看護婦,考(ワァ〜ばっかやろう)その1
楽しい入院生活
徳 蛟竜
あれは,たしか桜がその妖艶な花びらを風に散らされた4月のはじめだった。
オレの名前は棟元慶之,と言ったかな?まあそういうことにしておこう。
オレは去年の11月頃から体の不調を自覚していた。具体的には下痢が止まらず食欲も減退しつつあった。それでも酒が好きで毎日呑んでいた。それは自分がはからずも父親から抱え込まされた耐え難い責任から逃れたかったからかもしれない。
そう,オレはそれまで2回の胃潰瘍による開腹手術を受けていた。これは俺の心の脆弱さか,その親から受け継いだ体質からか,それはわからない。そして当然の如く病院送りとなった。
さて弱ったものだ,俺はまがりなりにも店(といえるものだろうか)をかまえていた。店主ひとり…だけである,そのほかに銀行に預けてある借入返済とその利息というまりっきり働きもしない従業員を雇っていた。
これはかなりキツイ!
しかし,そんなものあんなものもどうしようもなく,とにかく放り(入院)込まれたのである。
病状はかんばしくなく本人も疲れていた。かつぎ込まれた病院は20年来のなじみである,勝手は知っていたが今回はどうも俺のほうがまいっていた。
「ちょっと今までとはちがうなァ」
と思いつつ病室につれていかれた。実はこのとき俺はそれまでの苦痛を楽しんだ報酬に身体的な衰弱というご褒美を賜っていた(まことに有り難いことだと強がってはみたが)。
さっそくヤブどもがよってたかって血を吸い上げたり有害電磁波を浴びせ,内視鏡という名の異物を体の中に突っ込んでおもしろがっていた。
はなはだ迷惑なもんだ。
しかし俺に就いた担当女医はまだかけだしのようで,病状についてたいして可愛くもない顔にとまどいの表情を隠しきれないでいた。そう,症状に該当する病名を確定できないのである。
クランケである俺は毎日数度にわたる下痢と何も口にすることができないことからくる脱力感に悩んでいた。もちろん点滴による最低限の栄養は補給されていたが,経口栄養摂取にまさるものはない。
入院以来毎日体重を量るのだが日に日に軽くなっていった。また毎日検査と称して血を取られた,そして俺の毒気も抜かれていくようだった。
看護婦(師ではない!)は仕事としてかいがいしく世話をやいてくれた。
「棟元さん,きょうは顔色がいいわねェ」
うそつけ!!なあんも食えないでいい顔ができるもんか!と心の中で毒づいて
「あぁ,おかげさまできょうは小さく切り取られた空も晴れているようでうれしいね」
と応酬してやった。まったく可愛げのない患者だなと思う。
病室は8人部屋で戦友はみんなオレより先輩ばかりである。なかには
「もう3ヶ月もここにいるよ」
という牢名主のような小柄で陽気なジイ様もいる。病名はあえて聞くまい,健康であってもそれほど先がながいとも思えないし・・・
11階の病棟の端にソファーを置いた休憩所があるが,そこには元気な(といってもおかしな表現だが)患者が点滴棒を従えて集まりそれぞれの病気自慢をしていた。
「3年前にね大腸ガンで手術したんですよ,それでねこんどは胃ガンなんですよ」とか
「私もね,5年前に胃ガンでね,今回は抗ガン剤と放射線でやっつけようと…」
などと慰め合っている。
オレはというと親父は肺ガンで死んじまったが,検査でガンではないとわかっていたので脳天気なもんだ。はてさて,このなかで何人が入ってきたところとちがう出口から出て行くのかと思わず考えてしまった。
病院の一日は長い,最初のうちは「こりゃあ,天が与えたもうた特別休暇だな」などと昼寝を楽しんでいたが,夜は昼間よりもっと長い!9時には軍隊さながらにオネエさまがたが「消灯で〜す」とか言って暗闇にたたき込む。
こっちは大変だ,ウトウトしたかなと思ったら我慢できずにお尻をおさえてトイレにいちもくさん。さあそれから明るくなるのをひたすら待つのだ。耐え切れなくなってテレビをつけるとたちまち白服が来て消されてしまう。
「人権侵害だあ,オレの自由を奪うのかあ!」
と言ってもムダである。ここは鉄格子のない牢獄のごとしだからだ。
朝8時には食事が配られる,たいして旨そうでもない朝食を皆文句も言わずに食べている。いや文句を言っている輩も数人いた。俺もそのうちの一人だ。なんせ食欲の存在すらどこかに置き忘れていたものだからよけいにまずそうに見える。しかし干からびるのはごめんだったので水分は有り難くいたただいた。先輩諸兄にはたいくつな幽閉生活のなかでご飯というのは数少ない楽しみなのだ。
それが済むとオレは病室を抜け出して一階に行く,そして裏口を出てタバコを吸うのだ。点滴付きで,消化器系の患者がである。まさか酒は飲めない,だからタバコである,それも知った医者やオネエたちに隠れてである。こんなスリルは高校以来だ。まったくあきれた不良患者だ,救いがたい,自分でもそう思う。
そうして売店で新聞を買って,なにげない顔をしてベッドにもどる。
「棟本さん,写真です」
看護助手が作り笑いを浮かべて車椅子を押してくる。愛想があるだけまだましか,なかにはハードな仕事に不満を背負い込んで不平をその態度ににじませているオバチャンもいるのである。
「エ〜,またかよ!このところ毎日だぜえ,これじゃあ日本一の被爆男になっちまうヨ」
と一応は言ってみる。なんたって病院ではオペと並んで検査がいい稼ぎ手なのである,皮肉も口をついて出ようというものだ。貧しい労働者をいじめてなにが楽しいのだ!せめてきれいなカンゴ婦どのなんぞに手でも引かれるならこっちも少しは楽しめるのだが。しかしガマンしよう無駄な抵抗なのだから。
衣装を調えて送迎車に乗る,ま,衣装といってもネマキなのだが,大手を振ってネマキでウロウロできるのは鄙びた温泉街と病院ぐらいのものである。
運転手付きの専用車でナースステーションのオネエたちの
「いってらっしゃあ〜い」
を背に受けてゆうゆうと昇降機に乗るのである。
しばしあってレントゲン室からお呼びがかかる,オレはお供(点滴棒)をつれて写真機の前へ,
『息を軽く吸って,はい止めて』
という機械的な声を聞かされ,一瞬で終了,また来た道をたどって元へもどるのである。
「なんだあ,これだけかよ!」でもなにもしないよりましか,と納得させる。
さてお昼である。相も変わらず味気ないプラ食器で栄養満点のお食事だあ。うれしくない。それが済むと読み残した新聞記事を隅から隅まで目を通す。なにしろヒマは売るほどあるのだ,しかし有り難い,テレビと新聞だけが我々と娑婆をつなぐ接点なのだから。
まづ最重要なテレビ欄のチェックに始まり,食えもしないのに料理のレシピなんかをマジマジと見つめる,「あァ,うまそうだな」と思う。それだけである。時々7階の職員食堂に本日の献立を確認しに行く,やはり患者のと同じでまずそうだ。じゃあレストランはどうかと見に行く,だけど並んでいるのはほとんどがカッパ橋産だからこれも喰えないなあと思う。なかには埃というスパイスがかけられたものもある。
やっぱりダメだな,食欲をそそるイメージがわかない。
病室にもどる,担当女医が見回りに来る。やはり病名を付けかねている様子だ,注意深く文句を言われないように話しをしている。
ふん,もっと目の見えるヤツ(医者)を連れてこいと思っているうちに少しは訳知りそうなオニイが来た。しかしこれも要領を得ない,何を言っているのかと聞いていると検査の予定を告げているのだ。
「ウヘ,また検査でござんすか?」
「それでわたくしめはどんな病でどんなひどい目に遭わされるのでしょうかねエ」
と訳知りオニイを凹ませようとしてみたが,大病院の中堅どころという自意識からかクランケに対しイニシアチブをとろうとして尊大な態度がその肩に漂っているのが見えてしまう。医師(先生)というものの救いがたい一面だ。
いみじくもその尊大野郎は
「棟元さんボクたちは最大限の努力をあなたのためにそそいでいるんですよ,そうひねくれていただいては困りますねえ」と
大きなお世話だ,オレはオマエさんがたよりずっといやな思いをしてきたんだ,少しはネジレようってもんだ。
そのうち,かのヘボ女医と訳知りオニイはほかの戦友をいたぶりに去っていった。オレにとってはなんの収穫もなしに。
看護婦が来て点滴を差し替えに来た。毎日大量の点滴でおしっこだけは迷惑なくらい出る,それもかなり頻繁に。おかげでトイレまでの最短経路を体がすっかり覚えてしまった。
うん,きょうはちょいときれいなオネエだな!
「棟本さん,きっと良くなるから一緒に頑張りましょうネ」
などと職業的にのたまう,でもその目がウソをついていないことをオレは感じた。ちょっとうれしかった。きょうは気分良く過ごせそうだ。
2時を過ぎると面会時間になる。ジイさまたちには孫とせがれの嫁さんやら有り難い友人などが狭い病室に飾れもしない花なんぞを持ってくる。なかには御法度の好物を内緒で差し入れる忠義な家族もくるのだ。
オレのところには今まで育ててあげた恩を感じてか娘がたまの休みをつぶして見舞いに来てくれる。こいつあうれしい,娘というのは嫁さんより可愛いものだ。なにしろ罪がない,まあしっかり躾けた賜物というものだ。
たわいもない話しをしているうちに夕方になり,連れ合いが着替えの下着やパジャマなんかを持って来た。
その目に角がある,亭主の病気がなんであるのか,入院費がいくらかかるのか,などと思っているのだろう。それとこのままくたばっちまったら保険金がナンボかなあとか心の隅で計算しているようだ。
せいぜいオレは皆さんのご期待に背くように努力しようと思った。
そして旨くもない夕御飯の残りを嫁さんが口にして
「まづい!」の一言を残す。
「だろう!」と追い討ちをかけてやる。
7時にはうるさい連中のお帰りの時間になる。見舞客の来ない先輩はじっとテレビをにらみつけていた,さすがに寂しそうだ。それもしかたがない人徳のいたさざるところだから。
そして夜勤の看護婦たちが名乗りをあげて「よろしくねえ〜」とあいさつにくるのである。なんかかまってやろうかと思ったが,やめた,そんなに可愛くないしひたすら稼ぎのための義務感しか見えなかったからだ。
戦友たちも薄っぺらなカーテンを引きそれぞれの不機嫌をベッド中に押し込み,また「消灯で〜す」の一言でそのささやかな自由をうばわれるのである。
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