東京木材問屋協同組合


文苑 随想


『歴史探訪』(36)

江戸川木材工業株式会社
常務取締役 清水 太郎

『太平の眠りを醒す上喜撰 たった四はいで夜も眠れず』

 嘉永6年(1853),米提督ペリー率る四隻の黒船が来航し,日本に開国を迫った。
 日本中は,俄に蜂の巣をつついたような大騒ぎとなった。江戸幕府の大老・井伊直弼は朝廷の承認を得ずに日米修好和親条約を結び,水戸藩の浪士はじめ攘夷派の手によって暗殺された。これが万延元年(1860)3月3日「桜田門外の変」である。
 同じ1860年,条約批准交換のため,使節が渡米したが,勝海舟ら幕府要人が「咸臨丸」で随行し,これが日本人による初の太平洋横断渡航と云われている。
 一行は米国で大歓迎を受け,見るもの聞くもの皆珍らしく,欧米文化に触れてかなりのカルチャーショックに見舞われたという。
 米国は1776年独立後80年を経ていた。使節の一人が,初代大統領の子孫は今どうされていますか,と訊いた処,ジョージワシントンの子孫の消息を知る者は誰も居らず,この事にかなり驚いたようだ。使節団一行は帰国後,新しい日本の国づくりはかくあるべきだ,と考えたかどうか。
 その後,約150年を経た現代の日本はどうか,と云えば,
 首相麻生太郎の三代前はあのワンマン宰相吉田茂であることを知らない日本人はいない。
 ところが,次期大統領オバマの三代前は誰だと問えば,答えられるアメリカ人はいるのであろうか。父親はケニヤ出身の米留学生であったことは日本でも報道され知られている。ところが,その父,オバマのおじいさんは?若しかしたら,ケニヤで酋長さんであったか,或いは狩猟民族で獣を追いかけていたのかも知れない。
 11月7日,亀戸にあるアンフェリシオンで,江東稲門会があり出席しました。メインイベントは元マラソンランナー瀬古利彦氏の講演でした。区長の山 孝明氏も出席されていました。山 氏は都議のときは,2016東京オリンピック招致委員長をされていましたので,黄昏始めた日本経済を立て直す起爆剤として瀬古氏から力強いコメントを聞き度かったに違いない。ところが,瀬古氏の今の最大の関心事は,2016東京オリンピック招致ではなく,箱根駅伝で早稲田を優勝させることである,ときいて落胆した人も多かったのではないでしょうか。
 来年の10月,2016オリンピックの開催地が決まります。オバマはシカゴが地盤であり,100年に一度と云われる大恐慌から脱出する為に「シカゴにオリンピックを」と叫ぶでしょう。
 瀬古氏は,陸上界の楽太郎,と云われるだけあって,ユーモア精神の旺盛な人です。
  ロシアのプーチンが柔道の愛好家であることを知り,元金メダリストの山下氏と親善試合をさせました。山下はプーチンを羽交締めにして「北方四島を返せ」と云ったそうです。
 これは勿論ジョークですが。
 せめて,嘘でもよいから,「荒川静香のイナバウアーでオバマを魅惑する。」或いは,「谷亮子の締めワザで,シカゴをギブアップさせる。」くらいのことを云ってもらい度かった。
 ここまで書いて来て,何か変だな,と思い始めました。
 オリンピックの精神は近代オリンピックの父と云われたクーベルタン男爵の「勝つことよりも参加すること」という短いことばに集約されています。しかし,当時のクーベルタン氏は,オリンピックが政治,経済の手段になるとは予想もしていなかったのでありましょう。オリンピックはスポーツの祭典であり誰の目にも爽やかに映らなければならない。従って政治,経済の世界とは相容れないものであると思います。
 中曽根康弘氏が後継者を決めるとき,全国から注目され,マスコミも集まって深夜まで騒いでおりました。候補者は,竹下登,宮沢喜一,安倍晋太郎の三氏でありました。さんざん気を持たせた上で予定時間を大分オーバーして竹下氏に決まりました。見ている我々は,密室で協議していて,その経過は知らされず,ただ結果だけが伝わり,何の感動も得られませんでした。その時,他のチャンネルで,海外で開催されたゴルフの実況中継がありました。ジャックニクラスともう一人は忘れましたが,二人のトッププロの一騎打ちでした。ただ,どろどろした政治の世界を垣間見た後だけに,何とスポーツの世界は爽やかであったことか。




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