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『歴史探訪』(34)
江戸川木材工業株式会社
常務取締役 清水 太郎
私が一念発起して始めた街道歩きは,1999年12月に終了しました。1994年春,日本橋を振り出しに,東海道,中山道,日光街道,奥州街道,甲州街道と,約6年かかって五街道を踏破しました。以後,新たな目標を立てて挑戦することもなく,毎日を平穏無事に過ごしておりましたが,気懸りなことが一つあります。
奥州街道行脚を白河の小峰城で終了したとき,もっと北へ行き度い,北の空が呼んでいるような気が致しました。
10月初旬,所用で古川まで行く機会がありましたので,この機にみちのくの香りを嗅ぎに行こう,と勇んで出掛けました。
東北新幹線の車窓から見る田園風景は秋酣で,黄金の波が揺れているような刈り入れ前の稲穂を眺めておりますと,よくぞ瑞穂の国に生まれたことだと,先祖に感謝したい気持になります。
仕事は午前中で終わり,昼食後仙台に出ますと,駅は行楽の人で溢れんばかりで,伊達政宗一色という感じであります。高齢の方がツアーを組んで,引率者の指示や説明に,並んで熱心に聞いておりました。今日はどこをまわるのでしょうか。私も一緒について行き度くなりました。
新幹線に置いてある小冊子を見ますと,若し伊達政宗があと二十年早く生まれていれば,信長,秀吉の後に,家康や石田三成等と天下を分けて戦っていたのではないか,という仮説を立てて特集記事を載せていました。
正宗は500年以上前に,もっと北方で繁栄していた藤原三代のような栄華を夢見ていたのではないかと思われます。当時の出羽地方は世界で最も多くの金を産出していました。藤原氏は対中国貿易を盛んに行い,金で支払がなされました。
一方欧州では,ベネチアの商人の家に生まれたマルコポーロが,駱駝に乗って,イラン,中央アジアを経てモンゴルまで行きました。皇帝のフビライに謁見し,17年間元に仕えました。中国各地へも旅行し,そこでジパングという国が海の東に在り,国は豊かで家の屋根には金の瓦がのっているという話を聞きました。藤原氏が建立した平泉中尊寺,金色堂のことでしょうか。藤原氏は源頼朝に滅ぼされてしまいましたが,マルコポーロが見たり聞いたりしたことが『東方見聞録』という旅行記となって広く読まれ,ヨーロッパのアジア観が一変し,後に大航海時代が到来します。日本を目ざして大西洋を西へ航海したコロンブスは1492年アメリカ大陸を発見し,ヴァスコダガマによる喜望峰まわりのインド航海の開拓,マゼランはついに世界一周という快挙をやってのけました。
織田信長は流れついた宣教師を手厚く保護し,布教を許すことと引換えに世界の情報を集めました。信長は「地球は丸い」ということを信じた最初の日本人といわれています。信長,秀吉亡き後,家康によってついに天下統一がなされ,家光の代に鎖国によって海外との交流が途絶えました。政宗は1613年,支倉常永を欧州に派遣しますが,1620年に帰国する5年前,大阪夏の陣で徳川幕府は磐石の体制になりました。若し政宗が天下を獲っていたら,その後日本の歴史は大きく変っていたに違いない。
私も体力と気力が衰える前に,白河から北へ足を伸ばし,芭蕉が行った奥の細道を辿ったり,もっと前の蝦夷民族と大和民族のせめぎ合いがあった古戦場跡を訪ね,当時の歴史を探訪したいと思っています。 |
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