時代を見つめて No.53
「文化勲章」と「文化功労者」の人々
(平成17年度)
時見 青風
毎年秋に発表される文化勲章受章者や文化功労者の報道に接するたびに,実に適切な方々に贈られているものだなあ〜と私も感激している者の一人である。
平成17年10月28日,政府は本年度の文化勲章受章者,5人と文化功労者,15人の名前を発表した,と新聞やテレビ等で報道された。
新聞紙面により,又その他の資料を集めて受章者・受賞者の横顔を記して見た。
文化勲章 5人「おめでとうございます」
1 日野原重明氏 山口県出身 94歳 (聖路加病院理事長)
2 青木 龍山氏 佐賀県出身 79歳 (陶芸家)
3 斉藤 真氏 東京都出身 84歳 (東大名誉教授)
4 沢田 敏男氏 三重県出身 86歳 (京大名誉教授)
5 森 光子氏 京都府出身 85歳 (女優)
以上5名 (平均85.6歳)
文化功労者 15人「おめでとうございます」
1 内田 光子氏 静岡県出身 56歳 (ピアニスト)
2 茅 幸二氏 北海道出身 69歳 (ナノ物質化学)
3 竹本住大夫氏 大阪府出身 81歳 (人形浄瑠璃)
4 花柳寿南海氏 東京都出身 81歳 (日本舞踊家)
5 鈴木 昭憲氏 神奈川県出身 70歳 (生物有機化学)
6 高階 秀爾氏 東京都出身 73歳 (美術評論家)
7 建畠 覚造氏 東京都出身 86歳 (彫刻作家)
8 田中 郁三氏 東京都出身 79歳 (物理化学)
9 長嶋 茂雄氏 東京都出身 69歳 (元野球監督)
10 藤田大五郎氏 東京都出身 89歳 (能囃子方)
11 真崎 知生氏 東京都出身 71歳 (薬理学)
12 三ヶ月 章氏 東京都出身 84歳 (民事訴訟法)
13 三谷太一郎氏 岡山県出身 71歳 (日本政治外交史)
14 森 澄雄氏 兵庫県出身 86歳 (俳人)
15 脇田 晴子氏 兵庫県出身 71歳 (日本中世史)
以上15名 (平均75.6歳)
1 .文化勲章,日野原重明氏について
長年にわたり,医療や看護教育に努め,国民とともにある医療,生活習慣病の予防,終末期医療などに優れた業績をあげた。
予防医学の重要性を説き,民間病院として初めて人間ドックを開設した。今も,自分自身の健康を保ち,一般社会への啓発活動を第一線で行っていると言う。
1970年の3月「よど号」ハイジャック事件に乗客として遭遇する。「あれ以降の人生は与えられたもの」と思うと言い,睡眠5時間の生活も苦にならないと言う。作家としても活躍している。又エッセー「生きかた上手」(01年)は130万部のミリオンセラーになっている。大変な先生といつも感心している。この年齢で,今でもエレベーターに乗らず,階段を上ると言うから,驚きである。テレビを見ていると院内の階段を2段ずつ上っていた。
11月3日(文化の日)に皇居で親授式がありテレビでの放映を見たが,大変元気である。又もう何時間も命のない患者からもらったと言うネクタイをして皇居から帰り,勲章とネクタイを本人に見せていたが,感動の場面であった。
2 .文化勲章,青木龍山氏について
本名・青木久重(あおきひさしげ)
有田焼作家として着実な活動を展開し,日展,日本現代工芸美術展を中心に多くの優れた作品を発表,日本美術工芸界の発展に尽力した。安住することなく常に新らしい作風に取り組み,近年もほぼ定期的に個展を開き,新境地を見せ続けていると言う。
3 .文化勲章,斎藤真氏について
(アメリカ政治外交史),日本におけるアメリカ政治外交史研究の水準を引き上げ,アメリカ研究の発展に大きな足跡を残した。
アメリカ外交の原型とそこから生まれる特殊イデオロギー的性格,それが対アジア政策や国防思想に及ぼした影響を明らかにした。
4 .文化勲章,沢田敏男氏について
農業工学,ダムなどの水利施設の設計上の基本的な問題に取り組み,多くの有用な設計法を確立した。沢田氏の理論で設計された青森県の浪岡ダムは,完成直後に起きた日本海中部地震の激震に耐え,優れた機能を発揮した,京大学長,国立大学協会会長などを歴任,学術行政にも貢献した。
5 .文化勲章,森光子氏について
本名?村上美津。常に芸能界の一線で多彩な活動を繰り広げ,特に舞台俳優として独自の芸風を示し,大衆演劇に新生面を開いた,林芙美子を演じた昭和36年初演の「放浪記」は,庶民性に基づく哀歓をたたえた演技によって高い評価を得て,国民的な舞台となった。
戦前は時代劇映画のお姫様役や前座の歌手をしていた,戦争中は戦地慰問もする毎日だった。戦後には米軍キャンプ慰問に追われ,肺結核にもなったことがある。舞台ではもっぱら脇役だった,「あいつよりうまいはずがなぜ売れぬ」,そんな川柳も作ったと記されている。だが逆境をむしろ芸の肥やしにしたと言う。舞台に出れば,何かより良い表現方法はないかと朝から晩まで考える。「下積みの苦労はお金を出してでもするべきです」と言いきる。上記の「放浪記」の上演,1795回は,1人の主演俳優による舞台としては最多で,主役に抜擢したのは作者の菊田一夫である。「生きておられたら,受章は先生のおかげと報告したかった」と言った。
健康に気を使い筋力トレーニングに日々励む,来年も「放浪記」に主演するが「2千回でやめるわけではありません。もっと長くやれるように体を維持したい」と言っていると記されている。
大正九年,京都で生まれ,母親の死後,いとこの時代劇スター,嵐寛寿郎のプロダクションに入り,女優の道に入った。昭和十年,映画「春霞八百八町」(マキノ正博監督)でデビューしている。
芸能生活70周年を迎えた記念の年に相応しい受章である。
文化功労者,長嶋茂雄氏について
巨人・終身名誉監督,文化の発展に多大な貢献をした人におくられる,文化功労者に選出された。
プロ野球界からの選出は1992年の川上哲治氏以来の2人目である。
現役時代に「ミスタープロ野球」として国民の圧倒的人気を集め,引退後も球界の発展に尽力した功績が評価されたのである。
昨年3月に脳梗塞で倒れ,リハビリを続けているミスターは「誠に光栄に思います」と喜びの言葉を寄せた。背番号3にまたひとつ大きな栄誉が贈られたことになる。
燃えるようなプレー,野球への情熱,そして,あのさわやかなスマイル,ミスターは日本中に勇気と感動を振りまいて来た。文部科学省は,選出理由に“貢献”というフレーズを3度も使い,功績をたたえていると記されている。
1つ目は「子供たちにスポーツ,とりわけ野球を行うきっかけを与え(中略)野球人口の拡大に貢献」したこと,2つ目に「プロ野球監督として多くのファンを獲得し,プロ野球界の発展に貢献」したこと,そして3つ目は昨夏のアテネ五輪野球への出場権を獲得し,「長嶋氏を精神的支柱とした日本代表チームの銅メダルの獲得に貢献」した。この3つの貢献したことを評価し,「スポーツの普及振興に果した功績は誠に顕著である」と言うことであった。
今「野球で貢献した人は誰か」と聞いて見る時,やっぱり,「長嶋氏」と言う人は多いはずである。又,長嶋氏がいなければ,野球はここまで国民的スポーツにならなかったかも知れない。そう思う1人である。政府は2002年「文部科学省スポーツ功労者」を贈っているが,この文化功労者で重みが更に増した事になる。
長嶋氏からの喜びの声を報道記事から拾って見た。「常日ごろ,野球は人生そのものと思ってきましたが,そんな野球一筋に生きてこられたことが評価されての栄誉であり,誠に光栄に思います。野球はプレヤーはもちろん,観戦する人々も楽しく感動を持つことのできるスポーツです。プロ野球はこれからもファンに感動を与え続けていかなければならないでしょう。ジャイアンツも同様です。原監督には,若さを前面に出した躍動感あふれる野球を見せてもらいたいと願っています。闘病中は多くの皆さまから励ましやお見舞いをいただき,心から感謝しております。今後,野球界のため,スポーツ界のために精いっぱい,力を尽くしたいと思っています」
こんなコメントが記されていたが,長嶋氏らしい文面と思う。
又長嶋氏の病状は順調に回復に向かっていると言われており,最近の生活パターンは,朝5時ごろに起床して朝食の後,自宅周辺の公園を1時間ほど散歩し,昼食までの間は,腕を上げたり物を持ったりするリハビリを続けているらしい。
散歩は午前,午後を合わせて1日5,000歩から6,000歩を目標にしていると言う。
薬は毎日服用しており,月に1回,病院に通って血液検査や運動機能をチェック,担当医師は確実に回復に向っていると説明したと言うから,早くファンの前に,不自由のない元気な姿を見せてくれる事を期待したい。
文化功労者については,長嶋茂雄氏についてのみ終始したが,受賞者に対して心から祝言葉を申し上げたい。お目出度ございます。
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