東京木材問屋協同組合


文苑 随想


『歴史探訪』(14)

江戸川木材工業株式会社
常務取締役 清水 太郎

 『東風吹かばにほひおこせよ梅の花 あるじなきとて春な忘れそ』
  これは平安時代,才を妬まれて九州の大宰府へ左遷された菅原道真が都を懐かしんで詠んだうたである。
  今,梅の季節である。水戸の偕楽園,熱海の梅園まで足を延ばさなくても,近くで観梅を楽しむ処はいくらでもある。
  今日は立春,春の声に誘われて,池上梅園までやって来た。梅は大田区の区花になっており,白梅150本,紅梅220本等が傾斜地に植えられ咲き誇っている。
  平地には,茶室聴雨庵,清月庵がある。
  聴雨庵は,藤山愛一郎氏が所有していたが,今は大田区に寄贈されている。昭和十九年,ここで岡田啓介,米内光正,末次信正らが,東条内閣打倒の密議を行った。
  清月庵は,敷地内にあった伊東深水のアトリエを設計した建築家川尻善治が自宅の離れとして使っていた。
  梅園から南へ歩くと本門寺がある。東急池上線の池上駅前に立つと,前方に加藤清正が寄進した96段の石段が見える。私は通勤で,半蔵門線に乗り,永田町で有楽町線に乗り替える時,エスカレータを使わずに,毎日必らず階段を歩き,体調の目安にしているが,その段数が奇しくも同じ96段である。しかし,通勤で上る階段はいくら頑張って上まで行っても,地下であることに変わりがないが,本門寺の石段は,一段上るごとに,まわりの視界が展がって行くのが素晴らしい。この石段を此経難持坂(しきょうなんじざか)と云うが,由来は法華経で,困難を一つずつ克服する毎に,理想に近づく,という意であろうか。
  入口総門に掲げてある扁額は江戸初期の文化人,本阿弥光悦の書による。石段を上り切ると,右手に大きな日蓮聖人の白い像がある。寄進者は富山県の某企業で,アルミ製であることを知り,少し驚ろいた。
  大堂の手前は,昨日節分の追儺式で豆撒きの舞台にする為の桟敷がまだ解体されずに余韻が残っている。大堂外陣天井に描かれた龍は川端龍子による。堂内は信者を集めて法要が営まれ,読経が響いている。
  日蓮聖人を荼毘に付した跡地に宝塔が建てられた。聖人遠忌550創建であるから,江戸時代末期の作で,方形の屋根の下に円塔形の赤い本体が特徴である。
  廻りは廣い基地で,前田利家側室の墓,新らしい処では,暴力団の凶刃に倒れた力道山の胸像のある墓があり,お参りというより,見物に訪れる人が多い。
  江戸初期,小掘遠州によって松濤園という奥庭が創られ,園内の四阿で,西郷隆盛と勝海舟が,江戸城の無血開城について協議をした。数年前に来た時は,誰でも入ることができた。今日は出入禁止となっている。室内で憩んでいる可愛いいお孫さんを連れた婦人にきくと,パンフレットをもらい,11の設問に解答した人に限り,庭の見学券がもらえるとのこと。解答して正解を得る為には,11ヶ所,主要建物のほとんど全部を廻って,案内板を丹念に見なければならない。
  本門寺さんの粋な計らいにより,今日は一日楽しく歴史探訪をすることが出来ました。

合掌



前のページに戻る

Copyright (C) Tokyo Mokuzai Tonya Kyoudou Kumiai 2007