東京木材問屋協同組合


文苑 随想

原木(丸太)商売盛衰記(続)

蔵見 雄作

 月報16年5月号より11月号迄7ヶ月にわたり書かせて頂いたので記録にある方もあると思うが,過日,平住製材工業の伊東龍男さんが店に来られて「珍しい物が入手したから…」と持参されたので,昭和初期の製材工場の歴史の一駒として述べさせて貰います。
 私共の住んでいる住居に隣接して,関東大地震の翌大正13年より大阪から移り,製材と米材丸太の卸売をしており,周辺には河川と堀割が多く存在した関係から製材工場は多数存在しており,河川も丸太で埋まれ尽くされていた様である。
 父も武市組合長の下で問屋組合の副組合長をしてる他に本所と深川の各種工場の団体である扇橋工業会にてホテル・ニューオータニを作った大谷米次郎の下で副会長として多忙の毎日を送っていた様であった。
 届けて貰った書類は昭和5年(77年前)4月10日より24日迄の深川区石島町14白坂製材所,労働争議に関する件で法政大学,大原研究所より発見された物で,当時は満州事変の始まる前で全国的に大変な不景気風が吹き荒れて失業者が全国溢れていた,と聞いていたので工場経営も苦労していた事と思う。
 又,社会党,浅沼稲次郎代議士の様な大物の人物が多くいたので,その対応にも苦慮したものと考えられる時代の出来事である。
 当時の工場の従業員(職工)は男21名(内朝鮮人4名)で17名は木材労働組合に加入しており,工場主より賃金を定額支払より能率低下して採算に合わなくなったので出来高払い(請負)制度に変更する申し出に対し,下記の様な要求書が出された。

要 求 書
(1)賃金値下げ反対 (2)請負制度反対 (3)解雇反対 (4)工場閉鎖反対
(5)衛生設備の完備 (6)勤続手当の制定 (7)雨具の設備 (8)健康保険の全額負担 (9)公傷の場合一人支給 (10)臨時休業の場合六分支給 (11)半休の場合,全額支給 (12)拾時迄,稼動の場合八分支給 (13)残業の場合,一時間一分五厘の割りで支給

 その後,両者で度々会合を重ね4月24日に東京府庁,調整課において下記の通りに解決した。

覚 書
(1)工場主は従業員に対し日給弐円未満の者は五分,弐円以上の者は壱割の賃金値下げ
(2)工場主は従業員に対し残業を為さしむる場合は壱時間壱分五厘の歩合を付与す
(3)臨時休業の場合は日給の六歩を支給す
(4)午前10時以後,作業を休止したる場合は日給の五分支給す
(5)工場主は勤続手当制度に関し極力,製材協会に於て制定すべく努力する事
(6)衛生設備は即時改善する事

尚,当時の警視庁総監は丸山鶴吉,内務大臣は安達謙蔵,社会局長官は吉田茂であった。

(何れも敬称略)



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