東京木材問屋協同組合


文苑 随想

見たり,聞いたり,探ったり No.125

奈良「平城遷都1300年祭」について
(会期:平成22年4月24日〜11月7日)
青木行雄
 平成22年4月24日から11月7日まで、平城京跡をメイン会場に「平城遷都1300年祭」が開催している。
 建物は全て木造で質素な感じであり、平城京の広大さが見えてきます。
※会場の入口には大きな看板があった。
※マスコットキャラクター「せんとくん」が至る所に居て、
  皆様を歓迎している。
※「遣唐使船復原展示」
  原寸大に復元している木造船である。甲板への乗船も出来る。
 

 大手建設会社が9年間かけて造ったと言う木造の大建築物である。会場には、展示館、資料館、歴史館等、数館の他に大きな建物「朱雀門」とメインの「第一次大極殿」がある。

 平城京跡会場体験楽習広場「平城京なりきり体験館」では天平衣装をまとう事が出来る。衣装を着て「大極殿」等を散策すれば、平城京の貴族になった気分が体験出来る。
 「大極殿」には、ボランティアガイドが大勢いて詳しく教えてくれる。我々業界人は木材の事を知らないふりをして聞くこと。
 会場への交通機関はいろいろだが、まずバスターミナルに到着したら、近くにある「平城京歴史館」の入場状況を調べておいた方がいい。来場者の多い時は入場出来ないこともあるようだ。
 6月は平日15,000人、土曜日・日曜日は25,000人ぐらいと聞いたが、今年の後半になると観光客が多くなると思う。出掛けるのなら早い時期の方が良いかもしれない。夏は日傘とタオルは必需品。
 この1300年祭を機会に奈良周辺の有名な神社、仏閣も見学のチャンスと言える。
 奈良の「薬師寺東塔」は今年後半より、平成30年度まで修理に入るらしい。
 近くには、大仏殿の「東大寺」、同時期の1300年前に造営されたと言う「興福寺」、「春日大社」、759年に中国から来た唐僧鑑真が建立したと言う「唐招提寺」、お水取りで有名な「東大寺二月堂」がある。夜は奈良が一望出来て、ぼんぼりが浮いて見える。

 「平城京跡会場」にある「朱雀門」と「第一次大極殿」について記してみる。
 「朱雀門」とは、
 平城宮の正門。その前では外国使節の送迎、大勢の人達が集まって歌垣などを行ったりし、正月には天皇がこの門まで出向き、新年のお祝いをすることもあったと言う。朱雀門の左右には高さ5.5mの築地がめぐり、130haの広さの宮城を取り囲んでいたと言う。朱雀門の約4km南には平城京の入口である羅城門があった。羅城門から朱雀門まで約75mもの幅。朱雀大路がまっすぐ伸びていた。
 「第一次大極殿」とは、
 大極殿復原について、大きなハードルは当時の設計図や参考になる絵画など何も残っていなかった。そこで、発掘調査で判明した基壇や恭仁宮の大極殿(国分寺金堂)の跡に残る礎石の状態などから大極殿の大きさ、形を推定したと言う。わずかに残る文献や法隆寺金堂、薬師寺東塔、唐招提寺の金堂など、同時代の寺院建築も参考にしたと言う。苦労の末「大極殿」は建築された。朱雀門から見て真北約800mに堂々とそびえる「大極殿」は圧巻であった。

※「大極殿」の全景。正面の長さ44m、側面20m、地面よりの
  高さ27m、屋根瓦9万7,000枚、工費180億円、建設期間9年。
※「大極殿」の中、全部木造だが、塗装により華やかな色である。
  この丸柱が44本ある。かなり方々に割れが入っている。
  その割れも見てほしい。
※「大極殿」内部にある「高御座」。天皇が儀式の時に着座する
  座所。これも見る価値のある建物である。すばらしい。

 正面約44m、側面約20m、地面より高さ約27m、直径70cmの朱色の柱44本。この柱の入手について大変苦労した話を聞いた。1m以上の丸太をあらかじめ、推定6角か8角ぐらいに製伐して昔風に手斧で加工したような跡があった。屋根瓦は約9万7,000枚を使用。この大極殿は平城宮最大の宮殿であり、その建物は奈良時代中頃に、一時、都として恭仁(くに)宮に移築され、山城国の国分寺金堂になった。当時、天皇の即位式や国使節との面会など、国のもっとも重要な儀式のために使われていたと言う。
 この大極殿の中に「高御座」と言う天皇が儀式の際に着座するものがある。更に大極殿の内壁、高さ約7mのところに、高松塚古墳やキトラ古墳などに見られる東西南北をつかさどる四神、「青龍」「白虎」「朱雀」「玄武」の絵が描かれている。四神以外にも、十二支の動物がそれぞれ描かれ、全面が絵で埋め尽くされている。これぞ、豪華絢爛と言えそうである。
 もちろん「大極殿」は、地震による揺れを最小限に軽減させるための免震装置が導入されている。基壇内部を空洞として、リニアスライダー、積層ゴム、粘性体ダンパーの組み合わせからなる免震装置を挿入し、復原建物を地盤から切り離すことにより、構造補強を最小限に抑え、施工されていると言う。
 「大極殿」をライトアップする照明は、世界的に有名な石井幹子氏が設計した。

 「平城京の誕生」について少し触れてみたい。
 710年(和銅3年)奈良盆地の北端に造られた平城京が新しい都と定められた。元明天皇が律令制に基づいた政治を行う中心地として、飛鳥に近い藤原京から都を移したのである。中国・唐の長安城などを規範とした都をつくることは、当時の東アジアの中で国の威厳を示す意味もあったようだ。
 その後、聖武天皇は740年から都を転々と移すが、745年には再び平城京を都とし、784年長岡京に都を移した。


 奈良には観光施設がたくさんある。昔から火災の被害が少なかった町。だから古い歴史が山のようにある。この素晴らしい伝統文化を見ない手はない。この「平城遷都1300年祭」を機に奈良全体の多くの施設を見て欲しい。うるおう人生の参考にしょう。
※近鉄線大和西大寺下車(特急も止る)、南口から徒歩10分で会場まで行ける。

平成22年6月27日 記


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