見たり,聞いたり,探ったり No.62
「自然の叡智」
「愛・地球博に行ってみよう」
愛知万博 No.1
青木行雄
21世紀最初の国際博覧会となる愛知万博(愛・地球博)が平成17年3月25日,開幕した。日本で総合的な博覧会が開かれるのは1970年(昭和45年)の大阪万博以来,35年ぶりである。メインテーマは主題の「自然の叡智」である。その意味は自然の尊厳を学び,人類滅亡を避けるための挑戦を意味すると言う。発展を続けた20世紀において,その代償として自然を破壊した反省を踏まえたものとも言われる。
21世紀が「環境の世紀」といわれるのを強く意識したもので,エネルギーやバイオなどの先端技術との融合で,環境の進むべき道を示唆したものとも記されており,堅く言うと積極的な参加により,このような環境への挑戦と理解を一層深めたいと思っているのだが。
世界で一番最初の大博覧会は1851年(嘉永4年)イギリスのロンドンであった。産業革命による活力に溢れた時代とのことで,国家プロジェクトであったにも拘らず,税金は一切投入せず,すべて寄付で賄ったと記されている。
指揮を執ったのはビクトリア女王の夫,アルバート公。女王の婿というだけで,影響力が強いわけではなかったと言うが,欧州大陸出身の国際感覚が優れた人物で,この万博を推進したことにより存在感を高めた。このロンドン万博の収益などをもとに,「ビクトリア・アンド・アルバート美術館」や「ロイヤル・アルバート・ホール」などが建てられ,今もその名を残していると言う。
万国博覧会とは人類の芸術や技術の進歩を多くの人達に見てもらい,披露する場でもある。
国際博覧会条約では,2ヶ国以上が参加するものを国際博覧会,つまり「万博」と呼ぶと記されている。
開催の決定権を持つのは,フランスのパリにある「博覧会国際事務局」(BIE)が実権を持っていると言う。質や影響力を落とさないよう,開催地や時期など調整している。
日本の参加はいつごろかを調べて見ると1867年(慶応3年)第2回パリ万博に参加出展している。この時は,江戸幕府や薩摩藩,鍋島藩がそれぞれ独立した形で参加。日本史年表(発行所,岩波書店)を見ると,1月11日,徳川昭武ら一行,パリ万国博覧会参加のため横浜出航(2月27日万博開会,浮世絵・磁器など出品),と記されていた。
そして明治政府として初めて公式に参加したのは,6年後の1873年(明治6年)ウィーン万博である。大隈重信がさい配をふるい,国宝の美術品や名古屋城の金のしゃちほこなどが蒸気船に積まれて海を渡ったという。
自国を世界に知ってもらうためには,この万博は絶好のチャンスであり,そのころから万博開催は政府の悲願であったと言う。1877年(明治10年),西郷隆盛の弟,従道が開催を提案,1912年(明治45年)に「日本大博覧会」が計画されたが,財政難で延期となったらしい。1940年(昭和15年),東京会場とする構想が進んだと言うが,太平洋戦争直前の不穏な国際情勢から実現しなかったようである。
東京の中央区にある築地と晴海をつなぐ,勝鬨橋がその時,万博の開催に備えて造られたと記されている。
結局,日本初の万博は高度成長期終盤,1970年(昭和45年)の大阪万博であった。日本の消費ブームをあてこみ,市場に売り込もうとして多くの国々が出展し大いに賑わった。その後の1985年(昭和60年)つくば科学博,1990年(平成2年)大阪花博などは「特別博」と位置づけられ,大阪万博の「一般博」と比べて全然小規模であった。
特に,大阪万博は日本のみならず,いままで開催された世界の万博史上,名実共に,最高の入場者数を記録した。目標は3000万人と予定したが,ふたを開けて見たら,なんと2倍以上の6,422万人に膨らんだと言うことであった。当時,仕事の関係もあって,若かったし,物好きの私は,東海道新幹線も開通し時間の短縮のせいもあったから,時間を作っては行き,昼又夜と12回の回を重ねた。前記のこの入場者数に微小だが協力したことになる。
大阪万博について,もう少し記しておきたい。当時,会場近くに着いたら,人々は電車を降りると,すぐに駆けた,走った,並んだ。人気のあるパビリオン前には1〜2時間以上の列が出来た。そして,あいている時間をねらって,又行った。その繰返しだったような気がする。なんで大阪万博に6,420万人もの人を引き寄せられたのか,今から35年前の高度成長期,我々人類の前に,まだ夢と未来が輝いていたような気がする。前年の1969年(昭和44年)アポロ11号が月面着陸をして,人間が初めて月面に立った。万博には,その時採取してきた「月の石」が展示された。私も見て,今でも目に焼きついている。又リニアモーターカーと言う耳なれない乗物が,今に東京と大阪を1時間で結ぶと言われ,その模型が陳列された。ロボットも見られた。又カナダ館の長尺木材で作られた建築物は圧巻であった。そして,岡本太郎氏の「芸術は爆発だ」の“名言”を残した「太陽の塔」の存在は大きい。今でも会場跡にそびえ続けている。こうした夢のある未来を人よりも一刻も早く見たいと思ったのは私だけではないと思う。確かにわくわく感動だった。
あれから35年が流れたが,あの時の輝かしい未来は実現していない物が多い。やはり,科学技術の発達はものにもよるが,意外と時間がかかるようである。その時の月旅行はまだ実現していないし,リニモも今回乗れるが,実用化に目処はたっていない。人型ロボットはようやく,実用化に向けて踏み出した。このロボットをゆっくり見たいと思っている。
平成17年2月に中部国際空港が開港したばかりの中部経済は,25日に開幕した愛知万博で二重の火花を飛ばすことになった。
万博は9月25日マデの会期中に1500万人の来場者を見込み,愛知県などの試算によると経済効果は約1兆2千5百億円に達するとしている。二つのビッグプロジェクトを合わせると約2兆2千億円とし,雇用効果は約2万2千人を超えると見ているようだ。
約1ヶ月間に国際空港開港と万博開催というビックが重なるのは国内では過去に例がない大イベントである。
博覧会協会によると,愛知万博の会場費は1350億円,期間中の運営費は550億円,過去の博覧会に比べても公共投資の規模は大変大きいと言う。
政府もこの愛知万博を利用して,活発な外交活動を展開すると言うし,一年ほど前から各国に対し,首脳クラスの万博視察を兼ねた訪日を働きかけて来た。
愛知万博には日本も含め,121カ国・4国際機関が参加する,大プロジェクトとなった。そして首脳では,フランスのシラク大統領が先陣を切って来日した。続いてオーストラリアのハワード首相やドイツのケーラー大統領らも来日すると言われ,最終的に参加国のうち,60ヶ国以上から首脳クラスの要人が来日する見込みとか。
期間中に来日予定の主な要人
3 月 フランス シラク大統領
4 月 ドイツ ケーラー大統領
オーストラリア ハワード首相
イギリス 王室関係者
ノルウェー 〃
オランダ 〃
デンマーク 〃
スウェーデン 〃
5 月 中国 呉儀副首相
ポーランド ロットフェルド外相
8 月 ウクライナ ユシチェンコ大統領
ホンジュラス マドウロ大統領
ニカラグア ボラニュース大統領
未定 ロシア プーチン大統領
政府は温家宝首相の来日を打診中だと言うが。「2010年(平成22年)に中国初の上海万博が開かれる」。果して来るかどうか。
大阪万博から35年の間に世界は大きく変貌した。地球環境問題などに見られるように,問題は山積みしている。愛知万博で世界が抱える難題の解決につながるメッセージがどのくらい発信出来るか。
今まで見た事のない巨大スクリーンなど,先端の映像技術を駆使して,環境の大切さを訴えている,資源のリサイクルも徹底すると言う。会場内のレストランから出る生ゴミを燃料に発電し,電力を供給するシステムを取りいれた。会場には豊かな森も,残した。来場者には,自然を体験して貰うと主催者は言っている。
海外からの参加団体は120ヶ国,これまでで最も多い外海からの参加と言う。日本にいながらにして,ミニ世界旅行が出来て世界120ヶ国の美人に会える(かも?)。又少しは,その国の様子ぐらいはわかりそうである。日本にいながらこんなチャンスは他にあるだろうか。
とにかく時間がゆるす限り行って見よう愛知万博へ。
〈愛知万博の概要〉
正式名称 2005年日本国際博覧会
愛 称 愛・地球博
開催期間 185日
(3月25日〜9月25日)
テーマ 自然の叡智(えいち)
参 加 121ヶ国(日本を含む)と4国際機関
会 場 長久手会場,瀬戸会場
場 所 名古屋市東部丘陵(愛知県長久手町,豊田市,瀬戸市)
入場券 当日券
(大人) 4,600円(18〜65才未満)
(中人) 2,500円(12〜18才未満)
(小人) 1,500円(4〜12才未満)
(シニア) 3,700円(65才以上)
全期間入場券 大人 17,500円 (上と同じ)
中人 9,500円 〃
小人 5,700円 〃
シニア 14,100円 〃
夜間割引入場券 大人 2,300円 (上と同じ)
中人 1,300円 〃
小人 800円 〃
シニア 1,900円 〃
※午後5時以降の入場者に適用
※※次号からは現地報告をします。
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