東京木材問屋協同組合


文苑 随想

ふたつの人生観

榎戸 勇


 人生は一度しかない。も一度繰返すことはできない。
 私共,家業を嗣いだ者にとって,その生き方は色々あるが大きく分けて徳川吉宗のような生き方と,一度しかない人生なので大らかに楽をして生きる生き方とがあろう。

 家業も企業も老化現象をおこす。最近大企業の老化現象が次々と明るみにでている。日本を代表する大航空会社,大自動車産業,電気機器の大会社等々枚挙にいとまがない。全て組織の老化が大きな原因のようだ。昭和55年頃,友人の江間泰一君はそのことについて,60才になったら弟へ社長をバトンタッチし,私は夏はカナダのバンクーバー,冬は伊豆の温泉で女房と2人で余生を楽しむつもりだと言っていた。彼は江間忠木材を大きく育てた功労者であるが,どうしても60才を過ぎると考えが安全思考になり,前向きの経営ができなくなるので会社が老化してしまうのだと言っていた。しかし昭和50年代半ばの不況で,江間忠木材も(榎戸材木店も)大きな赤字を出し,彼は一緒に旅行してもブランデーやウイスキーをストレートでそのまま飲み,肝臓を害して昭和58年に56才で亡くなってしまった。幸い跡をついだ洋介さんが経営を引きつぎ,その後も次々と弟へ社長をつなぎ,今日も立派な江間忠木材である。
 人間の老化は個人差もあるが,最終的には避けられない。家業をつなげていくのは次の世代へのバトンタッチの人選とタイミングが大切であるが,これが仲々難しい。そして,その成否が家業の運命を担っていると思う。
 人の生き方は勤倹に努め一生懸命毎日の仕事をするのと,色々の名誉職を持ち,家業を社員にほとんど任せてゆったりと生活する生き方があると思う。
「子は親の背中を見て育つ」という言葉があるが,毎日朝早くから夕方遅く迄働いている親を見て,子供は自然に質実剛健に育つかも知れない。しかし,そこからは発想の転換が出てこない。世の中は山や谷を越えながら年々歳々変化していく。世の中の変化をじっくり見て対処していくためには,毎日の仕事に打ちこむだけでは駄目である。時にゆっくりと周囲や世の中を眺めて,今やっている事業の将来性を考えねばなるまい。現在の都会の材木店(新木場を含めて)は次世代への対応を考えねばならないのである。

 一方,仕事を疎かにして,悠々と生きているのは更に悪いと思う。子供達はそのような親の姿を見て人生や家業の厳しさを知らないで育ってしまう。萌やしのような人間では,これからの苦難の時代を乗り越えられない。やはり親の働く姿を見ることも大切である。
 また,時の運,不運もある。同じことをしても,まわり合わせ,めぐり合わせにより旨くいくこともあり,駄目なこともある。時の流れをしっかり見て行動することも大切である。全てタイミングを失してはいけないのである。
 現在の混沌とした世界の,そして我が国の,経済,社会のなかで生きぬくためには,なまじっかの経営では行き詰まってしまう惧れがある。しっかりと時の流れを見つめて,家業の舵をとらねばならないのである。

 最近大企業も多角化し色々のことに拡大した事業を見直し,今後成長すると考えられる分野で,自社に最も適した事業に集約する動きが始まっている。日経新聞で見ると東芝や日立も前期の大赤字決算を反省し,事業を一極集中しつつある。
 私共家業は資金力も人材も,そして経営者の能力も小さく乏しい。現在扱っている商品の将来性に懸念がある場合,自社の能力で可能なことは何なのかを十分検討しなければならない。当社もまだ暗中模索,仲々結論がでない。取りあえずは建物,駐車場の賃貸で木材営業の不振を補っているが,現社長の正人,そして昨春大学を卒業して戦力に加わった孫の勇人が何とか経営を維持していくことを念じている次第である。

(以上)
H21・9・27記
 (お詫び)
 先日,1両を現在価で1万円から10万円に訂正したが,徳川中期の終り頃は1両が現在価で2万円弱との記事が有った。徳川時代には大判小判や銀貨の改鋳が度々行われ,その度に金の含有割合が減り青銅(今の5円玉)の割合を増やしたので,同じ大判1枚でも値打ち(徳川時代は表向きは米本位経済なので1両と米との比較)が下落する。一方,米の相場も常に変化するので,結論として1両を現在価に直すことは無理でした。1両は2万弱から5万円の間位と私は推測しますが,よく分からないというのが本音です。更めてお詫び致します。
 

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