明けましてお目出度うございます
平成22年の新年をお祝い申し上げます |
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※新木場第一堀の日の出 |
「平城京」は今から1300年も前にそして13世紀も昔の事である。日本で初めて大規模な国際首都として栄え,平城宮跡は特別史跡として,古代都城文化を今に引き継ごうとして,復元工事が着々と進んでいる。そして今年大々的に大きな「イベント」が目白押し。
京都から奈良へ近鉄特急で向う途中,大和西大寺を過ぎると広大な平城京跡を通過する。そして右に復元した「朱雀門」,左に建設中の「大極殿」の全望が目に飛び込んで来た。この大極殿,今年の大極殿完成記念式典に向けて,急ピッチの仕上げ工事に掛かっていた。
平成21年9月23日前後の各紙に『第一次「大極殿」全貌現す』の見出しで記事が掲載された。
私が奈良に行ったのは3日後の9月26日であり,近鉄特急の車中から写したのが下記の写真である。なぜか,平城京跡のどまん中を近鉄が走っている。
その時の新聞各紙の記事を要約すると,
世界文化遺産で特別史跡の平城宮跡(奈良市)に文化庁が復元整備を進めている奈良時代の「第一次大極殿正殿」の覆い屋が取れてほぼ全容が姿を現した。
大極殿とは天皇が出御し国家的儀式が行われた宮殿の中心的建物で,復元規模は幅44メートル,奥行き20メートル,高さ27メートルという。既に復元されている朱雀門の北,宮跡の奥にある巨大建造物の壮麗さが写真で良く分かる。ここで詳しく紹介するが,奈良は今年平城遷都1300年を迎える。1年間に亘って色々な事業が予定されているが,この復元大極殿は記念祭のシンボルとなる。
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※現在完成し,誰でも自由に見る事が出来る「平城宮,朱雀
門」,色鮮やかでがっちりして,素晴らしい。 |
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※この「朱雀門」の柱の間から遠望の建物が今建設中の「大極
殿」かなり遠い所に見える,広大な所であった。 |
平城京は710年に女帝の元明天皇が飛鳥に近い藤原京から移した,時代区分でいう奈良時代の始まりだが,次の平安時代となる,794年の平安京(京都市)遷都まで奈良にずっと都があった訳ではない。東大寺大仏を造営した事で知られる聖武天皇は740年から745年迄,恭仁京(京都),難波京(大阪),紫香楽宮(滋賀)と都を次々と移し,再び平城に戻った。更に平安京が築かれる前の10年に亘っては長岡京(京都)が都だった。奈良時代はどこか不安定な時代だったのである。
復元大極殿が「第一次」と呼ばれるのは,同じ時代の中での都の変遷と無関係ではないと言える。再び都が奈良に戻った後,朱雀門の真北にあった大極殿は東側に建て替えられたと言う。「第二次大極殿」と呼ばれ,建物の基壇が復元されている。更に宮殿は東側に張り出し部分を持ち東端には庭園があった事も判明し,東院庭園も整備されている。宮跡には,明治から大正時代にかけての壮絶な保存運動の歴史もあったのである。
日々の紙面には制約があり端的な文だが,多少掘り下げて記して見る。
まず時代背景を明確にする為,歴史年表を追って記して見る。奈良に関係ない出来事も入れてみた。 |