東京木材問屋協同組合


文苑 随想

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日本人 教養 講座 「日本刀」…Japanese Sword…

「♪一家に一本 日本刀♪」

其の23〈入門編〉

愛三木材・名 倉 敬 世

 空気が凛と締まり,夜も長さを増し,刀剣を鑑賞するには最高の季節となりました,暗き座敷に一人端座し,蝋燭の炎か白色光に刀を透かして見ると実にいろいろな景色が見えます。…これは中級編にて解説しますが,光源が蛍光灯では見えにくく駄目です…

 少し講義が遅れており申し訳けござらん,これよりシャカリキ(釈迦力)で飛ばして参ります。


 
A 切先(キッサキ)の種別
 
大切先(大峰) 古刀が大半で南北朝時代(1334〜1392)に一時大流行をする。
現存品は当時の・薙刀・長巻を摺り上げて刀に直したものが多い。
中切先(中峰) 古刀,新刀,を問わず一番多く,特に新刀の大半はこの形である。
小切先(小峰) 圧倒的に時代の上がる古刀に多く,平安末,鎌倉初の太刀が大半。
猪首(イクビ)切先 文永(1274)弘安の蒙古来襲で上記の太刀では相手の甲冑には歯が 立たず苦戦をしたので,切先や身幅を改良したのがこの形である。
ふくら切先 古刀と新刀との境(1600年)の慶長時代がこの形の典型である。
カマス切先 直刀の形を受け継ぎ,平安前中期の太刀に見られる古い形である。

B 茎(ナカゴ)の種類
 
普通のもの 古刀,新刀を問わず一番多い型,長さにより時代の判別が出来る。
雉子股(キジモモ) 古い,主に朝廷の儀式用の太刀の外装に合わせた型,平安中後期。
タナゴ腹 魚のタナゴに似た茎,末古刀の・千子・島田・下原物に多い相州伝。
振袖(フリソデ) 鎌倉期の特に短刀の名品に多い,拵えの関係で茎穴も変形が多い。
尻(シリ)張り 末備前物に多い,当時は鉄の価格が高価のため長さを短縮して節約。
タナゴ腹強き 末古刀の伊勢の千子村正系統に多い。前記のタナゴ腹の極端な物。
剣形(ケンギョウ) 元来は相州伝であるが,新刀では広く一般化している。数種類有る。
刃上り栗尻 大変にポピラーな形で多い,「普通のもの」の一部にまぎれている。
切(キリ) 栗尻の一種であるが,特に摺上無銘の極キワメ物に多い。
 ※この他にも,御幣ゴヘイ型 卒塔婆ソトウバ型が有るが滅多にお目に掛れない。

C 鑢目(ヤスリメ)の種別
 
切(横),勝手下り,筋違,これらは一番ポピュラーでどの時代の刀工にも見られます。
大筋違 古刀の備中青江物が有名である。
化粧(香包) 大阪新刀の津田助広や井上真改の創始。
片筋違 古刀の濃州関物(関・小山)や伯州(鳥取県)広賀などに見る。
せんすき 古い,上古刀に稀に見る。
鷹の羽 逆羊歯鑢,鎬地が勝手上り,平が勝手下り。濃州関・志賀関・越前関。
 長唄の「蜘蛛の拍子舞」に…桧垣鑢は金剛,正枝,力王,一王…と云う文句が御座候。

D 茎(ナカゴ)の形の種別
 
生ぶ 本来の太刀の茎はこのスタイルです。カタナ(刀)は銘の位置が逆になります。
磨上(スリゲ) 所持者の使用に長過ぎると下からカットされる場合が多い。
大磨上 大き過ぎて銘までカットされて無銘となる,南北朝の太刀の逸品に多い。
刀の長さにより武将の身長が判る,信長,謙信は大,家康は中,秀吉は小でごわす。
折返(オリシ)銘 茎の途中から銘を残して折り返す,この場合は銘は裏側になる。
額(ガク)銘 大銘の場合は剥ぎ取って埋め込む,評価は在銘と無銘の中間である。

今月はここ迄,来月は刃紋と鍛肌の解説といたします。

 日本全国,旅行のシーズン到来です,どこに行っても美術館や宝物殿は御座居ます,そこには必ず刀剣が展示して有ります,じっくり穴の開く程ご覧になって来て下さい,その刀に銘が有れば手帳に控えて来て,後でそ〜っと教えて下さい,手元に置いても良いものかどうかをソーットお知らせ致します。

10月号クイズの答

1.全ての日本刀は必ず左腰に差したり吊ったりするのは何故か。
 
  左右どちらかに統一しないとキケンなのである,当時は鞘当をすると決闘となる。理由は「武士の魂を汚した」と云う事だが,これでは侍も命が幾つ有っても足りない。
  尤も戦国期はどう差そうと決まりは無いので,右腰に差している図も現存している,江戸期に入り大小の長さや各諸式が決まり(1645),以後は左腰に定着をする。
  もともと人間の利き手は左右同数の生れの様ですが,これにより日本では徹底的に矯正されギッチョは一人も居なくなりました。世界的に見ても稀有なる事でやんす。
  ちなみに二刀流の宮本武蔵の時代は(1600年前後)オール・フリーでした。

2.戦国時代になると,太刀が激減して刀ばかりになるのは?。
   
 戦闘方法の変化,個人戦より集団戦に移行し馬上戦より徒歩の団体戦となった。
  本来,日本の戦いは紅白両軍から代表が一騎づつ出て,声高に自軍の正当性を述べ「我こそは○○の△△の末孫,□の太郎兵衛なるぞ,いざ尋常に勝負〃〃」と進み出て太刀を振るい勝敗を決し,勝った方は勝鬨を挙げ,負けた方は退却をして一件落着。…当時は原野ばかりで境界が確定して無く,その線引でのモメ事が主な原因であった。それが,源平,南北朝,応仁の乱と続き戦国末期に至り鉄砲が伝来し戦闘様式が一変,戦場で走れなくなったら死んだものと思えとなり,ワァーと突込んで行ってワァーと逃げ帰る,これを日に何度も繰り返す戦法が多くなると,武器も「折れず,曲がらず,良く切れて,安い」物が主流となり,太刀よりは刀と云う事になった次第です。

※正解者は2〜3おられますが,現時点では未だ〆切り前ですので来月号で発表します。


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