東京木材問屋協同組合


文苑 随想

お気に入り温泉シリーズ No.5


(混浴編)No.1 群馬の秘境「宝川温泉」

湯屋 行平



 藤原村にある秘境,ここ「宝川温泉」は,なんと宿泊率が1年を通して80%と言う数少ない人気の温泉宿である。あまり宣伝はしていないようだが,土曜日は1年前から満員と言うことだ。国内で露天風呂の宿というと,必ず名前があがると言う程有名になった。人気の秘訣は料理やサービスもさることながら,自慢の露天風呂にある。約200畳と約100畳が2ヶ所,又約50畳が1ヶ所と計4ヶ所が合計450畳の大露天風呂である。
  東北や北陸等に行くと,山中の秘境に何々落人の隠れ宿等とよく聞く所があるが,そんな雰囲気もある所であった。この宝川は歴史も古く,日本武尊が,白鷺に導かれて病を治したという伝説も残っていると言う名湯でもある。
  JR・水上駅から車で30〜40分利根川をのぼり,藤原村から,支流,宝川を左に少々のぼると「宝川温泉」はあった。
  今でこそ水上駅から車で30〜40分であるが,昔は,車もなく,道路もない人里離れた秘境であった。昭和25年頃に親を亡くした2頭の小熊をこの宿で育て,その熊たちがお客さんと一緒に露天風呂に入るというので,当時テレビなどでも話題になり,熊の入浴する露天風呂として有名にもなったと言う(今の条例では禁止されているので,現在は熊は入れない)。
  近くの山々にも熊はけっこういると言うが,人害はないようである。この温泉にも熊小屋があって,かなり熊を飼っていた。そのはずである。夜のコースメニューには,熊汁が出て来た。中にはきらいな人の為に,かわりの汁も用意してあったが,なかなか,熊汁もおいしくて気に入った。

 男女混浴の起源は江戸時代までさかのぼると言うが,風呂の語源となった室(洞窟)で松葉などを燃やして灰をかき出し,塩水をかけて,むしろの上に座って汗をかく。サウナのような混浴風呂は,いつしかお湯に入る男女別々の施設へと変わっていったのである。そんな中,この群馬県水上町にある宝川温泉は混浴の恥ずかしさなどの気分を解放させてくれる何かがあるような気がした。前にも記したが合計450畳の大露天風呂の中では,恥ずかしさがいつの間にか,「楽しい」に変わっているように思えるから,不思議である。そもそも,女性も本音は混浴を望んでいるのではと,この宝川温泉で思った次第である。この温泉は水着不可,24時間入浴可の大露天風呂であった。
  泉質は,無色透明で微香,弱アルカリ性単純泉であり,慢性疲労や神経痛,関節炎などに効能があると効果書に記してあった。

 宝川温泉の開湯の由来を調べて拾って見るが,文面の中に重複の部分も出て来る。
  この温泉は民話の時代,日本武尊(やまとたけるのみこと)が東国征伐の折り,当地に寄られ武尊山(ほたかさん)に上られた時,病に伏せて困っていると,遥か下界より白い鷹の飛び立つのを見つけ,その地に立ち寄ってみると,温泉が湧いていた。その湯につかると,病いが治り,旅を続けられたと伝えられていると言う。そのため宝川温泉はその昔「白鷹の湯」(はくたかのゆ)とも呼んでいたらしい。
  宝川温泉がいつ頃から温泉として利用されていたかは,今のところはっきりした史実はないと言うが,この近くで縄文人の遺跡が発見されているのを見ると,その時代から利用されていたと考えられると言うのである。
  大正12年に現在の旧館が建ち,温泉旅館として営業を開始している。
  宝川温泉の名前は,旅館を分けて流れる河川が宝川なので,宝川に由来してつけたと言う。宝川とは文字通り,宝がとれる川の意味で,江戸の昔から昭和の初めまで,銅山として採掘が行なわれていた。
  近くには日本武尊と白鷹の像が建っている。

 この温泉のサービスについて少々説明しておこう。
  車はお城の玄関らしい大手門をくぐり,場内に入った。そして,橋を渡り,旅館の玄関についた。従業員が数人迎えてくれる,手荷物を渡す,ロビーにてお茶のサービスがある。そして,部屋のキーが渡される。これまでは普通のホテル等のサービスと同じである。ここからちょっと違ったもてなしとなる。
  まず男女別に,又大きさ別に,ロビーにてゆかたを自分で選ぶのである(10種以上あった)部屋には一度案内はあるが,プライバシーを守るためか,部屋では一度も顔は合わさない。廊下での従業員の挨拶が実に感じが良い。フトンは食事中にすませてある。
  食事の方法は客の状況により違うと思うが,少人数だと山村の茶屋風の所で,ゆったりした個室で(左右見えるが)食事となる,前にも記したが,山間でとれる山菜や川魚に笹や木の葉でアレンジが特にすばらしい。状況は記事に説明出来ない程だが,うつわや配列が実ににくい食卓風景とでも言っておこう。

 ここの先代の主人は骨董品が好きらしく,昔の古い品々が数えきれない。露天風呂に行く途中,小屋があって,骨董品,小民具,昔のおもちゃ,提灯,やかん,団扇,ぬいぐるみ,湯のみ,花瓶,民芸品,ランタン,掛け軸,等,所狭しと迷路のように並べてあった。又佛具的な物もあり,露天風呂の名前が宗教的な所もあるが,露天風呂&骨董品博物館と言ったほうが,適当かも知れない。
  旅館からつり橋(白鷹橋)を渡り前記の小屋を通り,川沿いを進むと,いきなり目の前に100畳の露天風呂である。私が行ったのは11月の中旬の為に木々は葉をおとし,冬を待つ直前であったが新緑や紅葉の時期は最高であろうと想像した。
  最初の露天風呂「摩訶の湯」100畳,混浴である。「般若の湯」は脱衣所を挟んで背中合わせにあり,男女別の脱衣所は広くはない,「中には水着で入らないで下さい。女性はバスタオルを巻いてお入りください」と書かれている。通路からは丸見えで,かなり大胆な女性も見かけられたが,広いのと自然の中での混浴も楽しそうであった。
  外に女性専用の約100畳の「摩耶の湯」がある,男性は中に入れないが外から見るかぎり又写真で見るとすばらしいと思う。
  この摩耶の湯の前を通り,つり橋「子宝橋」を渡ると混浴,約200畳の「子宝の湯」があった。
  前にも記したが,大正12年(1923年)に創業のこの宝川温泉「江泉閣」は,自然環境の中に柔らかな空気や湯気が立ち上り,先の「子宝の湯」,など4つの大露天風呂を目玉に多くの観光客を魅了している。
  女性はバスタオルを巻いて,男性は手ぬぐいを片手に入湯を楽しむ。通常なら禁止である湯船へのタオル持ち込みは自由である。
  旅館に聞いて見ると客は6対4で男性の方が多いと言っていたが,私の行った時は,若い女性グループの方が多いように見受けた。又家族連れやカップルも見かけ,多種多様である。
  ここの露天風呂に始めての私も,湯船に入るまではやっぱり緊張したが,裸の視線は打ち解けるのも早い,大自然の中で,見知らぬ老若男女が和気あいあい,視線が緊張感から放たれるのが良くわかり,ほっとする。
  冬にはちょっと温度がひくいようだが,源泉は41度から70度あると言う。近くにいたカップルは,一緒に入れて楽しいねと,うれしそうに話している。又近い内につれて来てとも,笑いながら会話も進む。

 露天風呂を堪能した宿泊客はクマ汁などを中心に栄養価の高い郷土料理をたっぷり味わい,又々露天風呂にはいろうか〜。

 「湯」と「郷土料理」の癒しに加えて,大露天風呂の「混浴」が楽しめるとは…。
  少々の興奮と共に,男性にとって,すばらしい,温泉旅行と言えませんか。

平成17年2月27日記
※宝川にそって建った露天風呂
※「摩訶の湯」100畳。うら側が女性専用の「摩耶の湯」である。
※「子宝の湯」200畳ある。一度に何人入れるだろうか。
※宝川にそって建った露天風呂
※「摩訶の湯」100畳。うら側が女性専用の「摩耶の湯」である。
※「子宝の湯」200畳ある。一度に何人入れるだろうか。



前のページに戻る

Copyright (C) Tokyo Mokuzai Tonya Kyoudou Kumiai 2005