日本人 教養 講座 「日本刀」…Japanese
Sword…
「♪一家に一本 日本刀♪」
其の9 鑑定と用語の解説。
愛三・名 倉 敬 世
誌上鑑定刀
この作者は誰でしょう
〔ヒント〕
刀
刃長二尺三寸(六九・六九糎)
反り四分強(一・二五糎)
元幅九分九厘(三・〇糎)
先幅六分九厘(二・一糎)
元重ね二分五厘(〇・七五糎)
先重ね一分七厘弱(〇・五糎)
鋒長さ一寸三分五厘(四・一糎)
茎長さ六寸六分(二〇・〇糎弱)
茎反り僅か
鎬造,庵棟,身幅心持ち広く,元先の幅差さまで開かず,身幅の割に重ね厚く,鎬幅狭く,反り浅くつき,中鋒。地鉄は小板目に僅かに流れ肌を交え,肌立ちごころに地沸つき,地景入る。刃文・帽子図の如く,処々飛焼かかり,足長く入り,匂深く,沸厚くつき,明るく冴え,金筋・砂流しかかる。茎生ぶ,先栗尻,鑢目大筋違に化粧,目釘孔一,指表目釘孔をはさんで棟寄りに長銘,裏はやや上げて同じく年紀がある。(同工の地鉄は,小板目がつんで無地風となったものがよく見受けられる。)
なお,同一名の刀工が他派にもいる場合は,流派か国を,また,代のあるものは代別を必ず明記してください。
1.この「刀」の作者は誰でしょう。
これは今年の正月の「紙上鑑定刀」です。ヒントを参考に刀絵図を見て当てて下さい。これ位の物を当てるのはそう難しくありません,貴方もヤル気があれば一年目には多分ドン・ピシャリと当るハズです。このゲームは毎月1本出題されて,年間で12本です,
これを全問正解しますと,協会より天晴れダ!,と賞状と副賞の袱ふくさを送って来ます。毎月の正解者は900〜1000人位ですが,年に2〜3回は難問が出ますので年間で
300人位に減ります,小生はこれを16年間連続(192回)で全て正解しています。
…昨年(平成15年4月〜16年3月)の全問正解者は317名,内カナダ人が1名…。
本番の鑑定会は,太刀,刀,脇差,短刀,等が5本ほど並び,これを1本を1分間で
当てるのですが,全国大会は流石に出題も捻ってあってチョ〜難しい,小生も4本迄は何とか当るのですが,あと1本で「否いな」となりドジを踏んでおります,よって今年の全国大会は11月ですが〜乞うご期待〜と云うところでござんす。
記
絵姿はともかく「ヒント」が読めぬと話に成りませんので,読みかたを申し上げます。
「鎬造しのぎつくり,庵棟いおりむね,身幅みはば心持ち広く,元先もとさきの幅差はばささまでひらかず,身幅の割に重かさね厚く,鎬幅しのぎはば狭せまく,反り浅くつき,中鋒なかみね。地鉄じかねは小板目こいために僅かに流れ肌を交え,肌はだ立ちごころに地沸ちにえつき,地景ちけい入る,刃文はもん・帽子ぼうし図の如く,処々ところどころ飛焼とびやきかかり,足長く入り,匂におい深く,沸にえ厚くつき,明るく冴え,金筋きんすじ・砂す流しかかる。茎なかご生うぶ,先さき栗尻くりじり。鑢やすり目め大筋違おおすじかいに化粧けしょう,目釘孔めくぎあな一いち,指表さしおもて目釘孔をはさんで棟むね寄りに長銘ちょうめい,裏うらはやや上げて同じく年紀ねんきがある。
(同工の地鉄じかねは,小板目こいためがつんで無地むじ風ふうとなったものがよく見受けられる)。
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始めからこの文章を目にされても,ナンダ,コリャ〜?の世界でしょうから,以下に読み下しで用語の説明をさせて頂きやす。
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鎬造り=刀の作り込みの形状,刀身の刃と棟との間に縦に走り,一段と高くなった所。
身幅の2/3位の所に厚味を持たせ折れ曲がりを防ぐ最も基本的な造り込み。あまり高過ぎると切れ味が悪くなる。互いに鎬を削る激戦…,等の表現にもちいられる。
庵棟(行の棟)=棟は刀の背の部分を指し,刃と反対の側を云う。そこの形状の1つ。
棟は三つ棟(真の棟)丸棟(草の棟)角棟(平棟)と有るが最も多いのが庵棟である。
身幅心持ち広く=棟(頂点)と刃の間(平地)の幅が気持ち広目である。
元先の幅差さまで開かず=手元と切っ先の幅がそれ程には開かないで…。
身幅の割に重ね厚く=幅の割りに厚さがある。
中鋒=切先の形状。切先には,大切先,中切先,小切先,猪首いくび,かます,等が有る。
地鉄=(鍛え)鍛練により色〃な模様が刀身に現われる。これを鍛え肌(地肌)と云う。
材木と同じで板目・杢目・柾目があり,梨子なしじ・鏡肌も有る,刀の大半は板目肌である。
肌立ち=鍛え肌が現れたもの,逆の場合は肌が詰む,と表現をする。
沸=刀身が焼入で鋼化される時に焼刃の中に現れる,肉眼でも見える大粒の輝きの結晶(トールサイト)。大きい場合を荒沸あらにえ,不均衡に現れたものを叢沸むらにえと云う。
地景=沸えが鍛え肌(地肌)の中に現れた場合を云う。
帽子=切先の部分の刃紋の形。小丸,大丸,掃掛はきかけ,焼詰やきづめ,等,15種類位ある。
飛焼=刀身全体に焼が不規則(ランダム)に入った場合の表現方法。
足=刃紋とは別に焼刃の状態を示す用語,他に,葉よう,金筋,稲妻,砂流し,等がある。
匂=前述の沸と同じ組成だが粒子が微細で白く霞んで見える様な状態の事を云う。
金筋=沸が繋がって一本の線状となり,刃中に美しく光って見える場合。
砂流し=金筋がバラケて断線状態で続いている場合。
茎=中心,柄に入る部分。様々な形があり,目釘穴が開けられ銘や製作年月日が記される。
生ぶ=造られたままの姿,その後一切手が加わえられていない場合の事。珍重される。
先栗尻=茎の形状は約10種類程あり,この形は刀の尻尾が栗の型だと云う事。
大筋違=茎に懸けてある鑢やすりが筋違すじかいでその角度の急なもの。
化粧=鑢の掛け方。切きり,銑鋤せんすき,鷹羽たかのは,桧垣ひがき,香包こうつつみ,10種類程ある。
目釘穴=目貫めぬきを通す穴。柄の真中で一番目立つ場所。これが目貫通りの語源である。
指表=外部から見て,太刀は刃が下,刀と脇差は上,これを表,逆を裏と云う。
長銘=刀匠の銘が2字以上の事。長光=二字銘,備前国長船住長光=長銘。
年紀=製造年月日。二月,八月,が多い,焼入の場合の水温との関係だと云われている。
無地風=鏡かがみ肌とも云い,地鉄に何の模様も出ないノッペリした肌。新〃刀に多い。
※以上がチンプンカンプンの中身なのですが,ヒントの中から参考にすべき個所を目で追って,文章を読み終わる時には答えが出ている,と云うのが一般的なのであります。
この場合の参考個所は,造り込みの状態→スタイル,地鉄,刃紋,焼刃,特徴の有無,茎の形,鑢目,カッコ内のヒント。これらを勘案して絵姿を見ると「石堂運寿是一」と自然に出て来る様になっております。後はこの刀工の造った時代を判断する訳でやんす。
石堂藤原運寿是一(七代)せきどうふじわらうんじゅこれかず備前伝の丁子ちょうじ←刃紋,を沸で焼いた,徳川幕府お抱えの刀工で江戸新刀の最後を飾る名工,この刀は中でも大変に出来が良い。文久二年(1862)八月の年期が有るが,時代は幕末の動乱期で尊皇攘夷の明け暮れ,
寺田屋事件が起きている。明治維新まで五年,廃刀令まで八年,八代まで続くが子孫の作った大工道具は加賀の千代鶴と同様に現在かなりの高値を付けている,ハズ。
※次回はリクエスト特集と致し,皆様の興味の一番多い順で参ります,がマダ決まって居りませんので…ご希望を後記まで早めにどうぞ。 FAX
3521−6871。
誌上鑑定刀入札講評
今回の誌上鑑定刀の答は,石堂運寿是一(文久二年紀)の刀でした。
幕末新々刀期は,身幅広く,元先の幅差が殆ど開かず,大鋒に結ぶ豪壮な体配が流行した年代ですが,その中にあって運寿是一は,尋常か尋常やや広めの身幅で,元先の幅差がさまで開かず,鋒は中鋒乃至中鋒延びごころに結ぶ,比較的尋常な姿格好の刀を多く作っています。
また,この身幅で二尺五寸・六寸と長寸の作例も多く,身幅の割に重ねが厚く,鎬幅の狭い造り込みも,よく見受けられるところです。
同工の地鉄には,小板目がよくつんで無地風となったもの,そこへ僅かに大きく流れ肌を交えるもの,小板目肌立ちごころに地景の目立つもの,総体に流れて柾がかったもの等があります。
運寿是一の活躍年代は,およそ天保の後半から明治にかけてであり,弘化・嘉永頃の初期作には,長運斎綱俊によく似た丁子乱れを匂本位に焼いたものが見られます。
しかしその後,焼頭の丸みの大きい,やや互の目がかった丁子を主調に乱れ(ままその刃中に互の目・尖り刃・小湾れ等を交え),足長く入り,匂深く,沸厚くつき,明るく冴え,金筋・砂流しの目立つ,本作のような作風のものが作刀の主流となっていきます。
「備前伝の丁子乱れを沸で焼いた」と評されるこの出来口は,運寿是一の最も得意とするところであり,この手に秀作が多く見られるのはよく知られているところです。
同工の帽子は,本作のような湾れ込み,或いは乱れ込み,或いは直ぐに,いずれも小丸に返るものを多く経眼します。
運寿是一の作刀には,時折棒樋が見受けられる程度で,倶梨迦羅・素剣等の彫物は極めて少ないようです。
そして,茎先が栗尻で(時折入山形もある),鑢目は初期は筋違に化粧,後には大筋違に化粧となり,切銘の位置は必ずしも一定しませんが,棒樋を掻いていない刀の場合は指表棟寄りに長銘,裏はやや上げて年紀を切るものが主体となります。
また本作のように,銘文を「藤原是一」と四字に切り,下に「精鍛」「作之」「作」等と添える例は,安政の後半頃より多く見られます。
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