見たり,聞いたり,探ったり
No.50
「富士総合火力演習」見聞記
(陸上自衛隊)
青木行雄
例年にない猛暑が続いた16年の8月,自衛隊発足50周年,そして自衛隊富士学校も開設50周年記念として,特別今年の「富士総合火力演習」は,力の入った演習現場であった。
一般市民や関係者がこの富士の裾野に3〜4万人集中する。道路も電車もかなりの混雑が予想されるため,我々一行は,前日御殿場のビジネスホテルに泊ることになった。
各地方市街がシャッター通りと化した所が多いと言われる中で,この御殿場は少々活気がある。陸上自衛隊富士駐屯地があるせいであろうか。
前日の夜,せっかく御殿場の夜を無駄にしてはもったいないと町の日本料理店に予約した。沼津港から直送の新鮮な魚貝類の料理店である,30〜40人程入れる店ではあったが,ほぼ満員の盛況であり,料理もおいしく,料金も手頃であった。市中には建設中のマンションも2〜3見られ,街の盛弱はまあまあと思われたが,飲み屋街の人は少ない。景気のせいは言うまでもないが,飲酒運転罰金等の時代の変化も影響してか,それにしても駅前近くの道路に代行運転の車がずらりと並んでいるのには驚いた。まだ時間が早かったのだろうか?
翌朝ホテルを8時出発,富士演習場に向う,特別紹介者のはからいでビップ招待である。前日ホテルに紫色の駐車券が届いていた。現地に到着するまでの沿道には自衛隊の誘導係員が何人もいたが,この紫色の駐車券が威力を発揮した。我々に誘導係員の手の振り方が違うようであった。
現地会場には正面特別スタンドが用意されている。正面会場から見る演習風景は迫力満点であった。
最新国産火砲99式自走155mm榴弾砲は地響きと共に炸裂した。
前にも記したが,今年2004年7月1日で,防衛庁陸・海・空の自衛隊が発足してから50周年を迎える。
それぞれの見方にもよるが,戦後日本の平和と安全が保たれてきたのは,日米安保体制も大きな役割を果したと思う。そして,自衛隊が抑止力として大きく機能した事は確かである。陸・海・空の演習風景に直接対面して,又「ことに臨んでは身の危険を顧みず,もって国民の負託に応える」と宣誓し,いろんな所で多種にわたり,不満の人もいるかも知れないが,国の守りを果して来た自衛隊員の労苦に感謝の気持ちで一杯である。
自衛隊の規律,士気,精強さが諸外国から注目され始めたと言われる。海上自衛隊の掃海艇が湾岸戦争後,ペルシャ湾の機雷を処理した(テープも拝見した)1991年(平成3年)のことであるが,この派遣から今まで自衛隊はカンボジア,東ティモール,イラクなどに部隊を出隊しているが,今の所一人の犠牲者も出ていない。すごい事だと考える。
これは,誠実,勤勉に増して,目線が低いという“自衛隊流”が現地の人たちの信頼を勝ち取った結果だと思う。このまま無事であることを祈るばかりである。
イラク暫定政府のヤワル大統領が新聞記事によると「自衛隊はイラクで活動する外国部隊の中で最も歓迎されている。国民みんなが歓迎している」と称賛したと言う文面を見たが,外交辞令だけとは思えない気がする。
イラク派遣の自衛隊は16年6月28日,多国籍軍に参加することになったが,サマワで給水などの人道復興支援活動を継続している。8月に入ってから,キャンプ地周辺に爆弾等の撃ち込みが多発しているが,こうした任務を無事乗り切った場合,これからも継続されるであろう紛争地域での日本の復興支援活動の信頼と期待は増々高まることは間違いない。こうした期待に応えることが日本の国益や信頼につながることであり,これからの新たな自衛隊の行方を示すことにもなるだろう。
こんな中,現地でも自衛隊の制約は多々ある。記事の中から拾って見ても,国連平和維持活動(PKO)においてすら任務遂行を妨害する攻撃を排除するための武器使用は認められていない。詳細についてはよく分からないが,正当防衛と緊急避難に限定されている武器使用では,友軍から警護されるしかない訳で,集団的自衛権の行使も認められていないから,多国籍軍に参加したとは言え,友軍が攻撃されても自衛隊は共同対処できない。ここが考え方の相違する所であり,大変難しい所でもある。
海外での武力行使を禁じるとする憲法第9条の解釈が制約要因になっていると言う訳だ。
良否は別として,同条の「戦力不保持」規定も軍隊としての地位や権限を自衛隊に与えていないのである。そんな憲法下の中で,他国軍に比べて高い志を維持してきた自衛隊を評価するか否は,それぞれ違うが,これから,テロや北朝鮮など多様な出来事に的確に対応できる自衛隊像が求められる所以と思う。又いろいろと論議されているし,難しい事はよく分からないが,自衛隊を一刻も早く憲法上,明確に位置付け,この難局を耐えて来た50年を踏まえ,国内外で支援活動の“要”として,この難局をたえた自衛隊に,富士総合火力演習を見ながら,国民の財産として活用することが我々日本の課題であると痛感した次第であった。
自衛隊の兵力
昭和29年防衛庁が設置され陸・海・空自衛隊が発足した当時陸上兵力は13万人となっており,49年経った。平成15年の3月末の数字だと陸上148千人となっているので18千人の増加である。一方海上の艦艇は29年の105隻で5万トンの艦に対して,142隻で398千トンとトン数で言えば8倍の増強である。
平成15年3月末の兵力,上記の陸上が148千人海上が44千人に航空が47千人,合計239千人が現在の全自衛隊の兵力と言う事であった。
自衛隊関連年表
(主な部分を拾って記して見た)
昭和25年(1950) |
※朝鮮戦争勃発
※警察予備隊が発足 |
昭和27年(1952) |
※海保に海上警備隊が発足
※独立,日米安全保障条約発効
※保安隊が発足 |
昭和29年(1954) |
※防衛庁設置,陸・海・空自衛隊発足 |
昭和31年(1956) |
※国防会議を設置 |
昭和35年(1960) |
※日米安保新条約が発効 |
昭和42年(1967) |
※佐藤栄作首相,非核三原則を表明 |
昭和43年(1968) |
※米原子力空母が日本に初の寄港 |
昭和45年(1970) |
※核不拡散条約に署名
※作家・三島由紀夫らが東京・市ヶ谷駐屯地に乱入,割腹自殺 |
昭和53年(1978) |
※空自,初の日米共同訓練
※日米防衛協力指針(旧ガイドライン) |
昭和55年(1980) |
※海自,環太平洋合同演習に初参加 |
昭和56年(1981) |
※陸自,初の日米共同訓練 |
昭和58年(1983) |
※大韓航空機撃墜事件。自衛隊情報でソ連軍機によるものと判明 |
昭和63年(1988) |
※なだしお事故,潜水艦と遊漁船が衝突 |
平成3年(1991) |
※湾岸戦争
※海自掃海艦部隊をペルシャ湾に派遣 |
平成4年(1992) |
※政府専用機が空自の所属に
※国際平和協力法を施行
※カンボジアPKOへ派遣 |
平成5年(1993) |
※モザンビークPKOへ派遣
※北朝鮮,日本海へ弾道,ミサイル発射実験
※イージス護衛艦配備 |
平成6年(1994) |
※社会党,自衛隊,日米安保を容認 |
平成7年(1995) |
※阪神淡路大震災,地下鉄サリン事件に伴う災害派遣
※沖縄で米兵による少女暴行事件
※現防衛計画の大綱を決定 |
平成8年(1996) |
※ゴラン高原PKOへ派遣
※日米安保共同宣言
※沖縄に関する特別行動委員会(SACO)最終報告,普天間飛行場返還を日米合意 |
平成9年(1997) |
※新日米防衛協力のための指針(新ガイドライン)策定 |
平成10年(1998) |
※北朝鮮,日本本土を越える弾道ミサイル(テポドン)発射実験
※陸海空3自衛隊の初の統合演習
※情報収集衛星の導入を決定 |
平成11年(1999) |
※能登半島沖の不審船に初の海上警備行動
※東ティモール難民救援に派遣 |
平成12年(2000) |
※防衛庁,市谷へ移転
※F2支援戦闘機配備 |
平成13年(2001) |
※米中枢同時テロ
※アフガニスタン難民救援へ派遣
※テロ対策特措法が成立
※海自補給艦,護衛艦をインド洋派遣
※海保巡視船が北朝鮮工作船と銃撃戦,工作船は自沈 |
平成14年(2002) |
※東ティモールPKOへ派遣 |
平成15年(2003) |
※イラク戦争
※イラク特措法成立
※空自をイラク人道復興支援へ派遣 |
平成16年(2004) |
※陸自,海自をイラク人道復興支援へ派遣
※自衛隊,イラク多国籍軍に参加 |
(以上は,防衛庁,陸海空自衛隊50年のあゆみを拾い書きして見たものである。)
自衛隊を取り巻く環境はこの50年,半世紀で大きく変った。学校の教師が隊員の子供達に「自衛隊は税金泥棒」とまで言う風当りの強い時期もあったと言う。ところが,阪神大震災などの災害派遣,国連平和維持活動(PKO)への派遣,北朝鮮の工作船事件などを通して国民の意識が「自衛隊は頼りになる」と言う風潮に徐々に変って来たように思うのは私だけではないと考える。
このたびの富士火力演習見学に参加して,一層その感を強くした気がする。
始演の前に,国旗掲揚を参加者全員起立の中に国歌と共に隊員がロープを引く。厳粛な一時であった。F-4EJ要撃戦闘機が富士の東からの飛行で大演習は始まった。
広大な富士の裾野を舞台に,陸上自衛隊最強の装備と演習,参加隊員約2000人,イラクで大活躍の96式装輪装甲車等の外各類戦車,連続弾砲発射には地響きと共におしりを浮く程の迫力があった。又空挺降下訓練等々約2時間あまりの演習は,あっと言う間に過ぎた。演習終了後,石破長官外役員のテント小屋にて,自衛隊の弁当牛丼を御馳走になり,後富士学校の資料館に案内をして貰う。数々の資料やサマワで活躍中の写真等も拝見し,改ためて自衛隊の存在を再認識した。今回,お世話になった人達に感謝を申し上げ,富士演習見聞記は終了する。
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