自由と規律と
榎戸 勇
前月の随想で,「予備学生の生活を体験して,一橋の寮生活での自由と自治が,いかに薄っぺらいものだったかとの反省が生れた。」と述べたが,それは一橋が私を一人前の人格として遇してくれたのに,17才,18才の私にはそれを受けいれる準備が全くなく,東京府立第三商業学校の厳しい教育から解放されて,自由を自由気ままと勘違いしていたことへの反省である。全て,私の行動が薄っぺらい自分勝手な行動であったことへの反省で,一橋の教育が薄っぺらいものだったという意味ではない。哲学の大田可夫教授が寮監として,カント哲学にもとづく個人尊重,自己責任にもとづく自由,自治を寮生に求めていたのに対し,私にはそれを理解する能力が全くなかったことへの反省である。
一橋での自由と自治,予備学生での規律,この2つを融合する言葉は「自律」であろう。自由,自治の自と,規律の律をとってひとつの言葉にすると「自律」になる。つまり自由,自治は自律,自分で自分を律することができてはじめて可能であるが,それは仲々難しいことである。
孔子が70才を過ぎてから,「……,60にして耳順い,70にして心の欲する所に従って矩を踰えず」(論語)という言葉を残しているが,孔子のような方でも,耳順,他人の言うことを素直に聞くことができるようになったのは60才,そして,心のままに振まっても道にはずれることがなくなったのは70才であったと述べている。孔子にして然り,まして我々凡人が自分で自分を律することは非常に難しいことだが,自律のない自由は糸の切れた凧と同じで,どこへ飛んで行ってしまうかわからないのである。
孔子の言葉,論語には良い言葉が沢山あるので,そのいくつかを記してみる。
「君子は和して同ぜず,小人は同して和せず」
君子は違った立場,違った意見の人と交わった場合,調和はするが自分の主体性を失うことはない。小人は自分のしっかりした立場,意見を持っていないので,他人の意見に付和雷同する。
「君子は諸れを己れに求む,小人は諸れを人に求む」
君子は何事においても主体としての自覚をもち,自己責任にもとづき反省する。小人は自分のことを棚にあげて人のせいにする。
「我れ三人行なえば,必ず師を得。その善き者を択びてこれに従い,その善からざる者にして之を改む。」
私は三人で何かひとつのことをする場合,一緒にやる人の良いところをとってそのように行い,良くないところを見て自分はそのようにはしないようにする。
「学びて思わざれば即ち罔し,思いて学ばざれば即ち殆うし。」
いくら学んでも,その内容についてよく考え,自分の心のなかで咀嚼して自分のものとするのでなければ,知らないのと同じことである。逆に,あれこれと思索するだけで,外からの知識を学ばなければ独断におちいり危険である。
「子,四つを絶つ。意なく,必なく,固なく,我なし。」
意,自分勝手な心。必,無理押し。固,かたくなな態度。我,わがままに我を張ること。これらを決してしない。
「礼はその奢らんよりは寧ろ倹せよ。喪はその易めんよりは寧ろ戚め。」
礼,(冠婚。成人式と婚礼)質素にしなさい。喪,(葬祭。葬式と祖先の回忌)形式ばって行うよりも,祖先を偲ぶ心をこめて行え。
「父母の年は知らざるべからず。一は則ち以て喜び,一は則ち以て懼る。」
親の年令は知っていなければいけない。ひとつにはその年まで健康でいることを喜び,ひとつには,しかし年が年なのでいつか亡くなるであろうことを懼れて親に尽くす。
「天を怨みず,人を允めず,下学して上達す。」
人間は万能ではない。思うように事がはこばなくても,天を怨んだり他人のせいにしない。ひたすら努力して,あとは天命,天の摂理にまかせるのだ。
孔子は身分社会,君臣,親子,長幼の序等を強調しているとして,中国では魯迅等により攻撃された。儒教の孝梯倫理が中国2千年の専制政治を家族制度に結びつけて続けさせた源だとして攻撃したのである。
わが国も徳川中期から明治,大正,そして敗戦の時までその嫌いがあったと思う。そして敗戦後は米国式自由主義の氾濫のなかで,孔子は忘れられてしまったようだ。
しかし,最近再び孔子を見直す動きもある。湯島聖堂への参拝者も若干増えているとのことである。
自由と自治,自治は民主主義そのものなので,自由主義,民主主義は人々の自律があって初めて成立するのである。日本の民主主義を確立させるためにも,孔子の教えの良い処を再評価する必要があろう。
(完)
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