東京木材問屋協同組合


文苑 随想

「川並」考

第三章 川並の作業(2)

元(株)カクマル役員
酒井利勝



7月号で,作業〔T〕の内 1.輸送について記したが今月号では,2.検量,3.格付,4.保管について記す。

2.検量
 川並仲間では,検寸,寸検,検尺といい,これに当る者を寸検人,検尺人と称した。
 検量は,川並の作業の中で回漕と並ぶ,或いはそれ以上に重要な仕事であった。すべての川並が検量に当るのではなく,組の中,最も有能な者が「指を持つ」のである。当然「世話焼き」と称せられる親方に次ぐ1人か或いは2人がこれに当る。大きな組では4〜5人がおり,小さい組では親方以外は1人ということもある。親方は寸検に於ても最高の権威者だが,年を取ってくれば組内の有能者に任せるのである。
a.検量の種類
 丸太の検量というのは,全国的規範などはあるべくもなく,産地,消費地それぞれに習慣があって@先ず地域に依って差がある。A次に丸太自体に依って検量方法が異ることがある。B長,径とも表示単位が異なる。例えば,杉丸太の小径木の場合5分建てか,寸建てか(5寸とするのか,5寸5分とするか),長さに於ても尺止めにするか,5寸まで認めるか,メートル法移行後なら径は1cm建てか,2cm建てかということもある。C計器(物指)を当てる場所も幾通りかある。たとえば最短径をとるか,最短径と最長径の平均をとるのか,或いは最短径と,これに直交する径の平均をとるのか。D計器もいろいろあって(後述)引っ掛け指し,箱指し,挟み指し,等により微妙に径が異なって来る。
 何しろ天然物であって,工業規格品ではないから同じ一本の丸太の木口であっても形状はいろいろで,まんまるな形の丸太などは少ないから,それこそ物指しの当て方ひとつで丸太の径も左右されてくる。
 前述のように地域差はあるが,内地材の場合は概ね末口9寸以下の丸太は最短径を採り,尺以上のものは平均径を採ったものであった。

 太さによって丸太の価格が違ってくるのは当然である。北洋材の場合は平均の斗廻り(丸太一本平均の材積のこと。6斗廻りといえば一本当り0.6石。敷香6斗,といえば敷香産の6斗廻りの丸太のこと,標準相場とされた。)で相場が決ったが,杉丸太の場合は,5寸下(小丸太と称された)と6寸上(中目,又は中丸太と称された)そして尺上の丸太は段階毎に値段が違った。従って,例えば杉丸太の場合でいえば1本の丸太が9寸になるか,尺とされるかでは大きな差が生じる。
材積 9寸の場合 0.9尺×0.9尺×12.5尺=1.01石
   尺の場合 1.0×1.0×12.5尺=1.25石
価格 1.01石×¥2,000=¥2,020
   1.25×¥2,300=¥2,875
 上記のように材積で約24%,価額では約42%もの差となってしまうのである。
 第三者的な検量機関などは,そもそも初めから存在しない。従って丸太の検量ということは,大きく検尺人の技量に左右され易いのである。

b.歩切れと立会い
 木材業界独特の用語である。丸太の取引の場合,売手の送り状(丸太の明細書)に基いて,買手がこれを再寸検する。売手,買手共専属の川並―検尺人―を持っているのである。再寸検で納得のいかない丸太の径があれば「歩切れ」と称して売手,買手の両方の寸検人が,問題の丸太について「立会い」するということになって御互いに検寸の正当性を争う。
 いつの場合でも売手の送り状が100%誤りがないということは殆どないから,この「歩切れ」「立会い」は丸太の取引に当っては極めて日常的なことであった。

 然し双方の寸検人の面子もあって簡単に相手の主張をのむ訳にはいかない。「スジ喰イ」というのがある。尺になるか,九寸になってしまうか,ボーダーラインの丸太は,物指しの表示の線ギリギリということがある。― それに近い丸太が問題になるのである。― ラインの上か下かは,いかに丸太の最短径を見つけるか,又見つけた場合その物指をどのような角度で木口に当てるか,物指の先端についている小さな鉄の爪(引っ掛け指の場合)をどのように丸太の木口に掛けるかによって「スジ」はどうのようにも,微妙に動く。「スジ喰イ」と称する所以である。こうなったら簡単に話し合いはつかない。問題の丸太を中に両者が半日睨めっこをしていたなどということも万更珍らしくはなかったのである。
 杉の中目以下の丸太であれば,大したことはなくとも,木曽桧,秋田杉というような高価な材になれば,「スジ喰イ」も馬鹿には出きないのであった。

 それぞれの検尺人は,それぞれの「組」に属し,「組」は「お店」を背負っている。丸太の取引に「立会」は付きものである。両者の納得が得られなければ喧嘩状態の睨み合いになることが屡々起るのは前述の通りである。然し仕事を離れれば検尺人達は気心の分った仲間である。立会はその都度ある訳だから,蓋し,借りということが起るのも自然の成り行き,送り状を鵜呑みにして歩切れが一本もないというのは「お店」に対して格好が悪いし,果して「再検知」したか否かも第三者には分らない。だから多少の歩切れは出さない訳にはゆかない。かといって余り多くの歩切れが出たのでは売手側の検尺人の面子にかかわる。
 ナアナアの状況が起こる所以である。

c.北洋材の一本通し
 木材業界でなければ,そして北洋材丸太の本船売買という特殊な取引でなければ絶対に起らぬであろう特異な丸太の検知がある。独特の,極めて興味深い検量方法について頁を割かせて頂く。

  北洋材の満船取引とは
 南樺太或いは北海道の北洋材(エゾ松,トド松,時に落葉松の丸太)は沿岸から本船積されて本州の各港へ送られた。大正11(1922)年頃から昭和13(1938)年頃迄がその盛期で最盛期の1931〜32年頃は,樺太材だけに限っても東京港への入荷は130万石(現在時点の量では約48〜50万m3位)に及んだ。その他に北海道からの移入材もあったのである。本船の大きさにも依るが一船の積高は概ね4千〜6千石位,産地の荷主から本州各港の原木問屋に販売された。
  北洋材の検量
 無論産地では1本毎に寸検され合計された積高(本数と体積)が送り状となる。受荷主は荷卸後一本毎に検量する。荷受問屋専属の川並の検尺人が検量に当るのである。丸太には何の表示もなく,全量の検量が終った時点で数量が確定する訳である。売手と買手の検量結果が一致するか,若しくは微差であれば問題はないが,両者が納得できぬ程の差が生じた時には立会検知ということにならざるを得ない。一船の丸太の本数は8千本乃至1万本,これを出きるだけ短時日に立会検知を行うということで,北洋材独特の立会検知法が産み出された。第一には「一本通し」と呼ばれる立会検量方法である。売手,買手の寸検人が立つ足場板の前を一本ずつ丸太を通過させ,買手側の寸検人が一本毎に通過する丸太の径を呼んでゆく。「八百ヤ」(7寸,…八百屋お七…),「九ベエ」(9寸),という具合である。売手側の寸検人は異議があれば「待った」を掛ける。そこで初めてその丸太に物指が当てられる。丸太はかなりの早さで水面を流される。「待った」を掛けて呼び声通りの径が続くのは格好が悪いから屡々「待った」を掛ける訳にはゆかない。それは両者の寸検人の真剣勝負なのである。両者の野帳付けがいて玉(ぎょく)を取り,随時数合せをする。
 屡々数合せしないと野帳をつけている者がそれぞれ有利なように,意識して数を誤記するのである。
 秘術を尽くした両者の「かけ引き」がある。寸検人の買収,饗応も全くない訳ではない。
 そして,全量の三分の一乃至二分の一の立会検知で全量の予想が可能な数字が出てくる。
 そこで「手打ち」ということになる。
 北洋材のように均一,大量の丸太取引にのみ存在する検量,商習慣である。
 これは,一瞬の眼識で丸太の末口径を判定する寸検人の名人芸と,当時の検量単位が「寸建て」であって,五分建てでもなければ糎建てでもなかったことが,この特異な「立会検知」を可能ならしめた。権威とスリルに充ちた特異な検量ではあった。

3.格付
 格付は商品としての丸太を明示する為には,勿論重要な要素だが,アメリカ西海岸のように昔から独立した格付機関はなく,第三者的規格(グレイディングルール)もなかった。
 四面無節の丸太(方材),三面無節の丸太(三方材又は三方丸太)隣接する二面が無節の丸太(カネオリ……丸太)という呼称は古来から有り,無論,曲り,芯腐れ,せんこう(枝口からの腐れ),かみなり(落雷による割裂),あて,等の欠点についての呼称はあるが,それらを綜合して格付けする規格というものは存在しなかった。
 丸太或いは当該丸太だけを筏組した筏は,選材,並材。場合によっては一等材,二等材,三等材と区別されたが,それらは川並によって選別,格付された。
 規格集といえば,明治以降太平洋戦争終結迄,「御料材」と称せられた帝室林野局所管の木曽桧,秋田杉等に関する規格(太平洋戦勝終結後は,林野庁所管となり「官材」と呼ばれた)と,戦後米材針葉樹丸太の輸入急増に際して,日本林材青壮年団体提唱,林野庁承認の「外材規格集」があった程度である。
 規格に関しては,川並の権威は検量の場合とは比較にならぬくらい影響度の小さいものであったと言える。

4.保管
 輸送(回漕),検量(検知),と並んで,川並の主要な業務に「保管」作業がある。丸太の保管と同時に倉荷証券を発行して金融業務を行う「東京木材倉庫株式会社」(明治43(1910)年創業,昭和20(1945)年終業,貯木堀は現在の江東区役所から西友−江東区東陽六丁目辺り一帯,一番掘から五番堀までがあった。)という会社はあったが,それは特殊な存在で,一般的には木場内の大小運河の川筋と,数多く存在した私有貯木堀があった。川筋と貯木堀はそれぞれの組毎の川並によって管理され,木材業者は自己の貯木堀でも,川筋でも筏の管理,出し入れは全く川並の手に委ねられていた。特殊な場合は荷主の要求により当該丸太の保管証とか預り証を発行することもあったが,それは極めて特殊な場合だけである。

  桟積(桟取りとも云う)
 或る程度中期的に丸太を保管する必要があり,且つ保管水面が限られている時,丸太は筏のままではなく,桟積みして保管される。
 営林署管轄の秋田杉丸太,木曽桧丸太は,豊住貯木堀,猿江貯木堀で常時桟積保管された。丸太一本の長さを縦,横として交互に隙間なく丸太を並べ,積み上げてゆく。営林署材は四段乃至五段積,水面上の高さは1〜1.5m位の高さとなって水面に浮ぶ。最も一般的な桟積の例は所謂,北洋材(樺太,北海道のエゾ松,トド松丸太)の桟積であった。北洋材は冬場の輸送は困難であったから,工場資材として夏場に輸送された丸太は冬場の資材として中期的に保有する必要があった。営林署の丸太と異なり,大量に桟積みされ,一桟の高さも遥に高かった。川並衆が木遣りを唱いつつ,七人一組で水面から北洋材丸太を長鈎で引き揚げ,積み上げてゆくのである。その作業は一片の風物詩として見えなくもなかった。
 これらの北洋材桟積は広い場所(水面)を必要とし,当時の洲崎堀,藤田堀等が主として使用された。現在の江東区東陽一,二丁目に在った洲崎遊廓南側の広い水面一帯である。二つの堀は太平洋戦争当時から埋立てられて現在の塩浜町2丁目全域となっている。

(次回は,作業〔U〕。1.筏の種類,2.数詞,算え方,記号,3.川並の道具)




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