初夢は正月二日の夜るに見る夢を云い,(1)富士,(2)鷹,(3)茄子の順に見るのが本来ですが,どっこい凡人はそう上手くは見られません,この図式を考えた人は相当な知恵者でご猿。
初夢は,一の札(富籤)より難儀なり。因って今年は鷹を飛ばして干支の虎を入れて見ました。
…刀装具の中でも,揃えるのが一番難しいのが茄子と羊,次が虎らしい虎と犬らしい犬…。
「現代刀」は「新〃刀」が,文化文政期(1800)より明治の末年迄(1900)なので,その後と云う事になり,神国の日本が開闢以来始めて他国に敗けたのが昭和20年(1945)ですので,ここ迄が「昭和刀」,それより以降に制作された刀が「現代刀」の呼称となるが,飽く迄も現代刀工が玉鋼を使って古来の鍛法で作った刀であり,洋鉄や昭和刀は含まない。よってその期間は意外に長く65年もあり,あの動乱の南北朝期(59年)や明治+大正(60年)期を越えてしまい未だ延びております。従って終戦直後の空白の10年は別としてもボツ〃〃この期の真価を後世に示さねばなんねぇ〜でしょう。後記の如く名刀もタント御座いやすで。
「重要無形文化財保持者」(人間国宝・大隅貞男・平成21年12月 逝去)
太刀 銘 大隅俊平作 長さ 90.03cm(三尺) 平成十九年七月八日 群馬県。
「無鑑査」
脇差 銘 小鍛冶義人作 長さ 36.6cm(一尺二寸二分) 平成二十年二月吉日 東京都。
現在,日本に於ける刀鍛冶の数は約200名位(1963年以降にライセンスを取得した者,それ以前の記録は文化庁にも無いので不明)との事ですが,するて〜と,それ以前の刀匠は70才以上の年となり引退も視野の内に入って来ますので,作刀も変化して来るハズです。
現在,刀匠になるには文化庁の認定が必要で,これを取得するには師匠の許で五年間の厳しい修業が必要で,他の伝統工芸と同様に完全な徒弟制度がまだ厳然と生きております。併し,この世界にも近頃は不思議に外人とオナゴの入門希望者が増えて来た様であります。
この傾向は,お茶,お花,歌舞伎,と同じでカルチャーの世界よりの伝播だと思いますが,刀剣砥師の分野まで波及して来ております。昔はオナゴはタブーの世界だったのですがネ。但し,まだカルチャーの内は結構ですが,これでメシを食う心算なら止めた方が宜敷しい。
刀鍛冶や砥師,鞘師,金工,の世界も約束事が多く,相撲の世界に似たところがあり,始めの数年間は「赤貧洗うが如し」で完全な持ち出しですので相当な覚悟が必要でしょう。
現代刀工にも厳然としたランクがあり,文化庁が認定する「重要無形文化財保持者」で一般的に言う,“人間国宝”がトップですが,次がその予備軍の(財)日本美術刀剣保存協会(略・日刀保)認定の「無監査」が続きます。それらは協会が発表する「新作名刀展」等での各賞の受賞実績等を考慮して協会で選考して決めますが,無鑑査の認定者は増えています。…人間国宝の数は以前は刀匠が2〜3名,砥師が2名でしたが今は一名づつです。理由は?。
これが平成二十年の最優秀作品の「日本美術刀剣保存協会会長賞」(佐々淳行会長)です。
太刀 日向国住国正作之 平成二十年春 長さ96.2cm(三尺二寸)宮崎県 松葉一路
よく,絵画や焼物等では,上達するには名人の真似(模倣)をするのが早道と云われておりますが,刀剣の場合も全くそのセオリーの通りで,その例は数限り無くございます。
短刀 無銘 正宗(名物包丁正宗)
これが,有名な国宝の「包丁正宗」(三本の内の一本)の本科ですが,この短刀は往古より何人に写されたか判りません,形状は元より長さ反り重さ迄ソツクリなのですが,とても及びません。どこが及ばないのか?,要は地鉄の冴えだと思います。古書に正宗の地鉄は「地色青く紫なり」と,鍛えの冴えた鉄色を形容している。又,沸の厚く付いた刃文は雪の様だ!,とも称しており,この短刀は正にそれでご猿る。享保名物牒には無代と有り,金子では評価出来ないと云う意味でござんす。九州・日向の内藤家に伝来した名物でご猿。
短刀 包丁正宗写 純平作 刃長七寸一分五厘
短刀 銘 信濃国清行 平成二十年春 長さ 21.9cm(七寸三分)長野県 古川信夫。
たま〃〃手元に有った図譜に包丁の習作が載っていましたので,参考までにご覧下さい。以上の作者も相州伝では第一人者です。実際は地鉄を比較しなければ判ら無い領域ですが。
太刀 銘 武蔵国住吉原荘二作之 昭和丙辰歳八月吉日 長さ72.6cm(二尺四寸) 無鑑査。
吉原荘二(昭和57年に祖父の国家を襲名)東京都無形文化財保持者。31才の時の傑作刀。日本刀の花である鎌倉時代の備前福岡一文字を写した太刀で身幅広く重ね厚く腰反り高く,猪首切先の貫禄のある姿,地鉄は小板目に杢目と柾目を交えて詰み,淡く乱れ映りが立つ。
太刀 銘 備前国包平作(名物・大包平) 長さ 89.2cm(二尺九寸七分) 反り3.5cm(一寸二分)。
この太刀は包平の健全無比な大傑作であり,日本刀中の代表作である。小板目肌が詰んで地沸が付き乱れ映り立つ。備前岡山藩主・池田三左衛門輝政が一国に替え難いと言った名刀。
太刀 銘 松田次泰作 平成二十一年春吉日 89.7cm(二尺九寸六分強) 反り一寸二分。
この国宝に迫るべく渾身の力で打ち上げたのが近来目覚しい進歩の古刀の名手,松田次泰刀匠(無鑑査・一歩手前)の力作にて候。寸法は勿論,中心の形状まで忠実に写してご猿。
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紫羅背板地水玉文陣羽織 伊達政宗所用 桃山時代 仙台市博物館 |
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