺めておりますと、地上の出来事などはほんの小さなことのように思えます。最近、NASA(米航空宇宙局)が優れた望遠鏡を駆使して、40光年の彼方に輝く恒星と7個の惑星を発見し、うち2個は生物棲息の可能性を突き止めました。
 今、横暴を極めているトランプさんも、「地球ファースト」とでも銘打って、「太陽の寿命が尽きるまでに、地上の全人類を安全に移住させるプロジェクトを立ち上げる」とでもぶち上げれば、人類史上最も優れた神として崇められることでありましょう。
 3月7日は、「組合月報」第800号記念懇親会にお招き頂き有難うございます。当日を楽しみにしております。

「ぶらり中山道旅日記」より
絵 萱原惟正


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