東京木材問屋協同組合


文苑 随想

見たり,聞いたり,探ったり No.104

「深川富岡八幡宮本祭り」“ワッショイ”

青木行雄
大分トリニータ優勝と大分県のこと
※ 試合中の会場風景であるが,見える部分のスタンドは全部
清水エスパルスの応援団である。芝はすべて天然芝であると
言う。手前に群がっているのは報道人達。
※ 我々の側の応援団,青と黄色のコントラストが美しい。
スクリーン側である,2万枚ぐらいボードを用意しており,私も
掲げたその1人である。
 優勝の瞬間,ウオーと言う歓声が,国立競技場を埋め尽くした。紙テープや小旗大旗や,それに予め用意された青色の手拭い,トリニータの応援者は全員総立となった。その時の雰囲気は説明の仕様が無いが,大分ファンが2万人は居たであろうあの歓声は,私の目と耳にこびり付いている。
 平成20年11月1日,13時35分開始,東京・国立競技場,2008年Jリーグヤマザキナビスコカップ“大分トリニータ×清水エスパルス”の決勝戦は5万人の大歓声の中に大分が決着を付けたのである。

 私はサッカーは殆ど分からないのだが,地元大分が決勝に進出とあっては,郷土を愛する1人として黙っている訳にはいかない。早速入場券を手に入れて,11月1日,千駄ヶ谷口からの入場である。試合開始1時間30分前の12時頃に入場したがほぼ満員であった。
 国立競技場の収容人員はカタログで5万339名となっているが,大分側,清水側と区分されており,大分青と清水茶との区別がはっきりと見て分かった。概算で見て,遠い大分2万人,近い清水3万人と言う所であろうか,近くに居た,大分の青年に聞いた所,朝飛行機で来て今夜帰ると言う。大分でこの券を1万枚売りに出した所,瞬時に売れたと言うから凄いファンも居るものだと感心した。交通費だけでも約3万円以上は掛かるのでサポーターも,大変だと思う。
※ 2×0のボードの掲示板がよく見える。
時間間際に写した,残りの1分でも安心は出来ないのがサッカー
と言うのだが。
※ 優勝の瞬間全員総立ち祝福の拍手,凄い歓声だったが,その
様子は写真では分からないのが残念である。

 翌朝の新聞を見ると青い紙吹雪が舞う中,選手たちは優勝カップを高々と掲げて歩く姿や,大分トリニータ監督のペリクレス・シャムスカ氏が頭に優勝カップをのせた笑顔の写真等も見られた。
 「歴史の扉を開こう」が大分トリニータの合言葉だったと言うが,この決勝戦で清水エスパルスを2?0で破り,歴史の扉を開く事となった。
 1994年(平成6年)野球場での練習からスタートした小さな小クラブのトリニータが6年前にJ1リーグに昇格し,6年目にして遂に九州の地へタイトルが関門海峡を渡ったのである。そして賞金1億円を獲得した。
 最優秀選手には高松が選ばれた。
 何も分からない私も会場に応援に来た人達,サポーターと共に大分もスゴイだろうと教員の汚名の風評も吹き飛ばしたい気持で一杯である。

 今年2008年(平成20年)大分には悪い事も記念すべき大行事もたくさんあった。この記念すべき大行事の記録のひとつに,これを残したい。






※ 会場風景。1,700人の目がイベントに集中。
※ 在京大分人会イベントの風景であるが,大分から,上京し,
1,700人の入場者から,大歓迎を受けた。「くれない太鼓」

 東京では昭和3年に発足した在京大分県人会が80周年を迎え,平成20年5月25日(日),芝のプリンスホテルにて,約1,700人が結集,盛大に祝賀会が行なわれた。記念すべき10年に一度の大行事である。代々会長は大企業の方を選出してきた。今回,80周年の時の会長は総合商社,丸紅の前社長辻亨氏が在任中である。
 大分県は九州の東側に位置し,温泉の豊富な県でもある。東京から遠いせいもある為かも知れないが,結束が固く,郷土愛が深い。頑固な所もあるがお人よしでもある。そんな大分が私は大好きだ。

 次に平成20年9月27日(土)大分国体開会式の様子を記しておきたい。

 第63回国民体育大会・大分国体の総合開会式が9月27日,天皇,皇后両陛下をお迎えして,大分市の九州石油ドームで行われた。10月7日まで11日間の大会が本格的に開幕した。式には各都道府県選手団のほか,式典音楽隊,ボランティア,一般観客ら合計すると,約4万人位の参加のようだ。

※ 九州石油ドーム,会場入口。以前は,「ビックアイ」と言っ
たが,はやりの名前貸しで,九州石油に売ったものである。
※ 開会の挨拶で天皇,皇后両陛下の御姿をスクリーンで見た。
挨拶が終わり,お帰りの際にお手を振られる皇后。

  私は初めての参加であった。オープニングアトラクション,歓迎演技,式典の3部構成で進められたが,大変感動の連続であった。
 午前中はオープンアトラクションがあり,“めじろんダンス”では一般公募した県民約500人が素敵に愛らしく踊りを見せてくれた。
 県人の太極拳愛好者約1,000人が会場一杯に息の合った演技,そして,和太鼓集団TAOの勇壮なステージも素晴らしかった。
 午後には30団体1,808人(新聞報道)による色々な歓迎演技があって,出演者は全国から集まった選手たちへの「歓迎の心」を技で表現した。「チャレンジ!おおいた国体」未来へチャレンジする元気な大分の姿を発信したのである。
 大分国体は,簡素・効率化や充実・活性化を掲げた「国体改革プラン2003」(日本体育協会)を完全実施するモデル大会でもあったそうだ。そして大分としては,「簡素な中にも夢と感動にあふれる大会」といった目標を掲げた大会であったと言う。
 出演者達はこの目標を重視して,一生懸命笑顔で演技したと思われる。


※ 選手全員集合して,挨拶する。森大会会長,47都道府県の
旗が並ぶ。
※ ドームの中に1,000人の太極拳愛好者の妙技,見事であった。
開会式前のイベントである。

 天皇,皇后両陛下のご動静については,発表されてない為,いつ頃ドームにお越しになるかは,定かではなかったが,夕刊新聞によれば開会式場近くの県運動免許センターで大会関係者とご一緒に,佐賀関の関アジ,姫島のクルマエビ,安心院ブドウなど県産品を使ったお弁当をご賞味頂いたとのことである。
 午後1時すぎ,天皇・皇后両陛下は会場にお見えになられ,そして午後1時51分開会式が始まった。
 47都道府県の選手団の入場行進が南から,私達のすぐ近くの下から順に始まった。入場毎にアナウンスがあって何県で何人参加かの放送にメモを取って人数を確認した。大分県選手団は姫野孝選手を旗手に最後に入場し,スタンドから大きな拍手が湧いた。

 そして,広瀬勝貞知事が開会宣言をして,大会会長の森喜朗日本体育協会会長の挨拶,塩谷立文部科学大臣は「大分らしさが随所にあふれる国体を体現する意義深い大会です」と挨拶した。
 天皇陛下は「選手の皆さんは日頃鍛えた力と技を十分に発揮し,互いの友情と大分県民との交流を深められるよう願います」と話された。

 その後,県内18市町村で採火された炬火が小川貴史,松下紗耶未両選手により点火があった。
 そして選手宣誓があって式典は終り選手団の退場が始まった。

 そして,大分のPRをしよう。
 大分の食材は私は日本一だと思っている。9年位前に全国味めぐり編でトップを切って紹介されたのが大分県だった。今年映画になった「釣りバカ日誌」にも大分の良さや食事がかなり紹介されているが,ブランドの魚,関アジ,関サバに城下カレー,これは絶品と言って過言ではないと,私は思っている。
 3年前にNHKの連続テレビ小説「風のハルカ」で大分の郷土料理が毎朝,画面に登場し紹介されたが,だんご汁,鳥天,やせうま,うれしの,きらすまめし,シシ鍋,がん汁,アミ飯,それに大分の食に欠かせない脇役が旬のカボスである。刺し身,焼き魚,汁物,焼酎等ひと搾りでその味をおいしく引き立ててくれる。
 別府温泉も昔から大変有名ではあったが,ちょっとこの所,下火の感がないでもない。
 そんな訳で,下火の別府が立上る。イベント,「別府現代芸術フェスティバル2009」がそれである。2009年(平成21年)4月11日(土)から約2ヶ月間,大分別府に行ってみよう,別府は戦災を受けていない為に明治,大正時代の建物街並や歴史が今もいたる所に残っている。
 そんな歴史と現代芸術を結び付けたイベントの様だ。私も是非参加したいと思っているが,その時は詳しく別府を紹介しようと思う。

 このように2008年(平成20年)行なわれた行事が大分県にとって,又私にとっていずれも参加が出来て,観戦出来た記念すべき1年であったので,記憶に残しておきたいと思い記して見た。
”大分がんばれ”

平成20年11月9日記

 

前のページに戻る

Copyright (C) Tokyo Mokuzai Tonya Kyoudou Kumiai 2008