東京木材問屋協同組合


文苑 随想

見たり,聞いたり,探ったり No.74

新潟県「月岡温泉」 探訪記
(美人になれる温泉)

青木行雄


 今はむかし,ある所に人々の心を癒す温泉がありました。
 ある日,一人の女が湯舟につかっていると,突然肩にお湯をかけられました,振り返ると,そこには誰もおりません。不思議に思っていると,どこからか童の声がします。
 「僕は清坊,もっと美人にしてあげる」
 その夜,家に帰ると自分の体が軽くなっていることに気付きました。

 次の日,いつもの温泉に行くと,誰か先に入っているようでした。どうやら童のようです。「僕は風助,もっと美人にしてあげる…」と言って,突然顔にお湯をかけられました,驚いて目を閉じ,顔を拭いて目を開けると,もう誰も居なくなっていました。
 その夜,井戸水を汲み上げながら,ふと月明りに照らされた水に映る自分の顔を見てびっくり,そこには若かった頃のツヤツヤした自分の顔が見えたのです。

 次の日も,次の日も,そのまた次の日も温泉に通い,温泉に入る度に,同じようにお湯をかける兄弟に会いました。
 “もっと美人にしてあげる”
 その通り,自分が若々しく美しく変化していくことが手に取るように分かりました。
 清坊,風助,そして次の日から会った兄弟は,月太,岡丸,雪路,米吉と言いました。

 ある日,いつもの様に温泉に入ると六人の童が一斉に顔を揃えました。
 「今度は僕たちにお湯をかけて,永遠の美しさを約束してあげる?」,女は言われるままに,六人にお湯をかけました,すると六人は「さようなら」と消えて行ってしまいました。それから,もうお湯かけ小僧に会うことはありませんでしたが,永遠の美しさを手にする事が出来ました。

 〜そして現代,このお湯かけ小僧達は月岡温泉のホテルの露天風呂に今「石像」となって,現われ,お風呂に入ってくるお客様方へ,「もっと美人にしてあげる」と心の中から,呟いているのでした。

 この文は,ホテルの「パンフ」の一部を記したものであるが,この「石像」達がこのホテルの露天風呂に居て,我々を歓迎してくれているようだった。そして,この月岡温泉は昔から美人になる温泉で知られていると言う噂は聞いていた。

 遥か,遠い昔からこの地には温泉が地表に涌き,鷺などの野鳥が傷を癒したと言い伝えられているようだが,月岡温泉開湯の由来などを調べて見た。

 大正元年(1926年),羽越線(村上駅迄)が開通したが,その頃,石油開発気運が始まり,東山油田(新津を中心とした)の一部地域として当月岡も石油掘削が始まり,小規模業者が大勢入って来たらしい。そして石油も出るには出たが,大した量ではなかったようである。
 そこで業者が相集り,共同で最後の一本を深く掘削したのである。ところが出て来たのが多量の温泉であった。
 こんな事で,石油業者は全員解散したのである。
 その石油業者の中に本間周三郎と言う人がいて石油業をやめて,温泉場の建設を思い立ち,湯小屋,共同浴場を作り,人夫達に旅館をやったらどうかと話しかけ,始めたのが,月岡温泉発祥の始まりと言われている。
 大正五年(1916年)の当時は,ここ月岡温泉の場所は,家一軒もない,谷地と原野・田畑等の場所であった様である。
 その後,時代と共に温泉の良さに湯治客も年々数を増し,天王新田駅(現在月岡駅,昭和25年9月1日改名)より,人力車で曲りくねった小道を,米,野菜,鍋釜をかついで湯治にやって来たと言う。
 戦時中は,東京から疎開児童が集団で集り,各旅館に分宿,近くの本田小学校に通ったと記されている。

 又終戦近く,新発田部隊の療養所となり,白衣の軍人看護婦も見受けるようになったと言う。
 終戦後は撤退解散となり,元の温泉場の姿に返ったようであるが,戦後の物資不足で客は電球を持参しなければ,泊められないと云う時代もあったと地元史に記されている。それからだんだん,温泉地から,観光地と呼ばれる時代に変って行き,各旅館とも増築が出来る状況の中で,共同浴場も新旧2ヶ所有ったが,この浴場へ通う時代ではないと源泉協同組合を設立して,昭和32年(1957年)8月各旅館に温泉を引湯し,名実共に観光地,温泉旅館としての仲間入りをしたと地元史に記されていた。

 この月岡温泉に行った時の話を記しておきたいと思う。
 同室の友人と,ホテルに着いてすぐに一風呂浴びる事になった,彼の指には「プラチナ」の指輪が光っていた。さほど気にもしなかったが,風呂から上がって,部屋に戻って驚いた,彼の指輪が白光から黒光に変わっているではないか,本人は諦めている様だったが,他の友人が,フロントに相談してみてはと,一案を出した。早速フロントに行き,見せた所,10分ぐらいで元の白光の「プラチナ」に変わったのである。その磨いたタオルには,真黒のコナがついていた。

 この温泉の泉質名を記し見ると,「食塩含有硫化水素泉」と言う名前である。内容を調べて見ると,成分の主体は,「硫酸イオン,塩素イオン,ナトリウムイオン,(特に硫化水素含有量日本一,すなわち世界一)」だと言うのである。
 化け学の事がまったく解らないが,硫化水素等は硫化することは知っていた。浴場の説明書を見て見ると。
 金属類,18K以下の金,銀,銅,真鍮,鉄鉛類。
 これらの金物を温泉に浸すと見ている間に硫化して真黒くなる。従って浴室内には貴金属,時計,指輪,硬貨,カミソリ,等は持ち込まぬ事と書いてあった。説明書を見なかっただけの事で反省。
 このような泉質だけに体への効能は大変な効果があると言うのである。
 一部書いてあった事を記して見ると,
 肩こり,神経痛,リューマチ,婦人病,喘息,胃腸病(飲用可),痔病,病後の回復,ノイローゼ,洗顔,入浴による美肌作用,この所が記首の童話となったのであろう。
 この温泉の宣伝文句をもう少し記して見ると…。
 当温泉の効用は,一口で云って素晴らしい効能のある温泉であり,不老長寿,美人になれる温泉の要素を豊富に含む天下の名泉であると。
 入浴後はぽかぽかといつ迄も暖かく長時間の残温が体内に残り,温まり気持ちが良い。
 口に含むと,塩っぱい,苦い,渋い,の3つの味がする,浴室には硫黄の香りがして,温泉地に来たなあと言う気分はあった。等々であった。

 最盛期には,
  旅館数  30軒
  飲食業者  30軒(スナック,食堂,寿司屋等)
  商店業者  40軒(みやげ店も含む)
  芸妓置や  45軒
  芸妓   230人いたと言う

 最近は,最近行った時に聞いた話だが,
  旅館数   22軒
  芸妓    100余名とある。
  ナイトスポット  12軒(スナック,カラオケ,酒処等)
  飲食業者  20軒(寿しや,食堂,ラーメン等)

 地震の影響もあって,不振の様子が分かるが,除々に回復が見えて来ていると言う。がんばれ新潟,がんばれ月岡温泉。

 月岡温泉の位置
  新潟県新発田市月岡温泉
  旧,新潟県北蒲原郡豊浦町大字月岡

 東京?上越新幹線約2時間で新潟駅
    白新線(快速)で12分豊栄駅
     〃  〃   22分新発田駅
        豊栄駅からタクシー15分 月岡温泉
        新発田駅からタクシー15分 〃

 車では東京から?340km(豊栄新潟東港I.C)
         約12km(約16分)−月岡温泉

 温泉雑感について
 近代社会に於て複雑化する社会機構と相反して,長命の人達が大変多くなり,誠に喜ばしく,嬉しい思いではある。
 また,いつ迄も健康であり,楽しく,有意義に過ごせるよう努力することが寛容であるとも思う。
 また,特に女性の場合は常に美しくありたいと願う事は,全ての人々の特に男性の希望でもあると推察する。
 最近とみに,ある温泉騒動に端を発し,法律まで変わり,温泉そのものが見直されて来たが,お客側の立場でも,温泉を見直す空気が頓に出初めたことは,大変結構なことだと思うのである。
 地球上に於ける大自然の恵みである尊い地下資源の一つである温泉が,殊に日本国は世界一の温泉国である為,安易に考え温泉の有難さ尊さをあまり考えず,少々忘れがちで,唯単なる場として利用するに過ぎない考えの人も多いかも知れない。
 昔は湯治と称して,健康管理に大いに温泉を活用し,様々な病を治し,数日間湯治療養生活を送り精神療養と共に,お互いの心を慰安する良き機関であったと言われる。
 しかし,現代は,近代医学による医療,医薬にのみ頼りがちの状態であり,単に観光旅行での一泊旅行とか,短時間の癒やしのみの利用も結構ではあるが,温泉の真の目的である医薬で治せぬ温泉療法も大事だと思う。最近見直され,各温泉地にも温泉病院なるものが見かけられるようになった。真の効果を問いたい所である。

 この月岡温泉の泉質が前にも記したが「食塩含有硫化水素泉」で金属類を硫化し,セメントの腐食甚だしく,浴室内におけるタイルが短期間ではげ落ちる程,化学的に発生する硫化物が人体に危険なものであるとされながら,この温泉に含まれている硫化物は非常に治療効果は大変良好であることが未だ解明されていないと言うのである。
 従って,この月岡温泉は,幻の源泉であると言うことであった。

平成18年3月12日記

 カタログ参考 京風の宿,ホテル「清風荘」

          新潟・「月岡温泉」    (H18.3.6)

           月岡の田畑の中に
           油のかわりにお湯が出て
           温泉町と 変化した
           食塩硫化水素の泉質で
            肌は つるつる
           美人になると
           温泉案内に書いてある
           旅館の件数20軒あまり
           新潟地震の影響もあって
           豪雪に不振も続いたが
           じょじょに活気も取りもどす
           がんばれ,がんばれ月岡温泉

私の泊ったホテルの玄関。ここ月岡温泉で2番目に大きいホテルとか,600人ぐらい収容する。

文面に出て来る「石像」である。露天風呂にいて,美人になるよう願っているようであった。
 

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