『歴史探訪』(13)
江戸川木材工業株式会社
常務取締役 清水 太郎
数年前から起った江戸文化・歴史ブームは,年が明けても一層勢いを増している。 昨年11月3日,約一万人の受験者を集めて実施された,江戸文化歴史検定の合格者発表通知が仲々届かないので,てっきり不合格とあきらめていた処,1ヶ月程遅れて我が家に配送された。同封されていた江戸東京博物館の招待状は,新年2日から開催されていた特別展『江戸城』であった。今年は太田道灌江戸築城550年目に当る。550年前と云えば,応仁の乱勃発の10年後である。
西暦1467年,“人の世空しく国破れ”,と覚えた。室町幕府時の将軍に子がなく,弟に位を譲ろうとしていた処,富子夫人に子が生まれ,跡目争いとなった。双方,有力守護大名が後循となり,東軍西軍に分かれ,京都で火蓋が切られ,日本は戦国時代に突入する。
第一次世界大戦の発端は,オーストリアの王子が一青年に暗殺されたことで,周辺の国だけでなく,世界中が巻きこまれた。西暦1914年,“行くよいよいよ青島へ”。日本も敵国ドイツ領の青島を攻めた。
太平洋戦争では,米軍は文化財を焼くことをためらって,決して京都に爆弾を落とすことはなかった。今でも京都では,「このあいだの戦争」とは,はるか500年以上前の応仁の乱のことを云う。
西国では,下克上の風潮に乗じて国創りをした毛利元就,関西で馬の鞍を造っていた伊勢新九郎と名乗る職人が,駿河の今川氏を頼って進出し,五代で関東に帝国を築いた北条早雲,室町幕府に取り入り,関東管領のお墨付をもらった上杉謙信等,群雄割拠,志と力量さえあれば,誰でも天下を取れる土壌があった。
今年のNHK大河ドラマは風林火山,主人公はついこの間まで架空の人物とさえ云われていた,武田信玄の軍師,山本勘助である。原作者は井上靖であるが,脚本家の筆次第で,今年一年は勘助の活躍が日本中を湧かせ,大きなブームになることでしょう。
武田家の戦法を著した『甲陽軍艦』は勘助の息子が書いたと云われている。
徳川氏に滅ぼされた武田家に伝わる戦法を幕末に吉田松陰らが学び,倒幕を志す志士達に教え,これが徳川幕府を倒す原動力になったとすれば,これは歴史の皮肉な巡り合わせである。
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