戦後60年を振り返って
白坂 鐘蔵
昭和20年の終戦より今年で丁度60年を迎えるが,その時10歳の小学生も今では70歳になっているので歳月の経過するのが早いのに驚く。その間も朝鮮動乱やベトナム,アフガニスタン,イラク等で大規模な戦闘が行なわれている以外にも,アフリカや昨年末にスマトラ沖で大津波のあったスリランカ(旧セイロン島)やスマトラ島の一部にも長年に亘り紛争が続いて一般の住民にも相当の死傷者が増え続けている様であるが,戦争を放棄した日本には戦火が及ばなかった事は珍しく幸いな事であった。
19世紀迄の戦争による犠牲者と20世紀だけの被害者の数とでは20世紀の方が過去1900年の間に受けた犠牲者の方より多いと聞いているが,確かに近代戦になると,大量破壊兵器の開発が進み然も戦争に参加してない一般市民の殺戮にその兵器が向けられ,昭和20年3月9〜10日にかけての東京大空襲の様な惨状が未だに各地で続いている。
段々と歳月の経過が過去を忘れ去ろうとしているが,この長い平和が240万人の尊い犠牲の上に成り立っている事を忘れてはならないし,段々と戦争を体験した人が亡くなって行くので,細やかな体験を述べさせていただき,参考にして貰えれば幸いである。
1月末に靖国神社と千鳥ケ淵戦没者墓苑を参拝と献花をして,未来と希望を抱きながら不本意な命令の為に南方戦線で戦死した22歳前後の若い数多くの友達に頭を下げて来たが,千鳥ケ淵の方は,どうした訳か私以外に誰も参拝者が無く寂しい限りで身元が分からない無名戦士のお骨を生き残った方々が何度も現地に行き収集して六角型になっている各地区に遺骨を納骨している様で,小泉総理が靖国神社を参拝する事を中国や他の国より責められているが,私も参拝はするが無謀な戦略や命令をして戦死させた戦争犯罪指導者の骨と一緒に納骨しているので反対である。是非,千鳥ケ淵墓苑のみに慰霊すべきだ。
ガタルカナル,インパール,ニューギニア,シベリア等で戦い奇跡的に生還出来た友人を何人か知っていたが,戦場の極限状態の中より生還した方は友人にも家族にも当時の話を絶対にしたくないと言っていたが,その気持ちは分かる様な気がする。
戦没者の各地の一覧表は別紙に掲載したが,私と一緒に入隊し南方に向かい一人も生還してないレイテ島では激戦で今次戦争の天王山と言われ,8万人が戦死,インパールでは3ケ師団7万8千人の中で4万9千人(62.8%)が戦死,特に酷かったのは同じビルマ(現ミヤンマー)で援蒋ルートを止める為に米,中国軍15万もいる所に僅か1ケ師団1万2千人を派遣し,散々叩かれて,帰還命令が出て帰る事が出来たのは2千人で,1万人(83.3%)の戦死者が出た雲南戦線の悲惨な例もあり,何れも碌な兵器,弾薬,食料も補給出来ず,無茶な作戦計画を立て実行させた参謀と軍司令官には万死をもって償う責任があるのに,家族共々揃って帰還して,日本人が裁く事が出来ないので国際裁判で裁かれた結果であって,どんな悪人でも死ねば神様になるとの思想には同意出来無い。
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