見たり,聞いたり,探ったり No.81
「奥日光湯元温泉と戦場ヶ原」探索
青木行雄
9月下旬のある日,奥日光の湯元温泉にて研修会があって,参加した。日光東照宮までは,何度か行く機会があったので,詳しいと思っていたが,奥日光までは足を進めた事がわりと少なく,記憶も薄い。
今回の研修会はたまたま私の知り合いが支配人をしている,奥日光のホテルであった。
実は,私は奥日光湯元温泉と言う所はひなびていて旅館も少なく,小さな温泉町だと思って行ったのだが,実情は大違いであった。
旅館やホテル等宿泊件数が地図でざっと数えても30軒以上ある立派な温泉街であった。
そしてパンフを見ると湯元は奥日光の奥座敷といわれ「国民保養温泉地」にも指定されており,又温泉の泉質は硫化水素泉で硫黄の匂いが漂い,牛乳色でいかにも温泉らしい温泉であったのである。
温泉源の由来についてパンフを見ると,
湯元温泉の発見については資料が乏しく定かではないと言うが,一説によると日光開山祖と仰がれる勝道上人が延暦7年(788年)この温泉を発見,背後の山を温泉ヶ岳と名づけ,その頂上に薬師瑠璃光如来を祀り,そこに湧出ずる温泉を薬師湯(瑠璃湯)と名づけた,と記されている。
泉質を詳しく記すと,含砒素含石膏土類硫化水素(硫黄泉)となっている。
泉温は, |
摂氏74.7度C |
湧出量, |
626.5立/分 |
適応症, |
心臓弁膜症,慢性関節リウマチ,慢性筋肉リウマチ,神経痛,神経炎,陳旧性梅毒又は変性梅毒殊に脊髄癆,慢性金属中毒病,慢性皮膚病,糖尿病,慢性婦人科病疾患等である。 |
先に奥日光の湯元温泉についてふれて見たが,日光国立公園奥日光地域のプロフィールについても記して見たい。
日光国立公園は,昭和9年(1934年)12月4日,阿寒,大雪山,中部山岳及び阿蘇国立公園とともに指定されたと言う。当初,指定区域は日光,尾瀬,奥鬼怒地域であったようだが昭和25年(1950年)に区域が拡張され,那須,甲子,塩原,藤原,栗山,足尾地域が加えられたと記されている。
公園区域は福島,栃木,群馬,新潟の四県にまたがり,公園面積は140,021ヘクタールあると言われる。
関東地方の北端に位置する本地域は,那須火山帯に属する山岳地域で那須岳,高原山,男体山,太郎山,燧ヶ岳,至仏山と2千メートル級の山々が連なり,それを覆う亜高山性針葉樹林やミズナラ林などの原始性の高い森林と相俟って,傑出した景観を見せている。
更に,中禅寺湖,西ノ湖,湯ノ湖,菅沼,丸沼,尾瀬沼などの湖沼のほか,華厳滝,竜頭滝,湯滝,三条ノ滝など多数の滝があり水が変化に富んだ景観をつくり出しているのも特徴的であると言う。
本州最大の高層湿原である尾瀬ヶ原を始め,戦場ヶ原,鬼怒沼湿原は,景観上も学術上も極めて価値が高く,特異な湿原景観を見ることが出来る。
那須岳は今でも噴煙を上げている活火山である。
また,湯量豊富な温泉にも恵まれ,那須,塩原,鬼怒川,川治,湯西川,奥鬼怒,日光湯元などの温泉地には,四季を通じて多くの人々が訪れると言う。
利用者は全国28の国立公園の中で4番目に多く訪れると言い,年間2千30万人に上ると言われていると記されている。
そして,日光は,2千5百メートル級の白根山をはじめ,男体山,女峰山などの山々にかこまれた中,戦場ヶ原湿原,中禅寺湖,湯ノ湖,湯滝,竜頭滝,華厳滝などが配され,典型的な山岳景観が見られる地域である。
首都圏から比較的近い位置にありながら,車道はその中央を貫く国道120号線及びそれから分岐する数路線のみである。森林は一部に植林したカラマツ林があるものの,亜高山性針葉樹林や,ミズナラ林などの自然性の高い森林が多く,自然がよく残っている。そのため,ツキノワグマやニホンジカなど大型哺乳類も多く生息しているが,シカについては,増えすぎによる弊害が起り,自然環境に影響する深刻な問題が持ち上がっていると言う。
又,日光の山は関東の霊峰として崇敬され,奈良時代末期に勝道上人が男体山頂をきわめて以来,山岳信仰と修験道の霊場であった。毎年7月31日深夜から始まる登拝祭は特に知られ,一週間の期間中は大変な混雑となるらしい。
一方,杉の巨木に囲まれた日光二荒山神社,日光東照宮,日光輪王寺一帯は,自然と人工美の混然一体としたまれな地区であり,特別保護地区に指定されている。平成11年12月,二社一寺の国宝・重要文化財を含む103棟の建造物群と周囲の境内地は,「日光の社寺」として世界文化遺産に登録され,以前にも増して修学旅行や海外からの観光客など,多くの参拝者,見学者で賑わいを見せていると言う。
また,国立公園は,その景観と質により特別地域と普通地域に区分して管理されている。特別地域は,その重要性に応じて更に分けられ,特別保護地区及び第一種から第三種までの地域に分けられている。特別保護地区は公園の核心部で,殆どの行為が厳しく規制されている地区である。特別地域に含まれていない地域を普通地域とし,ここでは特別地域より規則が緩やかであると言う。
日光地域の場合,白根山・太郎山・女峰山の山頂部,戦場ヶ原,鬼怒沼,湯滝,竜頭滝,華厳滝,野州原(シロヤシロ群落),日光山内(二社一寺の境内),が特別保護地区に指定されていると言う。そして,健全で快適な環境を確保し,適正な利用を図るため,公共的な公園施設を重点的に整備する利用拠点として「集団施設地区」が設定されている。日光地域の場合は湯元,中宮祠,光徳の3ヶ所であると記されていた。
さて,我々一行は研修会の翌日,大変な天気に恵まれ,朝から雲一つない晴天であった。めったにないと言うこの晴の日を利用しない手はないとホテルにおにぎりの弁当を頼み,皆で戦場ヶ原ハイキングコースに挑戦することになった。
皆でわいわい言いながら,ホテルに弁当と水を用意して貰い約2時間のコースに出発した。やっぱり年齢の差が物を言う時が来たようである。ゴールまでに2?30分の差が出来てしまった。
昔,山が好きで良く出掛けたが,最近機会が少なくなった。久し振りの山歩きに,いささか興奮気味である。実は奥日光にこんな素晴らしいハイキングコースがある事を知らなかった。森の中,草原,湿地帯,川のほとり,等々歩く訳だが,殆どと言っていい程,板や角材で歩道が整備され,誰でも気軽に歩けるようになっていた。
大自然の林や森の中,ごうごうと流れる大きな滝,小さな滝,広々とした草原。コースを追って少々説明したい。
湯元温泉のホテルから,自家用バスで湯滝口まで送って貰い,ここから歩きの出発であった。湯ノ湖から流れる豪壮な湯滝は一見の価値がある。
長さ110メートルもあると言う滝は岩肌を水がまっ白な泡を立てて滑り落ちている,見事な見ごたえのある豪壮な滝であった。
三岳火山の噴火によって,川がせき止められて湯ノ湖が出来たと言うが,その湖から溢れ出ている水の流れがこの湯滝である。
この湯滝から15分程行くと小滝に出る。規模はその名の通り小さいが,水が垂直に落ちている滝で,その形はたいへん整って美しく,自然の造形の妙を感じさせてくれた。画でも一筆書き留めておきたい所だが,生憎,その腕がない。
紅葉の時期にはちょっと早かったが,紅や黄の葉に彩られた風景を想像するだけで,この小滝は絵ハガキの絵のようであった。
森や林,川にそって30分程歩くと泉が湧く泉門池に出た。
泉門池は,一般に「せんもんいけ」と私もそう読んだが,正式には「いずみやどいけ」と読むようである。名のいわれは定かではないと言うが,一説には昔,ここに行者の宿があったと言うことらしい。
今は池の水位が低くなり,池というより川のようだが,最近まで水位が今よりも1メートル近く高く,池の面積も大きかったようである。そしていよいよ湿原原野が見えて来る。この湿原にはヌマガヤが一面に見えた。天気のせいもあると思うが,実に壮快なその時の風景は,言葉には現わせない景色であった。
以前,穂高の大正池に行った時,水の中に唐松の枯木が立っている風景を見た事があったが,この戦場ヶ原の湿原に同じ枯木を見ることが出来たが,自然の美しさに感動の風景であった。
それから又森の中に入った時,シカに出合った。10匹程のシカは,人間には見むきもせず,黙々となごり草とも言うのか,これから厳しい寒い冬になる前の枯れ始めた草を食い貯めしていたのであろうか。
途中で一回休憩はとったが,草原のすがすがしい空気と見事な景観に日々の仕事も忘れ,黙々と歩いた。そして全員の集合場所,赤沼に着いたが,途中で昼食も食べず,忘れていた訳ではないが,何年振りかのハイキングに全員,興奮気味であった事は,確かであった。
赤沼にてそれぞれ,昼食を済ませ,待合せのホテルのバスに乗り,最寄りの駅まで,送って貰った。
今回,研修会のこのホテルは,以前日光に来る修学旅行生を集団で泊める為に出来た広い部屋の多い旅館であり,一時毎日が修学旅行生で大繁盛の時代もあったようだが,時代も変り,経営方針も変えて,生き残り大作戦中であった。どこの温泉地もそうだが,客満足にどう対処するかにあると思う。
そのホテルに見合った低宿泊料金は勿論だが,サービス,送迎の足や,料理等々,又このホテルには,条件はあるがペットと一緒とか数々のサービスが加味されていた。
満足度にもいろいろあり,その時の旅行目的,内容にもよるが,料金から考えると,この研修旅行は,天気にも恵まれ,素晴らしいハイキングも出来て,大自然に癒やされての旅行は研修とは別に大満足であった。
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※のこり草をがむしゃらに食べている,野生の「シカ」。 |
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※枯木の唐松の大木,紅葉が始まった草花のコントラストが素晴らしい。見て下さい,この晴天。カラーでないのが残念です。 |
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