東京木材問屋協同組合


文苑 随想


日本の文化 「日本刀」…Japanese Sword…

「♪一家に一本 日本刀 スカッーと爽やか日本刀♪」

其の69(小柄・笄、パート1)

愛三木材・名 倉 敬 世


刀の拵の名称

…ボォ〜と,テレビの時代劇を見ていたら,悪役が小柄を投げたが,当らずに立ち木に突き刺って振動していた。高彫りの立派な小柄である。ハテこれから場面は如何なるかと注視していたが,場面がパーンしたらそのまんま,次回を「お楽しみ」で終ってしもうた。
 併し,これはかなりの問題なのでござんす。〜と申しますのは,一般的には小柄と小刀はその柄が合体した物の総称で,その価値は柄の方が小刀よりも遥かに高価なのでありんす。せめて外れた小柄を回収してから番組は終ってほしかった。さすれば三十万もする小柄のその後の身の上を心配しないで済んだのに…。因みに小刀はせいぜいその1/10の3万位。

短刀

 よく,銭形平次が鐚銭を投げて悪党を仕留めるが,この場合の鐚銭は一文の価値も無く,目方でナンボの銭なので,ナンボ投げても痛くも痒くも無いが,小柄の柄の方は当時でも相当お高い,特に代々が幕府の金工の御用を勤めた「後藤」の一門や,町彫りの大家である「宗ミン」の作品はベラボウに高い。因みに,紀文が宗ミンに「一輪牡丹」の目貫を十両で
彫らせたが,その紀文の物言いが横柄で気分が悪いと,渡さずに宙に浮いた目貫を,当時,何かと紀文と張り合っていた,冬木屋(冬木町と冬木弁天堂の開祖)が五十両で引き取った。その為,宗ミンの一輪牡丹は評判を呼び注文が殺到したが,宗ミンは冬木家に義理を感じて,二度と一輪牡丹は彫らなかった。因って,宗ミンの一輪牡丹はこの世にはこの一対しか無い。

宗ミンの一輪牡丹の目貫
30万×50両=1,500万ナリ

この金無垢の大柄の牡丹の目貫が,大分前だがどういう訳か,小生の手許に来た事がある。その時は咽喉から手が出るほど欲しかったが,丁度,財布が風邪を引いていて手も足も出ず,目の前をツゥーと通過して行ってしまった。後で聞く所では,猿大家に収まり「重要文化財」になったとの事でござったが,重文だとロレ〜はするわな。銭は天下の廻り物と言うが,惜しくもアリ(の実),惜しくも梨。
 当時は(元禄〜享保・1700年代)武士も町人も成り上り者が多く,羽織の裏地に凝ったり,煙管・印籠・根付,に贅を尽くす洒落者が目立ったが,侍は元来が粋で洒脱でござった。因って,その目標が武家の表道具,即ち,刀を始めとする各種の刀装具に集約して行われた。
 当時は大変な建築ラッシュ,其のため幕府要人に対する袖の下は日常茶飯事であったが,太刀や兜の武具一般,馬や馬具,鷹,は武家の「表道具」として,賄賂にはならなかった。

 尚,刀装具の名称は組合せにより次の如くである。「二所物」「三所物」から「七所物」迄。
 「目貫」=刀身を柄に留める釘を差し込む穴。柄の中央にある為,目貫通りの語源となる。
 「小柄」=刀や脇差の鞘の内側に差してある小刀。大体が細工物や奉書の紙切り等に使う。
 「笄」=髪掻きの音便。鞘の外側に差してあり,月代や丁髷の手入や耳垢を取る小道具。
 そう云えば,この小柄の件で面白い事があった。と申すのは,小生はインターネットが無い太古の時代から,常に手許に辞書を置ているので,早速,今回も「小柄」を引いて見た。すると,「刀の鞘の外側に差しておく小刀」とある。外側とは帯刀して外部から見える方を言うが,ここは笄の場所で小柄は内側なのである。即ち,帯刀者の左腰の腰骨に接する所。因って,これは辞書の完全な間違い。それも,集英社という?流の出版社の2085頁もある「国語辞典」でご猿。さて,如何したものか?,と暫し空を見ながら考えたが,貴重な日本文化に対する「重大な錯誤」として,「執筆者&校閲者に学者が山程いるのに何たる事か」と,電話をしましたら担当者が不在との事。後日,担当者より「再販の時に訂正いたします」と平誤りの電話が入り,結局「ア,ソー」で,一件落着と致しましたが,何を血迷ったのか,集英社の辞書は説明が内と外とが逆でした。こんな事では節分の時に鬼が迷惑しまっせ!。

 さて,かなりの時代劇通でも鞘での「小柄」と「笄」のポジションが判らない人が多い。正確に申せば小柄・笄が付くのは刀と脇差と短刀だけで,太刀・薙刀・長巻・槍には附か無い。
 何故か,小柄の身(刃)は10cm(三寸三分)から長くて12cm(四寸),これでは中途半端で正式な武器には為り得ない,よって「刀剣所持許可書」は五寸より(15cm)のため不要。

小刀 銘 政常 刃長 12.3cm(4寸)小板目に柾心が交る,刃文は尖り互の目風の丁子。


小刀 銘 於濃州御勝山矢之根川辺金生山麓 志津三郎兼氏造之。刃長10.4cm(三寸五分)
 板目が詰み,匂い出来の大乱れで明るい。この工は小刀の専門で,作品は多く達者な腕前。

小柄の名称

小柄の高級品(上図の二点)は小刀と柄が別れているのが普通ですが,これ等の名人上手の作になるとオークションに掛ると銭もハンパな額ではなくなり,海外の美術館〜博物館か大富豪のコレクターの手に納まります。国宝や重要文化財は国外への持出しは禁止なので,先ずは安心ですが次のランクは要注意です。何分,奴等には見る目と共にゼニがありやす。

 (上) 図 小刀 銘 重高 柄・鳳凰図,素銅七〃子地,高彫り,金色絵,裏は時雨鑢。
 (下) 図 小柄 銘 関兼常 柄・志度の海女図,素銅波地,打出し高彫り,金色絵,裏は磨地。
この位の物でも現在価格は4〜5万しますので,ハズレたら回収せねばなんねぇでしょう。

下の如く稀に共柄で棟が鋸仕立ての物もあります。これは主に忍者用ですので良質の
鋼で出来ている為,鉄格子も簡単に切り落とせます。(少生の手持ちで,実証済みで御座候)。


 小柄と似て否なる物に「手裏剣」が有ります。これは主に忍者用ですが手裏剣は柄が無く型もナイフ型と十字型が多く,かなりの数を投げますが,決して拾いには行きません。
  伊賀上野の鍵屋の辻の仇討ちや本所松坂町の吉良邸への討ち入りでの使用が有名でご猿。

 形は全く一緒ですが,使用目的が○で違う物に「貫級刀」が有ります。余り聴き慣れ無い言葉かと思いますが,正体は合戦終了後の首実検の時,これを頭に突き刺して台板に留めて,首を動かぬ様にする為の道具であります。武士にとっては戦による恩賞が一番の支え,その為,首実検に纏わる話はその作法からENDまで山程ありますので,叉その内〜。


 貫級刀は共柄になった小刀ですが,切先が諸刃の仕上であります。古くは源平時代の絵にも描かれている様ですが,今残るのは全て江戸後期の物であり,松平定信が模作させた物と云う。

 次回(11月)は号外では無く「笄」のパート2となりますが,リクエストが有ればすぐチェンジ致します。

※ 今年も芝の「東京美術倶楽部」の3〜4階で北海道から沖縄?迄の全ての刀屋が集まる「大刀剣市」が11月1日〜3日まで開かれます,外人の多さと知識の高さを見に来て下さい。

狸の腹鼓図譚 銘 四子隆生
寿叟法眼(花押)



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