東京木材問屋協同組合


文苑 随想

時代を見つめて No.45


「新潟県中越地震」の奇跡

時見 青風



 東京消防庁のハイパーレスキュー隊が現場に入ったのは10月27日午後1時半過ぎであった。地震発生から4日後の事である。地表に顔を出した車前部のナンバープレートがのぞいて見える。車から約50センチのところに半径30センチ程の穴があいている。穴から地中に向かって,隊員が代わる代わる声を掛けて見た。穴の中を照らす田端隊員のヘッドライトが小さな石の上におかれた。そして,優太くんの左手をとらえた,「ウー」,かすかな,息をするような声がした。無線の音を止め,全隊員耳を澄ますとかすかに息遣いが聞こえてきた,「絶対に助けるんだ」。現場で巻田隊長の指示が飛んだ,一握りの砂も車の近くに落とさないよう細心の注意を払えと,車は土砂や岩石で幅約1メートルに押しつぶされていた。「優太くん,おじさんが今行くからな,頑張れよ」田端隊員が穴の中に入り込んだ,「よく頑張ったね」と声を掛けながら優太くんを穴の中から地表へと押し上げた。田端隊員は救出中,八か月になる自分の娘の顔が頭に浮かんだのである。その時「優太くんは絶対助ける。そして自分も生きて家族の元へ帰る」,この隊員自身も余震が続いて起こる地震の危機感を受けとめていた。
 優太くんを地上で引き受けたのは斉藤隊員であった。「寒さを必死にこらえている」そう思った斉藤隊員は強く抱きしめると,それに応えるように,しっかり腕に抱きついて来たと,その時の様子を語る。確かにテレビで見るかぎり下半身はハダカのようだったが,引出す時にぬげたのであろうか。奇跡の救出の瞬間である。一緒に作業に当たった長野県緊急消防援助隊の西沢隊長は優太くんが無事だったことについて新聞記事から,「子供の身体の柔軟性が一因かもしれない,穴の上に杉の葉や土砂が覆いかぶさり,風も吹き込まず,雨もしのげた,車のエンジンの余熱も生き延びたことと関係があるかも知れない」と話したと言う。
 その後は貴子さんをワゴン車内から運び出したが,真優ちゃんの救出となった徹夜の救出活動は続いた。隊員の疲労を考慮に入れ,東京消防庁内部からは「いったん中止した方がいいのでは」との指摘があったと言う。「続けさせて欲しい」,現場の声が東京消防庁の対策本部に届いたのである。
 二列目のシートに座っていたとみられる真優ちゃんの足の一部は見えたが,全身は見えない,車の中にはトンネルに使われていたと思われる「H鋼」の鋼材が後部から突き刺さり,体の上をまたいでいたと言う,H鋼を切断すると上部の岩が崩れ二次災害を招く恐れがあり,切断もできそうにない。
 必死の活動は続いたが,真優ちゃんは28日,死亡が確認され,救助活動は中止された。全体を指揮した清塚部隊長は「心を鬼にして隊員に中止を告げた。本当につらかった」と口をつぐんでしまったと言う。又,巻田隊長は「お母さん,お姉ちゃんの分まで強く生きて欲しい」優太くんへの思いを語ったと記されていたが,暗い岩穴の中で92時間と言う長い時を生き抜いた奇跡の2才児優太くんに日本中の人が2人分生きて頑張って欲しいと激励を送りたい。
(新聞・テレビ・ラジオ等を見聞きして,こんな文面になった)

 平成16年10月23日午後5時56分,「新潟県中越地震」は発生した。震源の深さ約20K,規模M6.8,最大震度6強(7あったとも言われている)であり,震源地は新潟県の小千谷市であった。東京でも震度4であり,ビルの中でもかなりの揺れを感じ,もしかして,どこかで大災害ではと予感がしたのだが…。

 冒頭書き出しの文面は,10月23日の地震発生直後から,車で出かけたまま,行方不明となり安否が気遣われていた新潟県小出町の主婦,皆川貴子さんと三歳の長女,二歳の長男の母子三人が土石に埋ったワゴン車の中で発見され,懸命な救助作業の様子を記したものである。
 震度6強というすさまじい強震で大打撃を受け,その後も断続的に襲う烈震の恐怖と闘う中越地方の被災者にとっては,優太くんは正に勇気付けられる奇跡的な救出劇であり,多くの人々が感動しテレビにかじりついたと思われる。
 皆川さん母子3人は,地震発生当日の23日午前,新潟市の高校のお茶会に出席するため車で自宅を出て,お茶会終了後,同日午後,新潟市から自宅に帰る途中だった。
 皆川さんは,信濃川沿いの県道589号を走行中,地震に遭い,崖から崩れてきた土砂や土岩で車が埋まり,そのまま身動きができずに車ごと流され,閉じ込められたと予想される。
 地震発生から4日も経った27日,付近を捜索していた東京消防庁のハイパーレスキュー隊(特殊救助隊)は,前にも記したが,発見したワゴン車の近くに電磁波をセットして探索したところ,生存者を確認,余震が続く中で記事の中にもあるように救助作業は難航したが,まず男の子を救助した。しかし,母親は残念ながら死亡が確認されたのである。重複するが,車は落石でペシャンコ状態であった。男の子は乏しい食料と飲料水(この辺はよく分かっていない所であるが),加えて朝晩の厳しい冷え込みや余震によく耐え抜いたものだと二重の感心事である。
 今回の母子発見は,粘り強い捜索作業が奇跡に結びついたと言うことが出来る。生存している可能性が低いと見られても,あきらめず,根気よく捜索活動を続けることがいかに重要であるかを思い知らされた出来事であった。

 今回救助に当った東京消防庁のハイパーレスキュー隊は何回も記したが,電磁波で捜索するファイパースコープなどの“近代機器”を備えたことも大きかったのである。さらに救助では,東京消防庁など,各自治体の緊急救助隊の緊密な連携作業も評価しなければならない。
 ちなみにこの“近代機器”について調らべて見た。
 阪神大震災の教訓で東京消防庁のハイパーレスキュー隊も生まれたのだが,この近代機器シリウス(と言う)も大いに役立った。
 「シリウス」は人間をはじめ生物のわずかな心肺の動きでも電波で正確にキャッチするというのだ。アンテナから放射した電磁波と,反射して返ってきた電磁波の波形を比べ,土砂やがれきの中に生存者がいるかどうかを確認する。人間なら成人か子供かまで分かるそうである。ドイツ製で値段は3千万円すると言う。これが優太くんの命を救ったが,日本国内では人命救助に成功した初のケースであったと言う。どの位までの距離までわかるかは不明だが,これからも大いに活躍してほしいものである。

 この新潟県中越地震において1週間後の10月29日午後までの被害状況を記しておきたい。
 死者−36人,負傷者2,374人,避難者8万4,063人(一時10万人を越えていた)。
 建物被害−全壊299棟,半壊405棟,一部損壊5,715棟,道路損壊3,125カ所,山がけ崩れ337カ所である(新聞発表)。まだまだ余震が続いている為,この数には変更があるだろうが1日でも早く避難者の救済が待たれる所である。

 優太くんの救出も奇跡中の奇跡であると思うが,もう一つこの地震で目を引くのは,上越新幹線で起きた“奇跡”ではなかろうか。
 時速200キロ(新聞により210キロとも記載があった)で走っていた十両編成「とき325号」は脱線したが転覆は免れた,乗り合せた乗客の話によると,「窓から火花が見えて,死ぬかと思った」とのテレビ画面も見たが,一人の怪我人も出ていないと言う。新聞やテレビ等の報道によると,この「とき325号」の車両は旧式で今のスピードアップされた最新の車両は軽量で,これに比べると五割も重いと言うのだ。しかし,その古くて重い車両が幸いして,地震の激しい揺れにも跳ねなかったと記されている。又対向列車も来ていなかった事も大変幸運で,若し,来ていたらと思うと身振いする程の大惨事になっていた筈である。
 営業中の新幹線の脱線は開業40年の歴史で初の事故で,世界的に関心を呼び,ライバルのフランスや建設工事中の台湾が大きく報じたそうである。しかし,これだけの大地震,一部の新聞には「阪神」を上回る揺れであったと記されており,ガルと言う単位がどんな数位を示すのか分からないが,平成七年の阪神大震災は818ガルで,新潟は1750ガルと言うから,数値だけでもかなりの差があり大地震であった事には間違いない。その大地震に遭遇しながら,依然新幹線死者ゼロである。逆説的にいえば“安全神話”は守られたのである。幸運はまだまだあった。豪雪地帯だけの設備として線路に「雪おとし」という穴があけてある。車輪はその雪おとしにはまりこんだのである。運転士は激しい振動だったが運転席から落ちないようにイスにしがみついていたと話したと言う。そして,脱線はしたが横転はしなかった。新幹線「とき325号」惨事は雪おとしの穴によって救われ,大事故は防がれたとも言えそうである。

 地震の予知や程度の予想もままならぬ現在の地震対策ではあるが,この中越地震の特徴は震源の浅い直下型地震であった。又強い余震が長期にわたり繰り返されていることである。最初に観測した地震から4日間になんと5以上の地震が15回もあったと言うから,震源地に近い人々はゆっくり寝る時間もなかった事がよく分かる。

震度5弱以上を観測した地震
16年
マグニチュード
深さ
最大震度
10月23日 午後5時56分 6.8 13キロ 6強
  午後5時59分 5.3 16キロ 5強
  午後6時3分 6.3 9キロ 5強
  午後6時7分 5.7 15キロ 5強
  午後6時11分 6.0 12キロ 6強
  午後6時34分 6.5 14キロ 6強
  午後6時36分 5.1 7キロ 5弱
  午後6時57分 5.3 8キロ 5強
  午後7時36分 5.3 11キロ 5弱
  午後7時45分 5.7 12キロ 6弱
  午後7時48分 4.4 14キロ 5弱
10月24日 午後2時21分 5.0 11キロ 5強
10月25日 午前0時28分 5.3 10キロ 5弱
  午前6時4分 5.8 15キロ 5強
10月27日 午前10時40分 6.1 12キロ 6弱

 なんと10月23日初日は震度5以上が11回もあったのである。

※国内で最近発生した主な地震
(震度表示は平成8年10月から現行方式に変更した)
昭和
39年6月16日 新潟地震 震度6 M7.5 死者26人
53年6月12日 宮城県沖地震 仙台市など震度5 M7.4 死者28人
58年5月26日 日本海中部地震 秋田市など震度5 M7.7 死者104人
59年9月14日 長野県西部地震 長野県玉滝村震度5 M6.8 死者29人
62年12月17日 千葉県東方沖地震 震度5 M6.7 死者2人
平成        
05年1月15日 釧路沖地震 北海道釧路市震度6 M7.5 死者2人負傷者966
05年7月12日 北海道南西沖地震 震度5 M7.8 死者不明230人
06年10月4日 北海道東方沖地震 震度6 M8.2 負傷436人
06年12月28日 三陸はるか沖地震 震度6 M7.6 死者3人負傷784人
07年1月17日 阪神大地震 神戸市など震度7 M7.3 死者6,433人
12年10月6日 鳥取西部地震 震度6 M7.3 100人以上負傷
13年3月24日 芸予地震 広島県震度6 M6.7 死者2人
15年5月26日 三陸南地震 岩手,宮城震度6 M7.1 100人以上負傷
15年7月26日 宮城県地震 宮城震度6 M6.4 600人以上負傷
15年9月26日 十勝沖地震 北海道震度6 M8.0 800人以上負傷
16年9月5日 紀伊半島地震 震度5 M7.4 負傷40人超
16年10月23日 新潟県中越地震 震度6 M6.8 死者36人負傷2,374人
  (10月29日現在)

 上記を見ると,なんと多発する地震の国,日本列島であることが良く分かる。いつ,どこで,どれだけの大きさなのか,全く分からないと言っても過言ではない地震予知。いざ起きた時の対処と備えを国・公共機関・個人・にかかっている。それにしても平成16年は,猛暑・台風・多雨・地震・クマと自然界が異常で狂った,奇跡の一年であった。

平成16年11月3日記



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