東京木材問屋協同組合


文苑 随想


日本人 教養 講座 「日本刀」…Japanese Sword…

「♪一家に一本 日本刀♪」

其の28〈入門編・お値段〉

愛三木材・名 倉 敬 世

 刀剣の値段は,誰がどう決めるのですか?,と云う素朴な疑問がよくございます。
簡単に申せば,持ち主が決める。…なのですが,但しこれは佳品(良品)に限られます。この場合の佳品とは,買手…主にプロ…が熱心にアプローチをして来る品物と云う事で,普通の物や駄物は買手が決めます。買手とは刀屋かその団体が主催する市場,ごく稀にオークションと云う事がありますが,この道で申す玄人(登録業者)で素人は含みません。
 仮に貴方が街中の刀屋に売りに行かれる場合は,何時でも声を掛けて下さい,小生が腕組みをして後ろに立っているだけで,間違い無くプラスになるハズでごわす。
 小生も東京都公安委員会発行の正式な「美術品商」の許可証は持っておりやすので。

 刀剣も他の物と同じく現物次第ですが,何分にも1000年以上の長い歴史があるので,その間に付加価値が付いたり減ったりしており,その判断が難しいところなのですが,「亀の甲より年の功」で一般の町場の刀屋は長い経験で独自の価値を付けております。この場合はナンデやねん?,と聞くと聞く方の知識の範囲で丁寧に答えて呉れるハズです。
 現ナマをチラつかせたり居丈高に大上段に構えては決して良い結果は生まれません。刀剣に限らずマトモな骨董商は一億位の銭では驚きません。事実,コレクターの中には奇人や変人も多く居て,つい先年も天下五剣の一で国宝の名物「三日月宗近」を始め総額で約45億もの名刀をポンと上野の東博に生前贈与をされたご仁が居られましたが,その様な事が時々ある世界ですので,半端な成金が御託を並べるのは何の効き目も無く,むしろ逆効果になりかねません。要はゼニはそっちのものだが,物はこっちの物と云う大変に判り易い世界なのです,併し一度これはと目を付けたら執拗に追って参ります。

 所持者が斯界の目利で,人望が有り,「武士は食わねど高楊枝」型の人なら最高です,

特に武辺であり,茶の湯の数寄者であったという様な方の持物は驚く程の銭が動きます。
 この様に扱うべきポイントさえ間違わねば自然に店に箔も付き価格も上がる,と云う二重三重の付加価値が付く訳です。そんだもんで俗に「名物」と云われている刀剣は100%がその道のプロに現在や過去は勿論,未来→嫁入先,迄を推定されておりまして,現所有者の動向は静かに見守られております。
 「欲しい刀は一割は高くお買いなさい,さすればそれ以上の価格で売れます」と云う格言が刀の世界には有りますが,正にその通りでこれはどの骨董にも通用する話です。

 勿論その反対もありでして,現在いい加減な商売をして来た刀屋が困っているのは,バブルの時の清算であります。これはバブル全盛の20年近く前の小生の現認ですが,〜ドアがスゥ〜と開き,ブランドのスーツでピシッと決めた屈強な若者が五人と一名,音も無く入って来て,店内を一瞥して「オィ,刀屋! 夕方帰る迄にこの中で高い順に三本包んでおけ,いくらだ!」,刀屋がイャーとかソノーとか云っている内に,オィと会計とおぼしきクロコの大バックを持った中年男に「6000万,置いてけ!」と命じて,子分を一人残し出て行ってしまった,この間,僅かに1〜2分,それからクロコの男はバックからS銀行の封印の押してある6000万の現金を出して,店員に数えさし始めた,…と云っても店員が若いので指が震え上手く数えられない,何回かやり直すので菱形のバッチを付けた若いのが苛立って来た,しょうが無いので我輩が代わりに数えてやった。

 その後どんな刀を包んだかは知らないが,たぶん高名だが「行かず後家」で「主」になっている刀←この様な迷刀はどの刀屋にもゴマンと有る,を包んだのに違いない。
 それが近頃「オィ,刀屋!」のリベンジで,「これはお前のところで買うたんだったな?,領収書もあるわ,わしゃ〜ピン札で買うたんや,早ょう買い取らんかぃ」となりはべる。

 この手の損は意外に大きいでっせ,先ず,バブル,一見の客,素人,現金,上位三本,これだけでもプロの刀屋なら身震いして断るとこですが,その上にバッチが菱形の代紋。この時,店主が不在であったのが不運と云えば不運ですが,やはり常日頃の社員教育の問題でもあります。カモにしたハズが今度は自分がネギ付きの鴨になった訳でやんす。
 この結末の想像は大体つくでしょうが,上手い話は往々にしてこの様にヤベーイ話にアッ〜と云う間に転換を致します。アブ,蜂,取らずとはこの事でごわす。桑原〃〃。

 普通の売買ではどちらの刀屋で買っても,その店の馴染みになれば,買値の八掛では引き取って呉れます。バブルと云っても刀剣の場合はそれ程の値上がりはしていません,特に中級以下の普通の刀は微動だにしなかった物が多く,そのぶん真っとうな愛刀家は損得無しで,楽しめ勉強が出来て良かったと思いますが,前述の如き輩や刀屋は未だにその後遺症に悩んでおります。

 骨董の世界は全て同じですが,現世とは逆でセオリーは「育ちより氏」であります。氏はトレーサビリティー(原産地)の事で,五ケ伝(大和・山城・備前・相州・関)と申す鍛刀地の刀がトップで,全てはそこから発します。勿論,例外も有りで五ケ伝以外でも天下の名物は多くございますが,これらは主に単品ですがトータルの平均では圧倒的に五ケ伝の物に軍配が挙がります。「備前長船○○」と云うのがございますが,この長船だけで名刀の代名詞となっており,全国にその名を知られております。木材に例えれば,備前=深川,長船=木場となり,共にネームバリューは備前より長船,深川より木場の方が全国区であります。

 他に時代という価格決定に重要な因子もございます。ジャンルに拠りますが日本では骨董は少なくとも百年,出来ればそれ以上がベターですが,その内でも刀剣は古い方で,300年では「なんだ〜,元禄か」の世界であります。因ってこの点でも古刀と新刀では差が付く訳です。USAは一応の目安が100年ですが,EUは流石に古く300年位です。
 ところで,此のところ外人の参入が目立って増えて来ております。彼等は始めは安い小道具の,目貫・縁・縁頭・小柄,から鉄鍔や色上鍔を買い,そして刀へと来る訳です。

 その間,5年位ですが実に良く勉強をしています。未だ鑑定会で個名を当てる迄には至りませんが,ポピュラーな刀匠名や鍔工や小道具の金工名は全て承知をしております。何故か,それは生活が掛かっているからです。日本で仕入れ外国で売るプロだからです。
 これは,近頃は海外のオークションの方が高額になっているからです。勿論,国宝とか重文とか指定品はダメですが,他の物は制約が有りませんので相当の量が出ています。
 この分では早晩,「一家に一本,日本刀」等とは参らなくなるかも知れませんので,お買い求めは早い方が宜しうございます。

 慶長八年(1603)家康が江戸に幕府を開き,新たに大名が任命されると五ケ伝の流れを汲んだ刀工が各地に招聘され,その大名や藩の専属の抱え工となって鍛刀を始めます。これを新刀と申しまして,江戸末期の文化・文政期(1800)迄の三分の二を担い,以降,明治(1868)迄が新〃刀,その後は昭和(1989)迄が現代刀,現在が新作刀となります。
 勿論,それぞれの時代に名人上手は数多おり,それなりの時代の雰囲気を醸し出して見る者を魅了しておりますが,これもランクは古い方が一般的には高順位であります。
 刀歴は主に所有者との関係ですので戦場での武勲は勿論ですが,何も武士で無くても識者や時の人でも宜敷しい訳で,その事由により後々の評価がかなり違って参ります。
 評価の査定方法で刀剣と茶器が違う処は「折紙」とか「箱書き」とか申す,一見似た様な鑑定の仕組みですが,これは後日ゆっくりと「鑑定・代付け」の章を設けてご説明を致します。

 その尖兵として,刀の写真と価格を展示して置きます,同じ様な物がナンデこんなに,違うんだ!,の説明も簡単ですが付けて置きます。

1)新刀 脇差 銘 豊州高田住藤原行長 ランクD 24万
良業物 豊後国 寛文頃 
約三百三十年前
刃長一尺五寸九五厘(四八・三糎)
反り二分六厘
元幅九分七厘 先幅六分六厘
棟重ね一分九厘 縞重ね二分三厘
銀着一重  白鞘入
昭和三十八年東京都登録
豊後(大分)高田鍛冶。出来は悪く無いのだが量産されているため,人気がイマイチ。

2)新刀 脇差 銘 藤原兼法 ランクC 50万
(慶長−越前)
江戸初期 約四〇〇年前
平造り 刃長一尺三寸五分(40・9cm)
反り二分 元巾一寸一厘 先巾七分八厘
重ね二分一厘
金着一重  白鞘
保存刀剣鑑定書付
豊後(大分)高田鍛冶。出来は悪く無いのだが量産されているため,人気がイマイチ。

3)古刀 脇差 銘 備州長船秀景 ランクB 75万
寶徳二年十二月備前国 宝徳 
五百五十二年前
刃長一尺五寸六分(四七・二糎)
反り四分三厘
元幅九分五厘半 棟重ね一分五厘
縞重ね二分三厘 金着二重  白鞘入
彫刻 表裏腰樋丸止 
附鑑定書
時代も有り,備前の小反派なれど菖蒲造りの為か大分お安い,なれど玄人向きか?

4)新刀 脇差 銘 備中国水田住国光作 ランクB 85万
備中国 慶安頃 約三百五十年前
刃長一尺七寸七分(五三・六糎)
反り四分六厘
元幅九分三厘半 先幅六分九厘
棟重ね二分 縞重ね二分二厘
金着二重  白鞘付
附鑑定書
水田本国の作。(岡山県西部)江戸期の評価は高く,完品で拵え付きはお買い得く。

5)新刀 脇差 銘 於紀州文殊重国造之 ランクB 85万
紀伊国 明暦ころ(約三百五十年前)
刃長一尺八寸〇分五厘 反り五分
元幅九分九厘 先幅七分八厘 
元重二分八厘 先重二分二厘
本刀は小板目肌がよく詰み,地沸が一面に厚くつき,地景の細かに入った鍛えに直刃を焼き,足・業が入り,匂口が明るく冴えた作域をみせている。同工の,晩年の傑出作である。
白鞘入 金着一重 付 
甲種特別貴重刀剣認定書(昭和五十年)付
南紀重国の二代目,初名は金助,紀州藩開祖の徳川頼宣の鍛刀の相手をした上手。

6)古刀 脇差 銘 康光 ランクA 85万
備前国 応永頃 約六百年前
刃長一尺三寸九分五厘(四二・三糎)
反り二分三厘 元幅九分 
棟重ね一分四厘半
縞重ね一分七厘 金着二重  白鞘入
彫刻表護摩箸 裏腰樋・梵字陰刻
附鑑定書
3)の秀景と同じ備前の菖蒲造りだが,正系と傍系では人気の差が如実に現れている。

7)新刀 脇差 銘 大法師法橋来栄泉 ランクC 88万
貞享元年二月吉日
(江戸中期−京都)三二二年前
縞造り 刃長一尺六寸(48・5cm)
反り三分五厘
元巾一寸七厘 先巾七分五厘 
重ね二分三厘
金鍍金一重  白鞘
甲種特別貴重刀剣認定書付
三代と四代の来金道の合作刀である。江戸も中期になるとコケ脅かしの銘文が増える。

8)新刀 脇差 銘 備前国住長船七兵衛尉祐定  ランクC 90万
備前国 万治頃 約三百四十五年前
刃長一尺五寸八分(四七・八糎)
反り五分
元幅九分五厘 先幅六分四厘
棟重ね二分三厘 縞重ね二分四厘
彫刻表裏棒樋丸止 金着二重 
棕櫚塗込家紋蒔絵鞘半太刀拵入
拵全長二尺四寸一分
附鑑定書
備前長船のブランド名であるが,新刀では評価が天と地の違いである,拵付きはグー。

9)新刀 脇差 銘 伯老守藤原信高  ランクB 95万
(万治−尾張)江戸前期 約三四五年前
縞造り 刃長一尺七寸八分(54・1cm) 反り四分強 元巾一寸三厘 
先巾六分六厘 重ね二分四厘
赤銅着二重  拵入(白鞘はなし)
特別保存刀剣鑑定書付
初代藩主・徳川義直の御用鍛冶。政常・氏房と並び新刀期の尾張を代表する名門鍛冶。

10)古刀 脇差 銘 備州長船忠光  ランクB  95万
明應四年二月日
備前国 明応 五百九年前
刃長一尺七寸五分三厘(五三・一糎)
反り五分二厘
元幅九分四厘 先幅六分強
重ね二分三厘 金着一重  白鞘入
彫刻表裏棒樋丸止・連樋
附鑑定書
備前鍛冶の名門であり,南北朝より室町末期まで著名工が続く,これは太刀の添差し。

11)新刀 脇差 銘 濃州関善定家武蔵守吉門  ランクB 125万
(寛文−常陸)江戸前期 約三四〇年前
縞造り 刃長一尺八寸(54・6cm) 
反り四分七厘
元巾一寸四厘 先巾七分一厘 
重ね二分五厘
金着一重  拵付(白鞘もあり)
特別貴重刀剣認定書付(拵も同)
押形・刃文原寸
坂東太郎 正入道卜伝の初期銘である。水戸光圀より銘を賜り寛文頃に改名をした。

12)新刀 脇差 銘 河内守国助  ランクA 125万
摂津国 寛文頃 約三百四十年前
刃長一尺七寸(五一・五糎)
反り二分六厘 元幅一寸八厘
先幅七分九厘 重ね二分五厘
彫刻表裏棒樋丸止・添樋
藤代松雄師優秀作鑑定書
金着二重  白鞘入
附鑑定書
一般に中河内と呼ばれる二代目,大阪を代表し新刀一文字の拳形丁子の創始者である。

13)新刀 脇差 銘 近江大 藤原忠廣  ランクA 180万
(寛文−備前)江戸前期 約三四〇年前
縞造り 刃長一尺七寸五分強(53・1cm) 反り三分強 元巾一寸七厘 
先巾七分七厘 重ね二分三厘
銀着一重  拵付(白鞘もあり)
保存刀剣鑑定書付
肥前新刀の雄,忠吉宗家の二代目,本来の直刃を姿良く焼く,健全で傑出した一振り。

14)新刀 脇差 銘 近江国住助直  ランクA 210万
寛文九年八月日
摂津国 寛文九年(三百三十六年前)
刃長一尺七寸五分 反り五分
元幅九分九厘 先幅七分五厘 
元重二分二厘 先重二分
白鞘入(本阿弥日洲先生鞘書) 
金地一重 付 
特別貴重刀剣認定書(昭和四十四年)付
『越前助広大鑑』所蔵刀
大阪新刀の巨匠,津田助広の妹婿。涛乱刃やのたれ刃が得意,匂い口が明るく代表作。

15)古刀 脇差 銘 盛光  ランクA 210万
備前国 応永ころ(約六百年前)
刃長一尺七寸三分五厘 反り五分五厘
元幅九分 先幅七分三厘 元重二分四厘 先重一分九厘
白鞘入 金着二重 付 拵付 
保存刀剣鑑定書(平成十四年)付
朱石目地塗鞘脇指拵付
鐔は丸形鉄地透し金・銀色絵に秋草の図,小柄・縁頭は赤銅七子地高彫金色絵に秋草の図,目貫は赤銅地容彫金色絵に花籠の図(特別貴重小道具)
愛刀家垂涎の応永備前の代表工,入念作,生ぶ,長銘,年季入り,彫,拵付きは格安。

16)古刀 脇差 銘 備州長船則光  ランクA  230万
寛正四年八月日
(室町中期−備前)五四三年前
縞造り 刃長一尺九寸三分半(58・6cm)反り六分
元巾九分五厘 先巾六分二厘 
重ね二分二厘
金着二重  白鞘
特別保存刀剣鑑定書付
故・吉川賢太郎鞘書あり
押形・刃文原寸
世に名高い「寛正則光」である。出来良く宮内庁の研師・吉川賢太郎氏の鞘書が付く。

17)古刀 脇差 銘 備前国住長船勝光作  ランクA  530万
永正二年二月日
(室町後期−備前)五〇一年前
縞造り 刃長一尺九寸二分半(58・3cm) 反り六分二厘 元巾一寸 先巾六分一厘 重ね二分四厘
金着二重  拵付(白鞘もあり)
特別保存刀剣鑑定書付
黒呂塗鞘打刀拵 
〈縁頭〉波に鯱図 赤銅七々子地 高彫 金色絵 
〈目貫〉無銘・後藤 高野聖図 赤銅地 容彫 金・銀色絵 
〈鐔〉雲龍・桐紋図 赤銅七々子図 
切込み木瓜形 透し彫 耳・高彫 金色絵
〈二処〉無銘・後藤 高野聖図 
赤銅七々子地 高彫 金・銀色絵 裏・磨地
〈小尻〉無文 石目地金色絵 
〈柄〉白鮫着焦茶糸巻(拵の総長 八三cm)
全てが揃った末備前を代表する名脇差である。この長さは当時の刀の寸法である。
造込み,スタイル,地鉄,刃文,映り,金筋,帽子,彫物,拵え,全て一点の△も無い。

18)新刀 脇差 銘 長曽禰興里入道虎徹  ランクAA  1100万
寛文十年十二月廿五日
山野勘太郎永継(花押)
貮ッ胴裁断
武蔵国 寛文ころ(約三百四十年前)
刃長一尺八寸弱 反り三分五厘
元幅九分五厘 先幅七分五厘 
元幅二分三厘 先重一分八厘
金地朱鞘脇指拵付
縁頭・目貫のほか切羽, 金無垢。縁頭は金無地。目貫は這龍の図,金地容彫。鐔は木瓜形鉄地梅車小透し。小柄は赤銅磨地,片切彫,這龍の図。鞘は,朱塗地金梨子地散しの美麗で豪華な拵である。金具は江戸前期,拵構成は江戸後期作。
白鞘入 金無垢二重 付 拵付 
第五十回(平成十六年)重要刀剣指定
ご存知「今宵の虎徹は良く切れる」の虎徹の本物の脇差である。寛文十年以降からが絶頂期となる,「いおき入道ハコトラ」銘の典型作。裁断銘もあり確かに名品であるが,〜何でこんなに高いんだべ〜。→出来が良い,売物が少い,拵えがグー,重要刀剣指定。
※ 取急ぎ,代表的な数軒の刀屋の新春価格より,脇差に限り抜粋を致して見ました。

尚,価格は,刀を100と致しますと,短刀は50,脇差は30位の格付けとなります。
こりゃ〜何でだ?,と申しますと,現存品の内,短刀と脇差の数が圧倒的に多くて,総体の70%を〆,刀と太刀は25〜28%位,残りが薙刀長巻の類かと思われます。
短刀の方が脇差より価格が良いのは何故なんだ?,これは短刀の方が入念作が多くて,保存状態も良く痛みも少ない。確かに天下の名物は短刀の方が脇差より圧倒的に多い。そんな訳で,価格の評価は@太刀A刀B短刀C脇差となります,薙刀,長巻,槍は,中間が無く,良いか悪いかのどちらかになりますので,現物次第です。

ではご機嫌よう〜。

 次回は「折紙」(鑑定書・保証書)の話しでも致しましょう。

 


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