昔日閑話(第30話)
木場好人
深川木場(18)
(角乘りの画)
先月号末尾に御紹介した故浅野耕四郎氏の画いた“角乘り”『木場妙技』「唐傘乘り」を思い出すまゝ。
画の左奥に「拍子木」を首から下げて両手で持って居る人物は「角乘りの口上役」の頭分に相当する川並の組頭か,或いは顔役の人物。この画の「モデル」は“大金さん”と云って芦沢組の副組頭,名は“金太郎”だが,体が大きくて,若い時から“大金”と呼ばれて居た人物。勿論,角乘りも卆業した人物。当時,川並連中の堀の中での会話は「簡明」と云うか,言葉を詰めた単語が多かった。「洒落」と云うか「駄洒落」と云うか,短い熟語で仲間同志にしか解らない言葉もあった。
『オーイ!! 焼場,その丸太を突いてくれ』と云うと,仕事をして居る一人が,“オーッ,これか!! 行くぞ”てな会話。焼場とは人物の略称。昔,今の南砂町に東京市の「火葬場」があった,その近所から木場に通って居る「留さん」と云う川並の事を仲間では通称“焼場”と呼んで居た。外にも,今の組合の道路(葛西橋通り)の向う側にある“ゑんま堂”のお寺の裏の長屋から通って来る川並を呼ぶのに“オーイ,ゑんま”と呼ぶと,「何んだ」と答える川並同志の呼び名も有った。川並に限らず,一般でもその人の住んで居る町名を以て代名詞にして居る会話も多かった。何か集いがあった時,後から来た人物の事を,「そこへ,永代橋が来て」と永代橋のそばに住んで居る人物を“永代”と呼んだり,“佐賀町が来て,話が弾んでそうなったんだ”などと会話の中に地名が良く這入ったが,川並連中の様な“駄洒落”は特別だった。
話が外れたが,この口上役の大金さんが,「柝」を打って,
“東西東西,次に御覧に入れますのは!! 雨の降る日は天気が悪い,
高下駄に唐傘,そのまんまの角乘りと御座い,足許を特に御覧下さーい”
カチカチカチと柝を打つ,途端に“お囃子“の笛,太鼓が賑かに這入る。高下駄を履いたまゝ,片手に“唐傘”を持って角乘りの角に乘る。約30糎位の角だ。浅野氏の描いた人物の腰から足許の“粋”な事,正に腰,膝,足許の高下駄の鼻緒,2枚歯の描写。正に名画だ。浅草区壽町の材木屋に生れ,“三社様”の氏子で,大のお祭り好き。そして学校卆と共に深川,木場の原木屋へ望んで,修業奉公に来た浅野氏。浅草と深川の粋を身に付けての表現,半纒の長目と云い,平絎の結び目,左手の曲げ具合,と正に絶品,角乘りをやった者でないと気の付かぬ表現力。加えて“添え書きの字も誠に上手だ。墨書きと,白抜きの“唐乘り”の文字,角乘りの水音が聞えて来る様だ。
角乘りの練習だが,夕方仕事の具合で早目に仕事が極り付いた時,頭が“一寸やるか!!”と云えば,待ってましたと云わん許りにすぐ以心伝心,丸太の下へ潜らして居いた角を鉤の先で三,四人で掛け声を掛けて水面に出して,ブラシをかけて,水垢を取り,一寸鉤の先で表面を削り辷りを止めて,“素乘り”から始める。“素乘り”とは長鉤で平衡を保ち,一人で角に乘り廻転させる,水面を切るリズムが均一になる様に,波の立ち方ですぐ解る。角乘りの基本である。当時の股引き足袋は何れも足袋屋で各人の寸法を控えた明細に依り仕立てた。今の洋服のオーダーメイドと一緒であって,そのまんまで乘って水中に落ちると後で脱ぐのが大変。水に締められて裏付きの股引きはピッタリと縮まって簡単に脱げない。一人では駄目で手伝って貰わないと脱げない。練習中,未だ自信の無いのは股引を脱いで,パンツに半纒,平絎で締めて乘る。原木屋の縞の半纒は長目で“股”とパンツは隠れる。落ちれば,落ちる程上手になる。川並の頭は見て居て『按摩の目は膝だ!!』と云う。「按摩の目」とは「駄目」な事を云う。当時,按摩は夕方から夜に掛けて,杖を突いて,笛を吹き,廻って来たもので目が悪かった。そこで『駄目は按摩の目』とこれも駄洒落の一つだ。又は『二階から目薬だ』なんて云ったものだった。時代がノンビリして居て今では想像も出来ない。
又お気付きでしょうが,高下駄乘りの時,角を廻転するのは,爪先と前歯の90度の凹みで角の尖端(角)に乘って廻す。片足を早く抜かないと,水圧で足の運びが重く,又脱き易くなるので,特に足許に注意を要する,口上役の
「大波,小波の 打ち合わせー!!」
の台詞で,大喝采と云う理である。
何れ又「三宝乘り」「戻り駕籠」など御紹介します。
暑くなると水遊びに興味が湧くが,新潟,福井の様に川の増水は木場でも昔,台風で水が出て「三ツ目通り」を丸太に乘って横断した事もあったが,大水はお断り。
(新潟,福井の出水を思う)
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