東京木材問屋協同組合


文苑 随想

江戸東京木材史を読んで(その2)

榎戸 勇


 明治の終りから大正時代を読んで,色々なことを考えた。

 大正は明治と昭和に挟まれた14年間なので,一般の経済史の本では余り詳しい説明がない。
 明治は明治維新に始まり,西欧諸国に追いつくために歩んだ時代,昭和は世界大不況に始まって軍国主義,そして敗戦による焦土からの立ちあがり,高度成長,原油の値上がり,バブルとその崩壊。米国を震源地とする世界的金融危機等々盛沢山の事柄があり,経済史の記述に事欠かない。

 しかし,大正時代は影が薄いようである。
 眠れる大国と言われた清国との戦いに勝利し,続いてロシアとの国運を賭した戦争があった。日露戦争は全くの自衛戦争である。ロシアの東進は清国の東北地方(旧満州)へ入って,シベリア鉄道の支線を大連迄伸ばし,旅順港を軍港にした。次は朝鮮半島を狙っている動きがあるので,わが国は日英同盟を結んで自衛した。万一,朝鮮半島がロシアの手におちれば,匕首を土手っ腹へつきつけられたようになる。
 このような状勢のなかで日露戦争が始まったのである。幸い陸海軍の全力をあげての戦いにより,奉天の会戦,日本海での海戦に勝利し,ロシアは清国東北部から退いたが,わが国は国力の全てを使いつくし,ヘトヘトの状態であった。米国はそれを見て日露講和の労をとり,戦いは形のうえでは日本の勝利にしたが,ロシアから得た賠償はカラフトの南半分と南満州鉄道,そして少額の賠償金であった。ヘトヘトになった日本としてはやむを得ないことである。

 莫大な戦費を増税と外債(外国からの借金)で賄ったので,戦後は外債の元利返済に追われて,緊縮財政,そして戦時に上げた税率をそのまま続けたようで,街は全くの不況であった。明治の終わりから大正の初めはこのような状況だったので,東京の木材界も息をひそめて,うずくまっていた。
 組合の仕事は不況時の方が多い。倒産防止策,不良債権発生の予防施策もあった。また製材品の規格統一にも力を注いでいる。

 大正時代を通じて,東京の木材界が何とか生き生きと動いたのは,大正8年夏から大正9年春迄の短い期間である。この間だけは材木屋も儲かったようだ。しかし,大正9年から政府は再び金融引締めに入り,一方,欧州戦争終結(大正7年)による世界的な船舶過剰のため船運賃が暴落し,北米材や北海道材が大量に入荷し,供給過剰で材価暴落,多くの木材業者が苦しんだ。
 大正時代は,大正4年の木場銀行の倒産,その余波で40名程の木材業者が行きづまって,全く暗い年月で始まったのである。

 大正5年9月に秋田材荷受問屋同盟が発足し,武市森太郎,太田信治郎等木場の中心人物7名が発起人として覚え書きに名を連ねているが,今日,木場に残っている者は1人も居ない。そして,この同盟に加入した55名のうち,今日木場に残っている業者は,私の知る限りでは僅か数名である。

 木材業者の浮沈は目を覆うばかりである。私共,そして後継者は余程気を引締めて家業に励まなければならないと,大正時代を読んでつくづく感じたので筆をとった次第である。

H22. 2. 8記
 

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