本来,刀剣には鍛刀地から由来した「五ヶ伝」と云う呼び名が御座居まして,それぞれにかなりの特徴がございます。刀剣の世界も絵画や陶器と同じ様に温故知新の世界ですので,その特徴を逸早く会得した者が勝ちなのですが,そのマニアが昂じて専門家となり,次に先生とか識者に成る訳ですが,この先生が曲者で自称や他称の先生がゴマンと居られます。巷では江戸の昔より数寄者が集まり,勉強会と言う鑑定会〜刀工銘を伏せた刀を出し,その作者を当てる競技〜を催しますが,その鑑定会で常に三星を取る人を目利と申します。…上位の三人を三星と呼び,天の位,地の位,人の位と申して,天地人と称する訳です…。この目利が脱皮してプロの「刀屋」になると,たちまち偽物ばかりを掴ませられて見事に倒産を致します。これは何故なのか?。実はこの事は大変に古くて新しい問題なのでご猿。
この原因は多々あると思いますが,主なところでは以下の事柄が関係しているハズでやす。
1.自分以上の「目利は他には居ナイのだから,騙されハズが無い」という驕りと慢心。
2.この上を行くのが,ニセ物造りの名人,古今東西この名人はどの分野でも数多いる。
3.数々の「鑑定書」や本阿弥の「折紙」にも?印の鼻紙が仰山あり,紙に頼ると運の尽き。
4.プロとアマの差が曖昧模糊。しかし,「美術商」のライセンスは全ての者が持っている。
5.プロも数寄者も税務署がコワイ〜ので,〜物と現金が目の前で交差するだけ〜でご猿。請求書も領収書も何も無く,自分の目を信ずるのみ。←これはオフレコでござんす。
然らば,何がプロのプロる所以かといえば「記憶力!」この一言に尽きると思いやす。伝法や,古刀・新刀・新〃刀の違いや良品か悪いかは長年見ていれば不思議と判るものです。
重文クラスの良刀も必ず記憶に残る特長が何処かに有るもので,そこを丹念に記憶してノートにでも書き写して置く事と必ず伝来を辿っておく事,名刀にはどの刀も其れなりの由来が御座います。それが後に光を放つ事になり,その時代の闇を照し出し秘めた物語を語ってくれます。これは名刀の特権であって決して駄刀には期待出来ぬ所でもあります。さすれば,日本史の闇に光が届き,新事実と言う鉱脈を掘り当てる楽しみも期待されます。
併し,刀剣の世界に於いては世間でよく言う「掘出物」と云う物は余り期待出来ません,現在,刀剣の「国宝」は105〜110口位と思います,それに重要文化財や現在は制度が変りござんせんが以前の重要美術品(昭和26年・廃止)と享保四年(1719)に暴れん坊将軍で有名な八代徳川吉宗が本阿弥光忠に命じて調査し制作させた,江戸幕府の公式記録である「亨保名物牒」(168口・公式な名物牒はこれ一冊)を加えても後の焼失や紛失を考えると,その実数は知れたものです。現在は国指定の文化財の海外持出は禁止ですが,日本各地の箱物(美術館・博物館)や宗教団体が積極的に購入を致しておりますので,コレハと云う物は奪い合いで減少の一途であります。
兎にも角にも,刀剣に限らず日本の美術品の良品(指定物)は現在が絶好の買い時でご猿。勿論,価格の問題も大事ですが,何時の時代も値段の高低は買える時が安く,買えぬ時が高い,と言うのが決まりでござんす。そしてその時にその人に見る目と度胸があるかです。
一度,「名物」を持ちますと,周囲の見る目も変り,一ランク上の世界が現われて来ます。すると今迄はとても願っても見られなかった,名品が次々と現われて来て驚かされます。この傾向は刀に限らず軸物もチャワンも皆んな同じです,それと伝来と云うか,是までの持主の名前はかなり重要なファクターです,前の所持者がその道の識者なればその価値はグーンと上がり,金だけの盲目なら逆にガクンと下り,持主の人格も大いに作用致します。従って,現在のコレクターも目を瞑った時が正念場にて真の評価をされる時でございます。
後世に禍根を残さぬ為には,ゆめ〃〃,偽物には気を付けましょう,と言っても,どう気を付ければ良いのか判らん,とおっしゃる方が大半でしょうから,プロの刀屋から見たお客の在り方を申し上げておきましょう。
先ず,良くしゃべる半可通はダメ,五月蝿いだけ,例え何かを売っても後の苦情が面倒。玄人には一言二言でも能書きを垂れれば,それだけで100%お里が知れてしまいます。素人は謙虚が一番,「これだけ,ゼニを貯めたんだが,これで買える刀をおくれ」,これが一番,すると大概の刀屋は,一生懸命その額で買える最高の刀を探します,例えその場に無ければ一週間後には必ず「ようやく有りました!,見つけました!」と電話が参ります。これからが,貴方のコレクターとしてのスタートでご猿。そしてこの後は勉強〃〃でご猿。
先ず,刀の本を片っ端から読む,難解な文字が多いから素直には読めず,苦労して読む,辞書が無くても読める様になったら,名刀が展示してある各地の,美術館,博物館を廻り自分の買った刀と見比べ乍,ド頭にインプットする。展示刀には値段が付いていないので,町場の刀屋にて実勢価格をザ〜ッと調べて記帳しておくが,普通はここまでは必要は無い,このまま行くと本当に刀屋になってしまう,これではコレクターの範疇を逸脱し過ぎ失敗。往古より「餅屋は餅屋」と言うが如しで「木屋は木屋」が一番,前述の天位を取り過ぎて奢り増長してとうとう刀屋になって大倒産をして身を滅ぼしたのは,立川の同業でご猿ぞ。この所は不況を反映し,バラエティに富んでいて大概のジャンルの刀が出ていると思うが,高銘物は数少ないので財布と嫁さんが許せば貰って(買って)置いてもOKだろう。尚,刀も真正と偽物では価格が「天と地」ほど違いますので,お気を付けの程を願います。よく,借金のカタに取って来たという刀を見せられますが,大銘物(世間で有名な刀)は大半が間違いなく偽物です,例えば市場に流通している「虎徹」が100本有るとすれば99本がニセモノです。有名な「長曽根虎徹大鑑」でも何本かの?が掲載されております,価格で申せば,長い物で一千万以下のコテツは全部ダメです,例え一本や二本位有っても何処かにキズが有ります,新刀のキズは例え虎徹でも論外で,要するにはキズ物なのです。
叉,虎徹は本人が生きている内から偽物が作られていた位の名匠でしたので,偽物師の良きターゲットになっており,明治の廃刀令の前後ではかなり高名な刀鍛冶の作刀が銘を改竄され,虎徹として世に出ております。当時の偽作者の名人に「細田平次郎藤原直光」と云うかなり腕の良い刀鍛冶が居りまして,この者が刀屋と組んでバンバン偽の虎徹を作り,それが今でもアチコチで悪さをしております。
脇差し 刀身に帝國日本東京住 細田藤原直光造 と浮き彫り銘があり,樋の内に竜を彫っている。叉,ハバキには警視庁の紋が彫って有りる。当時,警視総監の注文ででも造ったものと思われる。
刀 銘 直光造 慶応二丙寅年八月日 長さ67.3cm(二尺二寸二分)反り1.7cm(四分二厘)鎬造り,庵棟。鍛えは小板目よく詰み,僅かに流れ心あり,刃文は細直刃,匂口締り心に小沸え付く。
この直光は通称「カジ平」と云われ,相州伝の名門の荘司次郎太郎直勝の弟子で作刀も上手いが他人の銘を真似して切るのが抜群に上手かった,そのカジ平の刀が当時の大物の鑑定家にコテンパンに貶されたので,頭に来てその大物のハナをあかすべく偽物を作って全て記録をしておいたら,時き至りてその鑑定家が彼の作刀を最大限に褒め上げたとの事。
そこで事件勃発,「カジ平」が今まで作って偽銘を入れた刀を全てオープンにしたところワシもかワシもかと名のある大名や旗本の自慢の差料がゾロゾロとリストアップをされて大騒ぎ,その中にはかの鑑定家で目利の大先生が推奨した「虎徹」も何本もあり,其れ以後その名は刀剣界から消えてしまいました,が「カジ平」は「鍛治平押形」と云う本になり今に伝えております。今は偽物のカジ平の作刀も珍品としてかなり高額だと思います。
陶磁器の世界での「永仁の壷」の加藤唐九郎の事件とどこか似ている感じが致しますが,加藤師は後に「人間国宝」ですから,大分違いますな?。
※ 先月号に新撰組の沖田総司の佩刀を「備前三郎国宗」と書きましたが,飛んだチョンボで,同じ備前でも「一文字則宗」でした。刀の写真は合っていましたが,解説を間違えご免候。
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