東京木材問屋協同組合


文苑 随想

見たり,聞いたり,探ったり No.98

幕内力士の結婚披露宴(垣添関)と相撲界について

青木行雄
 「皆様お待たせ致しました。只今より垣添関と浅井栄美さんの結婚披露宴を開催致します」と司会刈屋アナウンサーの発声により,大披露宴が始まった。場所は台場のホテルグランパシフィックメリディアン地下の大宴会場「パレロワイヤル」の間である。
 テーブル数が70卓近くあり,600名を超える大宴会であった。さすがに相撲界の宴会は派手である。メインテーブルには角界の重鎮がずらりと並び名士も多人数であった。それに幕内力士も多勢参加しており,普通の披露宴とはかなり雰囲気が違い,派手であった。
 しかし丁度,相撲界の不祥事が発覚し,大変な時期であったので,とうとう最後まで北の湖理事長の笑顔を見る事は出来なかった,残念である。
 そして,北の湖理事長の主賓挨拶もあったがシンプルで,一般的な話に終った。だが次第に宴会は盛りあがり,力士達のテーブルでは,酒の一気飲みが始まり,気勢を上げる場面も見受けられた。それに歌舞伎役者の踊りや,一流バンドの演奏,歌手の歌など,4時間に及ぶ大宴会は盛大に続いた。一流の会席料理に引出物と並の宴会ではない。それにしても,幕内だけでも70人に近い力士全員の結婚式に出席するとは思わないが,角界の理事長もいろいろと大変だなあーと思った次第である。
※角界の不祥事で終止笑顔は見られなかったが何界でも長となる責任者の重責は大きいし、大変である。
※幕内力士のテーブルより正面を望む、中央の力士はエストニアの把瑠都関。
 「垣添 徹」1978年(昭和53年)8月12日生,30才。大分県宇佐市出身で武蔵川部屋所属。
 最高位は東小結(2004年3月場所),身長177cm,体重140kg。同郷の大横綱「双葉山の生涯」がドラマ化された時,少年時代の垣添が双葉山の少年時代を演じた事があった。
 大変人が良くて,口数が少なく,県人会や取りまきの人達に可愛がられて,好男子である。
 垣添の小学校時代にはわんぱく相撲全国大会に出場し,中学校時代には全国中学校相撲選手権大会で優勝して中学生横綱となり,地元ではその強さが知れ渡っていた。中学時代は相撲部でありながら陸上競技の地区大会にも借り出され活躍。200メートルで優勝している。宇佐市立北部中学校,大分県立宇佐産業科学高等学校,日本体育大学の相撲部に所属し続け,全国レベルの強さを誇った。高校時代から各部屋よりオファーがあったが進学,大学時代でも学生横綱に輝いた。インカレ団体戦においても活躍,常勝の日本大学を破り優勝した。
 2001年(平成13年)角界入りし,9月場所で初土俵を踏む。
 2003年(平成15年)に長らく怪我に悩まされた事もあり昇進が遅れ,ようやく入幕。
 2004年(平成16年)3月場所では三役(小結)入りを果たしたが,その後平幕に転落した。
 2007年(平成17年)2月7日,元全日本新相撲王者の浅井栄美さんとの入籍を発表し,台場での披露宴となった。
 現在は,東・西の前頭11〜16枚目あたりを前後しているが,足の施術もあって,回復が期待される。



※宴会会場風景である。700人近くの着席の場景は壮観であった。
※武蔵川親方、第57代横綱 三重ノ海、協会会長、協会健保組合理事長、協会No.2、垣添関は武蔵川部屋。
  相撲界とは,角界(かくかい・かっかい)ともいい,現在,大相撲を興行している日本相撲協会の体制を指す,となっている。日本相撲協会は,文部科学省所管の財団法人で,その評議員である年寄,その年寄が育成する力士・力士養成員,各部屋に所属する行司や呼出,床山,若者頭,世話人を含むとある。身内の人間以外を「余方」といい方をする場合もあると言う。広義にはこの角界を相撲茶屋(東京なら国技館サービス),取り巻くアマチュア,相撲愛好者(好角家),業界関係者などで構成する社会領域を差すとなっている。
 それでは「相撲」とは,
 相撲は,神事,祭り,国際的に行われている日本古来の武道・格闘技・スポーツ・プロ競技としては,日本国内で大相撲という形で興行が行われている。
 相撲は日本固有の宗教である神道に基づいた神事であった。健康と力に恵まれた男性が神前にてその力を捧げ,神々に敬意と感謝を示す行為であった。そのため礼儀作法が非常に重視されている。従って,力士はまわし以外は身につけず,裸身(に極めて近い状態)で道具を用いず,つかみ合い,相手の体を倒しあうことを競うレスリング系統の競技である。古代から現代に至るまで皇室との縁が深いと言う。そう言えば,明治天皇と山岡鉄舟が相撲を取り,天皇を投げとばしたと言う話は鉄舟の歴史の中に出て来る余話であるが,この縁とは又違う話であった。
 相撲の起源は非常に古く,古墳時代の埴輪・須恵器にもその様子が描写されているくらい古い話のようである,「古事記」「日本書紀」等にも書かれていると言うし,鎌倉時代には,源頼朝が相撲を奨励したと書かれている。江戸時代,職業としての今で言う大相撲が始まったらしい。又昭和11年6月相撲は尋常小学校の正課授業となったと言う。
 私も小学校の頃,正課として,週に1回ぐらい相撲をとった思いが忘れられない。
 相撲は男性が行う競技であるが,江戸時代から戦前にかけては女相撲の興行も存在したと言う。近年では,アマチュアの女子相撲(新相撲)が行われており「日本新相撲連盟」と言う組織があって,今回の垣添関の花嫁浅井栄美さんは,チャンピオンであったのである。
※垣添関夫妻のケーキカットだが、5メートルもありそうなケーキ入刀に、両力士の手には力が入る。(栄美さんは元女子全日本新相撲の王者であった)

 現在の相撲部屋の名前と部屋数
出羽海一門
・出羽海部屋 ・春日野部屋 ・北の湖部屋 ・玉ノ井部屋 ・武蔵川部屋 
・三保ヶ関部屋 ・入間川部屋 ・境川部屋 ・田子ノ浦部屋 ・木瀬部屋 
・千賀ノ浦部屋 ・尾上部屋

計12部屋
二所ノ関一門
・佐渡ヶ嶽部屋 ・放駒部屋 ・二所ノ関部屋 ・片男波部屋 ・峰崎部屋 
・間垣部屋 ・鳴戸部屋 ・尾車部屋 ・松ヶ根部屋 ・花籠部屋 ・荒磯部屋 
・阿武松部屋 ・芝田山部屋 ・大嶽部屋 ・貴乃花部屋
計15部屋
時津風一門
・時津風部屋 ・鏡山部屋 ・井筒部屋 ・伊勢ノ海部屋 ・湊部屋 
・式秀部屋 ・陸奥部屋 ・荒汐部屋 ・錣山部屋
計9部屋
高砂一門
・高砂部屋 ・中村部屋 ・東関部屋 ・九重部屋 ・八角部屋 ・錦戸部屋
計6部屋
立浪一門
・立浪部屋 ・桐山部屋 ・朝日山部屋 ・伊勢ヶ濱部屋 ・春日山部屋 
・大島部屋 ・友綱部屋 ・宮城野部屋 ・高島部屋 ・追手風部屋
計10部屋
・高田川部屋
1部屋
 以上,総部屋数,53部屋ある。

 現行の現役力士の人数を知らべて見ると,横綱が白鵬と朝青龍の2名に大関が琴欧州・琴光喜・魁皇・千代大海の4名,関脇が安馬・琴奨菊の2人,小結が稀勢里に豪風の2人。の計10人である。
 それに幕内が前頭1枚目から,16枚目まで東西合せて16+16で32名となる。そして十両が東西で14+14で28名となり,十両以上合計の力士合せて,70名になる。

 2008年(平成20年)2月25日更新の三月場所番付表
    (略)
 
 

※国・県別,幕内・十両力士の出身人数を調べて見ました。
        (20年3月場所現在)
      1位 モンゴル出身 13人
      2位 青森県出身  7人
      3位 熊本県出身  4人
        高知県出身  4人
      4位 福岡県出身  3人
        ロシア出身  3人
        大分県出身  3人
        静岡県出身  3人
      5位 茨城県出身  2人
        山口県出身  2人
        兵庫県出身  2人
        愛知県出身  2人
        グルジア出身 2人
        石川県出身  2人
        埼玉県出身  2人
        広島県出身  2人
      6位 1人だけの国・県の名前
        ブルガリア,エストニア,秋田県,大阪府,栃木県,韓国,愛媛県,
        福島県,東京都,鹿児島県,山形県,和歌山県,千葉県,新潟県。
      以上,幕内・十両合せて70人でした。

 

 相撲界の事について,いろいろと調らべて行くと奥が深く,歴史もあってとても簡単ではない事が分った。そして今回の様な逮捕と言う悲しい不祥事も発覚したのである。千年以上の歴史の積み重ねでマイナス面もいろいろ出たが,武道と言う日本の伝統文化の良い所は継続し,時代に合わせられる所は改革し,大衆に支持される,緊張感があって見て楽しい,相撲界であって欲しいと念願する次第である。

平成20年4月6日記

 

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