『歴史探訪』(27)
江戸川木材工業株式会社
常務取締役 清水 太郎
1999年,甲州街道を歩いていた頃,その日は高尾駅からスタートし,夕刻まで府中に辿り着く予定で,日も暮れかかり,急いでおりましたが,右手に谷保天満宮があるので寄って見ました。
菅原道真が左遷されて九州に配置換えになった際,三男の道武がここに流されて来ました。
道真の死後,父の姿を彫って祀ったのが天満宮の始まりと云われています。『野暮ったい』という言葉の語源がここ谷保天満宮から来た,という説があります。息子の彫った道真の像の出来栄えがあまり芳しくなかったところから『ヤボ天』と云われたそうですが,真偽のほどは詳らかではありません。
私達は甲州街道から入ったのですが,平行して五米くらい低い位置に裏通りのような感じの細い道がありますが,鳥居の位置から判断すると創建当時は低い道路側が入口であったようです。国分寺崖地と云って多摩に向かって傾斜している地形が続いており,標示板に示されていましたが,多摩川に沿って東京湾の河口まで大古の昔は繋がっていたことを知ったのは,今年の初めです。
我が家は今建替えの為,解体し,仮住まいをしている岡本三丁目の借家が,国分寺崖地の頂上に在り,眺望は素晴らしく,徒歩数分の処に,関東富士見百景の坂と云われる傾斜22度の急坂は富士山に向って視界は大きく広がっています。坂を下ると小川が流れており,岡本公園と並んで,江戸時代後期の典型的な農家を移築した民家園があり,一昨日はミニ草鞋の制作イベントが行なわれ,農家の主婦が指導しておりました。
傾斜地から湧き出る泉で,蛍の養殖がされており,6,7月は源氏ボタル,平家ボタルの乱舞により幻想の世界が展開します。
裏口から出ますと,石の鳥居があって,四十八段の石造りの急階段の上には岡本八幡宮があります。石段下には岡本の住民,松任谷ユーミン夫妻が奉納した石燈籠があります。
男坂の石段と並んでゆるやかな女坂があり坂の上は,旧三菱財閥の岩崎彌之助,小彌太父子が設立し,約20万冊の古典籍と,古美術を収蔵している靜嘉堂文庫美術館の裏門があります。庭園は今梅が満開です。東洋の文化財が散逸していくことを危惧した岩崎父子は,当地を求め庭園とし,大正13年,青銅葺,スクラッチタイル貼りの洋館を建てました。1992年,新たに建てられた美術館では,「茶碗の美」と銘打って,国宝曜変天目始め,12?13世紀,宋時代から伝わる唐物茶碗,16世紀朝鮮時代から,高麗茶碗,16世紀桃山時代から,和物茶碗,等 81点の国宝級の展示が催されています。
当地は,六郷用水(今川家家臣 小泉次大夫が幕命により開削した)と谷戸川に挟まれた広大な緑地で,傾斜地から湧いた泉には,鯉が泳いでいます。
我が旧宅はようやく解体を終了,3月17日着工,秋には完成の予定ですが,仮住まいの約半年間,狭い地域ですが,玉川大師,法徳寺,吉祥寺,行善寺等の名刹や,岡山城から移設した,家老伊木家の武家屋敷門,仲代達矢氏の無名塾,パイオニア創設者松本夫妻の居宅であった,松本記念音楽迎賓館等,掘り起こせば未知の世界を一頁ずつめくって行くような楽しみがありますが,機会がありましたら体験を報告致し度いと思います。
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岡本三丁目の坂 |
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