東京木材問屋協同組合


文苑 随想

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お気に入り 温泉シリーズ No.4
黄金崎「不老ふ死温泉」(青森県)

青木行雄

雄大な日本海,原生の白神山地には
四季に彩られた
大自然のハーモニーに酔いしれて
そっと耳を澄ませば
そこには,ブナの葉のささやきがある
打ちよせる潮騒の響きが,
旅情をくすぐる
流れゆく時間をほんのひととき忘れて
この情景に身をゆだねて見る
すべての部屋から見えて来る
日本海の夕日を眺め
やすらぎのひとときを
心ゆくまで,お楽しみ下さい。

 上記の文面はこの温泉のパンフの見出しであるが,なかなかの名文であると思う。旅行というものは自分の健康状態や天気,同行者の状況にも大きく左右されるものである。また,どんなにすばらしい所でもその場所のちょっとした気遣いやもてなし,食事などにも大いに影響されることが多々ある。
  ここ不老ふ死温泉は地図から見ると,青森県西端で本州の果て,と言う感があるが,たしかに遠い所であることには間違いない。東京からJRで行くと青森経由で約7時間40分かかる。東京から飛行機で秋田経由,車利用でも約4時間半の場所である。手軽に行ける場所ではないが,文面にも出て来るように白神山地にも近く,北前船の深浦町,十二湖の代名詞ともいえる名湖,「青池」は太古の姿を水面に映している等,近くには観光名所も多くあるので,ついでの立ち寄りでも大変おすすめの場所の一つである。

 いま露天風呂がなければ温泉ではないぐらい,露天風呂は温泉にはなくてはならない存在となっている。まずホテルの問い合わせには露天風呂がありますかとの問が圧倒的に多いという。
  ここ不老ふ死温泉の次のパンフには,日本海の落陽を映す湯けむりとの見出しとして,
  「湯けむりの向こうに雄大な日本海の景色が広がる大浴場には,サウナや日本海パノラマ展望風呂もございます。また名物の海辺の露天風呂は日本海に面し,潮騒をうけながら,美しい夕陽を眺めながらの入浴が楽しめます」こんな文句も書かれている。我々がホテルに着いたのは夕方7時近くになっていたため残念ながら,ホテルでの夕陽は見ることは出来なかったが,途中「秋田県須郷岬(福寿荘)」にて,一面の水平線に沈む夕陽をたっぷり見る事が出来た。夕陽か,朝日か,どちらかに論ずると,人それぞれに又その時の気分にもよるが,この時の気分を優先すると,今までに見た事のない水平線に沈む夕陽は,言葉には表現出ない程見事な落陽であった。

 海岸にあるこの不老ふ死温泉の露天風呂は波打ち際にあり,もちろん電燈の設備がないため危険につき日没以降は入浴出来ないのである。
  折角,この遠い所まで来て,この露天風呂に入らずに帰るわけにいかずと,夜明けを待って友人伊東さんと出かけてみた。日本海の荒波と強風10月の外気には抵抗はあったが,晴天にめぐまれ,早朝の露天風呂を満喫した。

  泉質や歴史について説明しておこう。
  蛇口の温度は49°度であると言う。
  源泉は地下200mより湧出し1分間400リットルの出湯と記されている。
  昔,現社長の2代前(先代)がこの海岸に温泉を岩の間から出ているのを見つけボーリングをしたと言う。名付の由来だが先代が,この不老不死と言う言葉がすきで良く使っていたと若おかみが話していたがそこから名付けたと言う。正式には,「株式会社黄金崎不老不死温泉」と言う,まったくの1軒宿であった。
  現社長は2代目であるが,3代目にあたる長男は網元で漁師,漁業が好きでホテルの事は嫁にまかせ,つまり,若おかみがここの社長代理である。この温泉で出る魚は大半が長男が取った日本海の幸である。したがって,ここの料理は自慢の海鮮料理と言うことになる。大きな「あわび」が生きたまま丸ごと食卓に出て来た。

 ブームにのって1992年に大広間や大浴場を持つ新館が完成し,本館と合わせ,約360人が宿泊できる。温泉は食塩泉で黄金色,神経痛や腰痛,皮膚病などに効能があると言う。内湯は薄い黄金色であるが露天風呂は濃い黄金色であった,どうしてかと尋ねて見ると,どうも主成分がナトリウム,カルシウム,マグネシウムなので内と外では酸化のしかたが違うらしいのである。たしかに両方とも蛇口は透明であった。

 この不老不死温泉ホテルの玄関ロビーに大きなガラスに入った化石らしい物が目にとまった。
  これは何んだと若おかみに尋ねると,下記のような事を教えてくれた。

「ナウマンゾウ」の化石発見について
  平成11年1月11日早朝,西崎昭一はいつものようにへなし崎沖合7km付近で刺し網漁をしていた。水深160mの海底にとどいた刺し網は魚と共に化石まで引き上げたのである。「これは一体なんだ」,西崎は不審に思い,普通の骨ではないと直感し,ただちにその日,青森県鯵ヶ沢水産業改良普及所に運び込み鑑定を依頼したのである。普及所は最初,国立科学博物館に問い合わせたと言うが,返答が無いまま時間が過ぎていった。じりじりする西崎はそれならと思い青森県史編さん室に問い合わせをして,11年2月23日に編さん室が鯵ヶ沢普及所に出向き化石の確認作業をしたのである。そして編さん室が西崎氏の了解を得て,正確な同定をするため3月1日に群馬県立自然史博物館長,長谷川善和氏のもとへ発送し,鑑定を依頼したのである。
  その鑑定の結果,瀬戸内海産の「ナウマンゾウ」の大腿骨標本と比較,検討した結果,現段階では「ナウマンゾウ」の大腿骨と,考えられると言う報告が返って来たと言うのである。
  大きさについては,ナウマンゾウの中では,中位のものであると言う。
  このナウマンゾウ化石は,青森県の太平洋側すなわち七戸町(1906年,アオモリゾウ),上北町(1961年,カミキタゾウ),東通村(1957年尾屋,1970年尻労)の3町村4ケ所から発見産出の報告があるらしいが,艫作崎沖から発見された,ナウマンゾウ化石は,日本海側から初めて産出した化石と言うことになる。また,ナウマンゾウの大腿骨は,アオモリゾウの発見当時確認されているが,現在所在不明であるので,青森県から産出した,唯一のナウマンゾウ大腿骨である。またこの不老不死温泉の宝物とも言えよう。この発見者,西崎昭一とはこのホテルの長男若おかみの夫である。

 ナウマンゾウについての話が長くなったがなぜ「黄金崎」かについて地元の漁師に聞いて見ると,戦国時代,銭衛門という海賊がこの地で勢力を誇り,沖合を通行する北前船から金品を強奪した。この銭衛門が奪ったばく大な財宝がこの温泉付近のどこかに隠されているという噂もあるらしい。
  この噂も勝ることながら,黄金の温泉が沸き,人間の永遠のテーマ不老不死という名前をつけて,時代のブームにも乗って,JRにうまくのった営業のうまさは心をくすぐる,たくみなもてなし,新鮮な魚介類,自然の美しさと黄金の露天風呂に魅せられて集る人々。土・日は1年前から満室と言うホテルにとってはうれしい。この不老ふ死温泉は財宝がわく,黄金崎と呼んでもふさわしい名前であると思う。そんなお気入りの温泉であった。

訪れた日 平成16年10月16日
平成16年11月14日記

※日本海の水平線に沈む落陽、なんと幻想的な風景ではありませんか。須郷岬にて

※東京木材市場の研修旅行(一行25名)ホテル玄関前にて 行先、白神山地と不老不死温泉

※日本海の荒波がシブキを上げている。波打ぎわの露天風呂、電燈がないので日没まで。

※この露天風呂は黄金色、日没の夕陽は、最高とか。

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