東京木材問屋協同組合


文苑 随想


『歴史探訪』(6)

江戸川木材工業株式会社
常務取締役 清水 太郎

 慶長五年(一六〇〇)九月十五日,関ヶ原の戦で東軍が圧勝し,徳川家康は天下を手中に収めました。一六〇三年,江戸に幕府を開き,平和な時代が始まりましたが,それでも家康には一抹の不安がありました。大阪城には,秀頼と淀君親子が居ります。家康は,秀吉の霊を慰めるという名目で,秀頼に命じて,京都にある方広寺を改築させました。方広寺は一五八六年秀吉が創建しましたが,その後地震で崩壊し荒れていました。家康の狙いは,豊臣方に大散財させて勢力を弱めることでありました。寺院の再建が成り,高さ十九米の大仏など,お披露目のとき,突然,方広寺鐘銘事件が起きます。鐘に刻まれた文字のうち,次の四つが発端となります。『國家安康』とは安の字を以って家康を分断する意図が籠められている,というのであります。
 これを思いついたのは,家康の宗教顧問であった天海和尚でした。豊臣方に釈明に来い,と呼びつけ,無理難題を云い,これがもととなって慶長十九年(一六一四)大阪冬の陣が始まります。一度は和睦したものの,内堀まで埋められて,翌年の夏の陣で豊臣家は滅亡します。後生の歴史家には,重箱の隅をつつくような云い掛りで,誠に評判の悪い天海ですが,次のような功績もあった,ということを尊敬する先輩から御教示を頂き,知りました。
 インドの南ポータラックという処に,観音が棲む聖地があり,釈迦の生地でもあったそうですが,釈迦の弟子達がそこから発祥した仏教を広めます。日本には六世紀に伝来しますが,七世紀に,中国の宝帯橋,インドネシアジャワ島にブロバドールの遺跡,日本では奈良の東大寺がほとんど同じ頃建てられました。宝帯橋は五十三のアーチで出来ていましたが,今は半分も残っておりません。ブロバドールには釈迦の教えが物語りとなって彫刻に刻まれています。釈迦達の教えは,日本では華厳と云われ,東大寺の経典に記されています。華厳の教えの中に次のような物語りがあります。
 若い修行僧,善財童子が獅子に乗る文殊菩薩の命を受けて旅立ち,五十三人の聖人を訪ねて教えを乞い,それを普及するというものです。二十七番目の聖人は十一面観音です。最後に,象に乗った普賢菩薩に会って旅は終わります。つまり東海道五十三次とは,各宿場を五十三人の聖人に見たてて,善財童子が旅をするという,華厳の教えを具現化したものであります。善財童子旅立ちのプレイベントが,東大寺二月堂で千二百年も続いている修二会(三月十二日深夜,煩悩を焼き尽くす意で大松明を持った練行衆が内陣をかけまわる)と云われています。日本橋の擬宝珠の飾り,羽根を持った獅子は文珠菩薩の化身です。
 この発想は天海によるものでありますが,華厳の教えを広め,その後長い平和の時代を演出した功績を見れば,方広寺の一件などは大事の前の小事と云うことが出来ます。むしろ徳川二百六十年の平和を築いた功績は大きく讃えられるべき,と私は考えます。




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