東京木材問屋協同組合


文苑 随想

渋沢栄一に学ぶ(3)
-五徳のバランス-

榎戸 勇


 渋沢栄一の『論語の読み方』の本を再読して、渋沢は数多くある論語の短い文章の底にある孔子の思想は「仁」「義」「礼」「知」「信」の五徳だと考えたようである。
 「仁」は相手への思いやりの心である。常に相手、あるいは社会への思いやりの心を持って日常生活を律することである。
 「義」はやるべきだと心に決めたことを、脇目を振らず進む行動力である。忠義と言えば君に忠一筋に、正義と言えば、正しいと信じたこと一筋に、毎日の生活をすることになる。
 「礼」は言う迄もなく礼儀である。
 「知」は知識欲である。本を読むことも大切だが、それだけでは駄目である。世界の、我国の、そして木材業界の、更に縮めて東京の木材業の置かれている現況を把握する「知」が必要である。
 「信」は天命を信じ、自らやるべきだと信じたことを一生懸命やり、人事を尽くしたら天命(天の導き)を信じることであろう。
 渋沢栄一はこの五徳をバランス良く保つように心掛けるよう教えていると思う。

 渋沢は西郷隆盛について、次のように述べている。隆盛は太っ腹で胆が坐っており、情に厚い(仁)立派な人物であるが、残念ながら「知」に欠けていたようだと見たようだ。
 明治の初めは廃藩置県。沢山の小さな藩を統合して大きな藩に合併し、3府(東京、京都、大阪)1道(北海道)そして43県にまとめる作業は、利害得失が絡むので大作業であった。更に欧米諸国は我国の政治に口先介入することも多々あり、そして欧米各国の利害も様々なので混乱していた。
 西郷はこのような明治新政府の現状への認識に欠けていたと渋沢栄一はみている。
 西郷の征韓論が政府により退けられると、西郷は官を辞して薩摩へ帰ってしまった。
 西郷は薩摩では神様扱いの大偉人である。江戸城の無血での明け渡し、そして徳川幕府を倒し明治新政府を薩、長、土(薩摩と長州と土佐)を中心にして組織し、若い明治天皇を奉じてつくりあげたのは西郷だとして、旧武士だけではなく一般農民も西郷に反政府の軍を起すよう迫った。情に厚い西郷はその要請を断ることが出来ず、兵を率いて熊本城迄攻め上ったが、政府軍のフランスから供与された新式のライフル銃で城から銃撃されて敗れ、故郷へ退却し城山で自刃した。英雄の最後である。

 大阪地検特捜部の犯罪は、まさに「仁」だけを重視し、その行為が正しいのか否かを考えなかったことによろう。上司が部下の立場を考え、思いやってあのような犯罪、取調べ調書の変更を、うっかりミスにさせた。しかし裁判の段階で次々とボロが出て、上司も担当検事も起訴された。大阪地検は上を下への大騒ぎ、大阪、名古屋の特捜部は廃止され、特捜は東京の検察庁一本にまとめられる雲行きである。「仁」の乱用は慎まねばならないのである。

 この事件の根底には、検察制度そのものにもあるようだ。検察官は自分が取り調べて起訴した事件が、裁判の結果無罪になると失点になるらしい。従って起訴したからには何としても有罪にすることに専念することになるという。しかし、今回のような事件があると、検察官はうっかり起訴して、裁判で無罪になると大変なので、焦げくさいと思っても起訴をためらうようになるかも知れない。最近の起訴は主に巨額脱税事件がほとんどのようだ。これは国税局の裏づけ調査で国税局が十分の資料を整えて検察庁に持ってくるので、検察庁も安心して受取り、内容を調べたうえ起訴が出来るのである。

 五つの徳、「仁」「義」「礼」「知」「信」のバランスをとって日常生活をすることは、凡人の私には非常に難しいが、百分の一、千分の一でも、それに近づきたいと日々努めなければならないと思うようになった。

平成22年11月7日 記

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