東京木材問屋協同組合


文苑 随想


『歴史探訪』(8)

江戸川木材工業株式会社
常務取締役 清水 太郎

  『富士の山 夢で見るこそ果報なれ 路銀も要らず 草臥れもせず』
 これは江戸時代,庶民の憧れであった富士登山を夢に託した狂歌である。当時の登山は現代のようなスポーツではなく,信仰とリクリエーションを兼ねた修業であった。江戸から歩いて行けば,往復十日はかかり,誰もが手軽に行けるものではなかった。そこで,仲間で講を組み,少しずつお金を積み立て,交代で出掛ける仕組を作った。多いときは江戸市内に二百以上の富士講があったという。
 しかし,江戸庶民の知恵は「町内に自分達の富士山を作れば何時でも手軽に拝める」という発想で,ミニチュア富士を作ってしまった。文京区の富士神社,戸山富士,江古田富士等が今でも残っている。
 庶民の間で次に人気のあった登山は大山詣でである。富士山より近く,高さも千二百八十米で,江戸から四?五日で往復することが出来た。大山は雨乞いの神様,阿夫利神社が頂上に在り,雨降りをもじって名付けられた。
 入山は旧暦六月二十七日から七月十七日と限られていたが,開山時は殷賑をきわめたという。
 今でも江戸から大山に到るルートが大山街道と云って名称が残っている処もある。
 地図を見ながら,江戸庶民が辿った足跡を探るのも,歴史探訪の醍醐味の一つである。
 小生も老境に入ってから,(1)家族で行ける(2)日帰り(3)温泉がある(4)うまい料理にありつける(5)歴史探訪ができる 等の条件を満たした 箱根,高尾山,鎌倉,筑波山等は,いつ行っても一日汗をかいて楽しめるルートである。
 大山は下社まではケーブルカーで行けるが,そこから頂上までのルートは険しく,危険が伴うので,最近は,車で蓑毛峠まで行き,そこから大山の頂上まで往復するルートを見付け,以来楽しく登頂出来るようになった。高低差五百米位で,距離はあるがゆるやかな登山道は私の体力には最適である。下山後は,鶴巻温泉に漬かって汗を流し,鎌倉時代,和田義盛の家敷があったという跡に出来た陣屋で御狩場料理を楽しむのもよい。




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