見たり,聞いたり,探ったり No.69
寝台特急で「湯布院」(大分県)へ
そして「風のハルカ」のロケ地を探る
青木行雄
「元気でね」「がんばるんだよ」「体に気をつけなよ」「風邪をひかないようにね」「つらかったら帰って来いよ」〜〜〜。
子供が成長して,親元をはなれ,田舎から都会に出て行く時,汽車であれ,車であれ,別れ際に身近な人が見送る時,上記の言葉が出るものであるが,ジーンと心にしみる一瞬である。
多くの人が1度や2度の経験はあると思うのだが,今ちょうど,NHKの朝ドラで,上記の湯布院で成長した2人の女の子が事情があって,住みなれた湯布院を後にすることになった。上記の別れ言葉を受けながら出て行くシーンは,何十年か前の自分の姿を思い出させる。
何十年か前に九州の田舎から出て来た私は今,ほとんど九州に帰る時は飛行機を利用している。昔と違って,最近は大変便利になり,方法によってはJRより飛行機の方が安く帰る事が出来ることもある。
東京に出て来た当時は良く夜行列車を利用し,一晩中イスの下に寝た経験もあった。そして,3段の寝台列車が最近は2段になって間もなく,個室も出来た。
昔の夜行列車の思い出を今一度味わって見たいと最近チャンスを狙っていたが,実行出来た。夢の実現である。
その時の様子を記しておきたいと思う。勿論私は大分県出身だから,乗る寝台列車は,特急「富士」である。この特急の利用客が近年少なくなり,いつ廃止になるか分からない。最近九州方面の寝台特急も利用客の減少で本数が少なくなった。(今年の17年3月1日,ダイヤ改正で「あさかぜ」「さくら」が姿を消した。)
特急「富士」は東京駅を午後6時03分に発車した。私の乗った車室はB寝台個室(1人部屋)4人2段のB寝台と同料金である。さみしい気もするが,すばらしい時間を過ごすことが出来た。昔,夜行列車に乗った時の事を思い出しながら,わくわくの出発である。発車の時の汽笛を思い出しながら,発車ベルが鳴った。食堂車はないし,車内販売もないので,車中の食事は持込みである。こよなく走り続ける夜行列車タイムスリップである。名古屋駅が22時47分であったが,乗降が少ないため,ホームは実に静かである。京都に着いたのが,0時57分の夜中,大阪が1時08分,乗降りする人はまったくいない,大阪を過ぎてから間もなく,国道がJRと平行になり,車窓から深夜のトラック便が賑やかに走行しているのが見える。昔,「トラック野郎」と言う映画を見た事を思い出して楽しめた。モーテルやガソリンスタンドのネオンが,ばかに街道を賑やかにしている。あのトラックの荷物はどこからどこへ行くのだろうか,あの魚のトラックはどこの港からか等と思うと楽しくて眠れない。広島が5時21分だった。下関についたのが8時33分,間もなく関門トンネルに入る前の準備を列車がしているようである。
関門トンネルの走行時間は10分〜15分ぐらいであろうか。間もなく門司駅,ここで熊本行きの「はやぶさ」の6両と,大分行きの「富士」の6両と切りはなしに約20分ぐらいかかったようだ。さびれた田舎の駅と言う感じである。
だが,いよいよ九州に上陸した。我がふるさとも近い,心は子供の時の気持ちに帰っていた。飛行機の時の心境と,長い時間の旅をして帰って来た気持は又特別な心情で,長旅の実感がわいた。
そして,別府に着いたのが午前11時03分,東京を出てから17時間,いろんな思いがよみがえり,考える時間もあって実に楽しい,有意義な旅であった。
我が故郷に帰る前に,主題の「湯布院」に着いたので,「由布院」について記して見たい。
別府から湯布院までバスで約50分。別府阿蘇道路を通り,城島後楽園の遊園地を経由して由布岳の裾野を通り「さぎり台」を通る。湯布院の町が一望に見えるこの場所は,テレビドラマにも再々出て来るが,すばらし眺めの所である。この峠を越えて下ると湯布院であり,JR久大線の由布院駅についた。チェックイン迄に時間があったので駅前のロッカーにて軽く着替えをして,観光協会から自転車をかりて,サイクリングに出かけた。駅前には「辻馬車※1」,クラシックカー「スカーボロ※2」が町内周遊を待っている。
※1「辻馬車」−ノスタルジックな魅力あふれる馬車に乗って,約50分の湯布院散策,パカパカと響く蹄鉄の音が旅情気分を盛り上げてくれる。
※2「スカーボロ」−湯布院名物クラシックカー,英国のリムジン,リゾート気分を一層盛り上げてくれる。定員9名,毎日運行。
先ず,夜行列車の疲れを癒すために,町の共同温泉に向った。私はいつも温泉に行った時,必ずと言っていいほど,町の市営とか町営とか村営とか,その町の共同浴場にはいる事にしている。その町の様子や地元の人の人情にふれる事が出来て楽しいからだ。
今回は湯布院で有名な金鱗湖の近くに「下ン湯」と言う共同混浴温泉を目指して,自転車を走らせた。入口で200円を入れるボックスがあり,金を入れて中に入る。若い男女が何組かいて温泉を楽しんでいた。衣服の着替えは湯の両側にあって,全部まる見えであるが,着替えた後の管理は湯の中から見えるので安心である,もちろん男女の区切りは入口が違うが中は同じで,入った時,最初は皆んなためらうが,女は左,男は右と着替えはきまっているようである。又1組のアベックがやって来た,やはり入口では,ちょっとためらったが,勇気を出して入って来た,その内,大阪から来たと言う若い男性が1人で入って来た。旅の途中らしい,この湯から,「金鱗湖」が眺められる。観光客がよく見える。この湯から見る金鱗湖や由布岳の山々も最高の眺めであった。NHKのドラマ朝ドラもよく由布岳を映しているが,この場所も見ることが出来る。実にすばらしく,楽しい。
こんな訳で,中に入ると話がはずみ,恥ずかしさは消えるようである。
その内女性グループ,男性グループ等1日中けっこう繁盛しているようであった。
下ン湯で目と体の保養をしてから湯を出て,近くのソバ屋で腹ごしらえをして,町にくり出した。こんなすばらしい町でサイクリングも大変よいものだと改ためて認識した次第である。
では,湯布院町について,紹介しておこう。
湯布院町は大分県のほぼ中央に位置する。
町の北東端には豊後富士と称えられる秀峰由布岳(1584m)がそびえ,いにしえより人々の生活を見守って来たと記されている。
NHKの朝ドラの中でも由布岳が話しかけるナレーション方式でドラマを進められている。
由布院盆地は町の中心部にある。私の行った時も朝霧が凄かったが,朝霧の名所としても知られている。中央部には水田と住居地が広がり,周囲を1000m級の山々が取り巻いている。盆地内では,どこを掘削しても温泉が湧き出ると言うから羨ましい。
町の北端には塚原高原が広がり,その一角には皮膚病特効の塚原温泉が涌いている。
盆地を出て大分川を南下する川沿いに川西,さらに南に下ると下湯平地区がある。下湯平から花合野川を2kmさかのぼった山峡の地には,胃腸病特効の湯治場として名高い湯平温泉がある。この温泉は「トラさんの映画」にも出て来た思い出の温泉地である。
これら塚原温泉と湯平温泉と由布院温泉の3つの温泉群からの湧出量は別府温泉に次いで全国第2位と言うから凄い。
3つの中でも由布院温泉については,湧出量・孔数とも断然に多く,740を超える源泉孔からは毎分40キロリットルの温泉が湧出すると言う。
昔も今も湖底からお湯が湧出している金鱗湖,由布院温泉には私の浴した他に13ヶ所の共同浴場があって,地元の人たちのコミュニケーションの場として古くから愛されて来たと言う。
また,素朴で趣のある由布院の温泉宿は,文人墨客に好かれ,北原白秋や与謝野鉄幹,晶子夫妻をはじめ久米正雄,高浜虚子,武者小路実篤,徳富蘆花等もこの地を訪れたとパンフに記されている。
湧出量は昔も今も変わることなく豊富で,素晴らしい環境に恵まれ,1年中,観光客で賑わっていると言うからうれしい。観光協会にTELして聞いて見たら,現在年間400万人と言っていた。NHKの「風のハルカ」がテレビ放送を始めてから又々,徐々に増えているらしい地元も大変協力していると言う。朝ドラなど見た事のない私が今昼時間熱心に見ている。
我がふるさとを舞台では見るにも力が入る。風景を見るだけでも心がなごむ湯布院である,「風のハルカ」について簡単に紹介しておきたい。
物語は,九歳のハルカと妹のアスカが,レストラン開業を夢みる父・陽介に連れられて,大阪から大分県湯布院へやって来るところから始まった。しかし,これが原因で両親は離婚,母・木綿子は家族と別れ,1人大阪に残る。開店した父のレストランも2年でつぶれてしまった。
十年後,短大生になったハルカは,アルバイトに精を出しつつ,貧しい家計を切り盛りする毎日を送っていた。やがて,ひょんなことから母の住む大阪に出て働き始めるハルカは,人を喜ばせる才能を開花させ,カリスマ・ツアープランナーへの道を歩み始めていく。
ハルカが大阪行きを決意したとき,父陽介は言った。『ハルカにはワタアメみたいな魅力がある。風を集めて,どんどんどんどん大きくなっていくような,いつかハルカは大きな人間になるような気がしてたんだ』と。
陽介の言葉どおり,湯布院と大阪でさまざまな人と出合い,人々を自分のペースに巻き込みながら成長していくハルカ。そんなハルカが繰り広げていく涙と笑いの楽しいドラマである。2006年の3月まで続くNHKの連続テレビ小説である。
あの最初に出て来る丘の上の父陽介のレストラン(今はコーヒー店)は,撮影の為に作ったらしい。
こんな湯布院のロケ地画面に出て来る場所を,サイクリングで見て探る。
文面の中にも,湯布院と由布院の名が良く出て来るが,説明しておこう。
昭和30年の正月,由布院町と湯平村が合併する折り,湯平の「湯」を取って「湯布院町」としたらしい。「ゆふいん」は平安の昔から連綿と続いて来た由緒ある呼称であり,湯布院も由布院もどちらも間違いではないと言う,ネーミングがよいことや,旧地名的なものは忘れがたく,由布院盆地や由布院駅などの表現は今も使用されていると言う。
文面にも湯布院の魅力は所々に記した,又重複するところもあるが,まとめるとこんな所である。
春,夏,秋,名物の朝霧が由布院盆地をつつむ。町のシンボルである海抜1584mの秀峰由布岳が変わりゆく四季と自然の美しさを伝える。行って見て分かる。
大分川の源,金鱗湖に水と温泉が湧き,大分川に流れ,清流は,12,000人の町民に安らぎを与えてくれると記しているが,そう思う。
盆地中央に広がる農地に農業の活力がみなぎる。湧出量全国第2位と豊かな温泉は花や養魚などの産業活用と国民保養温泉地として,生活型観光をささえると記している。
町の表玄関である海抜453mの由布院駅に,小倉・博多から人気特急「ゆふいんの森号」が発着する。世界的な建築家磯崎新氏設計の木造駅舎の待合室はギャラリーを兼ねており,町内にある10の美術館と文化の香りを伝えてくれる。
全国でも女性に特に人気のある魅力の「湯布院」はすばらしい所である。又NHKの「風のハルカ」でも湯布院の魅力が分かる。行って見よう「湯布院」へ
湯布院の朝(H17. 9. 23) |
早朝,朝霧で町並が見えない
やがて,カーテンを引くように
霧が消えて行く
由布岳が,おはようと言いたそうに
顔を出した
高原の盆地に秋風が吹き始めた
黄金色の稲が,重そうに頭を下げている
赤い電車が,音をたてて通り過ぎた
観光客を歓迎しているようだ
湯は豊富で絶えることがない
24時間いつでも入れる温泉は
実にうれしい
真赤に燃える秋の紅葉も
もう,目の前に来たようだ
由布岳や,金鱗湖に,聞いてみる
湯布院は,もう,秋ですか |
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※おなじみの磯崎新氏設計による木造の由布院(JR)駅,右側の待合室がギャラリーになっている。駅内に観光案内所があってここで自転車をかりた。 |
※駅前通り。正面の山が,由布岳,雲が少しかかっている。この道を15分歩くと,金鱗湖に至る。サイクリングで5〜6分。 |
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※金鱗湖,明治17年儒者「毛利空桑」がこの地に訪れ,鮒の鱗が金色に輝くのをみて「金鱗湖」と名付けたのが呼称の始まりと言われているらしい。 |
※湯布院の町並である。車は通ることが出来るが,車道に駐車は出来ない。 |
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