見たり,聞いたり,探ったり No.75
「熱川温泉」と言う温泉場
青木行雄
以前「道灌の湯」と言う湯が,熱川温泉の海の近くで太田道灌の像の下にあって,入口は男女別々だが,中は混浴であった。平成13年(2001)今から5年程前に伊豆興産と言う会社が倒産,管理下の「熱川シーサイドホテル」と言うホテルがこの「道灌の湯」を管理していたので,同時に営業を停止した。
当時は,各地で大型リゾート関係が営業不振で行き詰まって倒産した話をよく耳にしたが,あれから5年経ったので,そろそろどこかの会社が,熱川温泉の町でこの「道灌の湯」を再開しているのでは,と期待して行ったのだが,見事に外れてしまった。
海岸に建ったこのホテルも,この湯も,5年前のまま手も加えていないので,あわれな姿を露出していた。特に「太田道灌の像」は赤茶けてなんとかならないものかと心が痛んだ。
熱川温泉の町自体は,ぼちぼち上むいて来たのかなあーと言う所である。今,各温泉地もクラブツーリズムとか阪急旅行社とかJR等の旅行パックに便乗したホテルは,安いながら,経営が続けられているようだ。
ここ熱川も何軒かのホテルは賑わっていて,今回もグループでそのパックを利用した次第である。
熱川温泉の概要
東京からJRの特急「伊豆の踊子」号で約2時間30分,東伊豆の海岸沿いに湧く温泉で,前にも記したが,江戸城築城で知られる太田道灌が,猿が湯浴みをしているのを見て湯場を開いたのが始まりとされていると言う。急な坂道のあちらこちらで噴煙があがり,温泉場らしいたたずまいである。又射的や遊技場などが並ぶ街並もあって,昔懐かしい温泉情緒もまだ残っている。地主が弁財天の夢のお告げで温泉を掘り当て財を成したという「お湯かけ弁才天」の祠も名物で,お湯をかけて願かけする人が跡を絶たないと言っていた。
熱川温泉の見どころとしては,熱川バナナワニ園がある。豊富な湯量の温泉熱を利用して,バナナと世界の各地より集めたワニを飼育している。体長5m以上あるミシシッピーのワニを始め27種350頭ものワニの中には,白いワニや,歯の噛み合わせの悪いワニもいたりで,ちょっと異様な雰囲気であった。
又温泉街のすぐ目の前に広がる東伊豆唯一の砂浜の海水浴場もあって,夏は家族連れも多く,天気の良い時は水平線に浮ぶ伊豆七島も見えるらしい。又海岸には,波打ぎわに天然露天風呂もあって,大いに楽しむことが出来る。
温泉の泉質は,含芒硝食塩泉,含重曹食塩泉,弱食塩などと記されているが,ちょっとしょっぱいが,無色できれいである。温泉は100度と言うので,沸かす必要はなく「かけ流し」であった。
効能として,リューマチ,神経痛,創傷,火傷,胃腸病,筋肉痛,関節痛,五十肩,腰痛,冷え性などに効くと記されている。
熱川温泉マップを見ながら源泉を拾ってみると,白煙をもくもくと上げる駅前の駅前浜田源泉を始め,この小さな熱川温泉内に17本ぐらいあった。凄い源泉である。
そして,宿泊施設は一覧表の中にあるものだけを見ると26軒あった。この内,何軒か営業をしていないようなので,現在は20軒ぐらいであろうか。
|
※ 伊豆熱川駅,「伊豆急,伊豆の踊子号」の停車駅である。駅前にも噴煙が上っている。 |
前にも記したが,室町時代に太田道灌が発見したと言われているのに,温泉は古くからあったにも拘らず,明治7年に告示された日本の温泉地税の一覧には,熱川温泉の名前も,地名である奈良本の名前もなかったと言うから,殆ど知られていない。険しい峠と切り立った入り江に囲まれた熱川は,人が容易に行ける所でなかったのであろう。昭和八年に伊東からの道路が開通するまで,陸路も海路も閉ざされた土地だった事になる。
海岸に湧く熱い温泉は奈良本と言う場所の共同浴場で,他の土地からわざわざ入りに来るような環境ではなかったようである。
“トンネルを越えると雪国だった”ではなく,“トンネルを抜けると突然湯煙の櫓が見えた”,と言う所か。これも前に記したが,駅を降りて海まで傾斜地をおりて行くと蒸気を上げる温泉櫓がやけに至る所に建っているのが見られる。
東伊豆は今でも「サヤエンドウ豆」が収穫され有名と言うが「成金豆」とも言って,お菓子もある。どうしてなのか調べて見た。
『昔,木村弥吉と言う方が,熱川・奈良本に住み,大変働き者で,朝は鳥の鳴き声で仕事をはじめ,星の光で畑を耕したと言う偉いお方がいました。
ある年,いつものように春先に収穫する「サヤエンドウ豆」の種子を蒔いたそうな。その時,こぼれた種子が,急斜面のせいもあって海側の陽だまりに,12月だというのに芽をたくさん出し花をつけて実ったのである。
伊豆の暖かさと,温泉の地熱が幸いしたのである。時期外れの「サヤエンドウ豆」を弥吉氏は大事に収穫し,早速,市場に出荷したところ,新春に相応しい軟らかい緑色の「サヤエンドウ豆」は人気が高く高値で売れたので,伊豆の特産にしようと思い立ったのである。
こうして,暖かい斜面と温泉の地熱で「サヤエンドウ豆」は大収穫され,市場で高値で売れ,思いがけない大金を手にすることが出来た』と記されている。
金を大儲けして,大金を手にした人のことを「成金」と呼ぶが,「サヤエンドウ豆」によって成功したことから「サヤエンドウ豆」を人々は,いつの日か「成金豆」と呼ぶようになったのである。
こぼれた種子から「サヤエンドウ豆」は評判となり,熱川地区を中心に地域の人々も栽培に一生懸命に作ったので,生活が潤うことになったと言う「サヤエンドウ豆」物語でした。
今回は,実は「カターラ福島屋」と言うホテルに宿をとった。気に入ったので宣伝費なしで,少々このホテルの事について記して見たい。
創業は明治41年(1908)と言うから,かなり古い歴史がある。創業時の名称は福島屋と言った。創業者は前に記した「サヤエンドウ豆」で成金になった「木村弥吉」氏であるのだ。
屋号「福島屋」の由来を聞いて見ると,創業者の弥吉氏が生れたのが今の大仁町で,以前は三福村と言っていたので,この福をとり,海の目の前に見える大島の「島」を貰ったと言う。
それが現在の「カターラ福島屋」である。
昭和45年と言うから,今から36年も前のことであるが,「細うで繁盛記」と言うテレビドラマで,新珠三千代と言う女優が主演のテレビが当時大ヒットした。高齢の方にはご記憶の人もいると思うが,このドラマに登場した旅館がこの建てかえる前の「福島屋」がモデルだったと言う。そのヒットのお陰で「福島屋」は勿論のこと,この熱川温泉自体が全国区となって知名度が上がり,景気上昇も加わり,大勢の観光客が押しかけることになったと言う。
そんな中,将来を見越して,熱川が全盛の80年代に福島屋はホテル形式の「カターラ福島屋」として生まれ変わったと記されている。
熱川温泉の草分けとして旅館を始めた福島屋は,今また新しい旅館スタイルの先駆者になっていると業界紙に記されているが,温泉旅館と言うイメージはない。これがこれからのスタイルなのかも知れないとも思う。
昔,何年か前までは「ジャングル風呂」と言う熱帯植物を植えた浴場をよく見かけたが,最近はあまり見かけなくなった。地方の大きな旅館には良くあったものだが,それがこの「カターラ福島屋」にはあって,実に懐かしかった。しかも混浴であったのだ! 浴場館内には大小合わせて10ヶ以上の風呂があって実に楽しい思いであった。
昔は混浴の温泉は多くあったと聞くが,最近はいたって少なくなった。だが探して見ると結構あるもので,1温泉場には1軒ぐらいはあって,探して行くのも醍醐味の一つである。
「カターラ福島屋」の概要
名 称 「ホテルカターラ福島屋」
創 業 明治41年(1908年)
創業者 「木村弥吉」
カターラの意味 マライポリネシア語 日の当たる場所
従業員数 80名
客室数 74室(全室海側)
宿泊可能人数 280名とある
源泉保有数 3本(自噴泉)
室内プール 20m 6角変形型
カラオケラウンジ,カラオケルーム,ゲームコーナー,売店等がある。
熱川温泉とはこんな所であるが,まず温泉が豊富で「かけ流し」が最高である。それに温泉情緒があって,温泉場と言うイメージがまだ残っている所が嬉しい。そして更に,混浴の旅館がまだあった事である。
そして帰りに,駅前の屋台風の店先で,サザエの壷焼きとイカの一夜干しを焼いて貰い,「伊豆の踊り子」で熱川温泉を後にした。
|