東京木材問屋協同組合


文苑 随想


『歴史探訪』(5)

江戸川木材工業株式会社
常務取締役 清水 太郎

 『以後の情はかけられぬ』これは室町幕府が滅亡した一五七三年を記憶するためのキーワードです。将軍義昭は織田信長に追放され,室町時代は終焉します。
 万世弥栄を誇っていた西武王国も,二代目総帥のワンマン経営が禍して,義明氏は会長の座を降ります。義明氏は父康次郎の墓を鎌倉に建て,まわりを開発して鎌倉霊園を経営し,親孝行と事業を同時に実行しました。
 小生もその恩恵を受けて,園内に墓地を購入し,太平洋戦争で亡くなった父の墓を建て,供養することが出来ました。五年前に母が九十四才で大往生を遂げ,以後,月一度墓参の度にまわりを散策する習慣が身に付きました。『みなここに,三つのうろこと,名も高時が,うかれ天狗の酒盛に,祇園豆腐の田楽舞いは,さすが日本にたぐいなき』
 これは昔習った小唄の文句です。
 鶴岡八幡宮から壇かずら沿いに百米くらい歩いて小路を左に入って行くと,大仏次郎の邸跡を経て,祇園山ハイキングコースがあります。小高い山を登る途中に北条高時切腹櫓跡があります。
 鎌倉には七ヶ所の切り通しがあり,そこさえ固めておけば決して陥落しない,と云われて居りました。
 最後の執権,高時は,京から芸人を呼んで歌舞音曲に明け暮れ,自らも天狗の面をかぶって舞い手として楽しんで居りました。前出の小唄はその派手な遊興振りをうたったものです。
 堅牢を誇った要塞も,新田義貞の軍勢が,潮の引いた七里ヶ浜から攻め入り,高時の屋敷に火をかけ,哀れ高時は切腹して果て,鎌倉幕府は滅亡します。




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