昔日閑話(第32話)
木場好人
深川木場(20)
深川木場の「風物詩」角乗りは,幸い「角乗保存会」が継承して若い愛好家を育てて居るので安心。唯,残念なのは現在は「プール」で行って居ることである。今更云っても愚痴になるが,舞台装置と云うか,角乗りを演技する場所が,過去は,「堀割」又は筏の着いて居る川岸だ。バックに丸太,今は無いが「柵」,そして水面,こう云う所だと如何にも角乗りがピッタリする。そして,辺りに雑音のない角乗りの回転する時の浪の音とお囃子の笛が備わると,より一層いいムードになる。
話は古く,専門的になるが,当時,原木屋の若い衆は,毎日堀又は川筋で"並さん"と一緒に一日中仕事をして,夜は算盤,当時は「五ッ玉」の大型そろばんで,番頭さんと帳簿の記帳,整理,昼間の商売で値段が双方成立すれば,簡単に"値書"と云うコピー紙を入れた覚書に,木場共通の"本,ロ,ツ,……"の符牒に依る単価と品名,一本売りの場合は丸太の「長さと大きさ」何れも旧尺貫法の"何尺何寸"であって,単価は"尺締め"と云って長さ「貮間の径一尺」を「尺締一本」と云い,その単価の這入った"コピー"だけなので,その明細,乃ち,材積に単価を掛けて金額を出し,各得意先の口座の帳簿に記入する。
昼間の川並との仕事は大して頭を使わないし,若いので丸太から丸太に飛んで移って,裏を返して丸太の良し悪しを確認したり,正に気楽だった。通常"川並"の事は"並さん"と呼んで,名前の知って居る"並さん"は"○○さん"とさん付けで話す。当時の"並さん"は,腹は良いが,口が悪い。何でも略して初めての人には解らない短い言葉,これを「粋」がって使って居た。二,三御紹介する,
「当り前え」を→"あったりめえよ",とつめる。
「止めろ」を→"おきやがれ"
「後ろの方を」を→"尻だ,尻だ"と,そして同僚又は下の者は"手前え"と呼んでいた。自分達は「いなせ!!」だと思って,体の動きも素早かった。又これは経験した者で無いと解らないが,"角乗り"よりも何と云っても,難しいのは丸太。勿論,細い丸太で,浮きの良い,悪いは有るが,浮きの良い,山で水切り充分の乾いた丸太で,通常の体重,15貫前後,今で云う"60kg"の体重の者で,末口旧8寸下,今で云う"24cm"位で,一本乗りした場合,中心の前後に乗ると水面以下になり,浮力が付いて稍,水面に浮いて来る程度の丸太,中心に乗らないと水面下に沈んで行く。丸太の浮力と体重とが,"とんとん"(等しい)の場合は良いが,浮力の方が弱いと沈んで行く。大急ぎで乗った時の足場に戻る,粗,平等の浮力に合った丸太,勿論,平均の個所に乗った場合,足許まで水面と"すれすれ"になり,遠くから見ると丸太が見えずに水面の上に人が立っている様に見える。筆者の仕事をしていた川筋は「大島川支流」今の木場2丁目と5丁目の永代通り,「舟木橋」の下の川筋であった。「1日,15日,28日」の縁日の日は橋の上の人通りが多い。昔の話だが,州崎の遊廓の有った頃,各遊廓の店の"お女郎"さん達が,"遣り手婆"と同伴で,八幡様,お不動様の縁日に白昼歩いてくる。何と云っても"遊廓"(女郎屋)の旺んな時だから,各店に平均10人としても数百人になる。勿論,お女郎一人では外出出来ない。必ず"遣り手婆"が付添って,逃亡する"お女郎"を見張る。勿論,東北の農村出身者で,借金で身売りして上京した連中だ。稼いで借金を何年掛りかで終えるか,又は幸運にも"身受け"をして呉れるお客が,借金を払ってくれれば,"廓"の外に出られるが,それまでは"監視"付きで「州崎橋」通称"大門橋"の交番前は単独では渡れない。「舟木橋」と云う名称だが,今の永代通り,木場2丁目は"入舟町"と云って木場5丁目は"木場"と云ったので両町の頭字を取って「舟木橋」と云った。その"舟木橋"の人道(中央は昔の市電が通って居た)を通っている。お女郎さん連中が珍しそうに川の方を見ると,川の水面の上に人が立っている。前記の細い丸太の上に乗って居る"並さん"か"身軽い店の若い衆"が,股引に足袋で細い丸太,水面すれすれの浮力と体重が等しい大きさの,主として,杉丸太に乗って居ると,水面に立っている様に見える。橋の欄干に"人溜り"が出来る。皆んなが驚いて居るのを得意に,いい気持で乗っている光景などあった,昔話し。
一目で赤い着物,下着の半分も見える様な姿,お女郎独特のスタイル,今の"臍出しスタイル"の様なもの。
又,急に丸太が必要になり買いに来たお得意先の川並が丸太を引取りに来たが,堀の奥の方で未だ水門の方へ出して居なかったので,その川並に,
「未だ出して居ねえから,あとで来てくれ」
と断わると,
「それぢゃあ,あとで参るから頼むよ!!」
と云うと,
「解った,急いで居るなら明後日来い」
なんて冗談を云う,非道いのになると,
「一昨日来やがれ」なんて乱暴な冗談を云ったりして喜んで居た。応答は
「来年来るからそれまで生きてろ!!」
その裡,思い出しますが,当時は「水の佛様」(土左衛門)が多く,潮の加減で流れが合流して潮の止っている橋の下などに多くあって,大体,佛様の上る所は極まって居た。色々,生活苦やら,特に州崎のお女郎さんが借金で先の希望の持てない,おまけに好きなお客に振られたりして人生に悲観して,身投げをする若い女が相当あった。
通行人に報告されて,交番の巡査が橋の上から見ても,細い丸太の筏など,ウッカリ乗れないの川岸から川並連中や川の仕事をして居る原木屋の若い衆に頼んで水中から引き上げて貰ったり,色々佛様に因んだ面白い話は後日に…。"
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