夏風邪を引いたら定説通りさっぱり治らぬ。誰かに移せばよいのだろうが?、組合も夏休みでどうにもならず、仕方が無く自宅より一歩も出ず連日の猛暑の中でクーラーも点けず、ボーと時代劇を見ていたら「菊一文字」と云う名前が頻繁に出て来て、その名刀で将軍・徳川吉宗が悪者をバッタ〃〃と薙ぎ倒して拍手喝采でおました。併し、これはどうにも馬鹿っぽい、若い頃の三代家光が度胸を付ける為に夜な〃〃辻斬りをした、と云う話は聞いた事が有りましたが、吉宗は歴代将軍の中でも抜群の名君なのでそんな馬鹿な事は絶対に致しません。
TVもこんな時に「菊一文字」という名前を気安く使って呉れては困るのでご猿。
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国宝『後鳥羽上皇像』
伝藤原信実筆 水無瀬神宮蔵 |
御鳥羽院の御所で造られた北面や西面の武士たちや、承久の太刀には菊紋の毛彫りが乱に出陣する武士たちにもこれを施され、菊一文字と呼ばれ、下賜し、武勇を高揚されたと云う。細身の気品高い作風を示す。後に悲運の上皇への思いからか、上皇が自ら焼入れを施した菊紋の太刀は「菊一文字」、又は太刀を「菊御作」と云う。「菊御作」と呼ばれ永く尊ばれた。
太刀 菊紋・菊御作。刃長78.1cm 反り2.2cm 鎌倉時代初期(1195頃)重要文化財。
御鳥羽院が自ら焼き入れをされたと伝えられる太刀である。細身で腰反り高く、先は伏しごころに小峯で優雅な姿をしている。鍛えは小板目よく詰み、地沸こまかく付く、刃文は直刃に小乱、小丁子が尖り小互の目交じる。茎は雉子股形、ハバキ下に十六葉の菊紋の毛彫り。鎌倉時代初期の太刀であり、菊紋の彫りも疑義が無く、越前松平家に伝来した物である。
「一文字」とは、正確には「一文字派」と云って、後鳥羽上皇から御番鍛冶の効により、刀銘に「一」の字を許された刀工の集団。大体が鍛刀地の名前が多く、備前の福岡一文字・吉岡一文字・正中一文字(正中は時代名)・備中の片山一文字、相州の鎌倉一文字等の名称がある。尚、新刀には基本的に一文字鍛冶は居ない。
「一」の意味に於いても、古剣書には解説したものが無い為、様々な推測が行われている。一般的には古来の刀工は無学のため、横に線を一本引っ張って符牒とした、と云う説が多いが備前では他の地区とは違い古備前(1000〜40)の時代より専門の銘切り師が居たという説も有力なので、簡単な符牒の様な物は本来では無い、と言われ今だにハッキリしないが、とにもかくにも名刀揃いでご猿。
尚、下段の1〜3は古一文字、4〜6は福岡一文字、7は吉岡一文字にて候。
以下に天下に名高い、「一文字」を載せて置きます。若しこの様な刀に遭遇をされましたら一大事です。刀屋と「お宝・何でも鑑定団」が飛んで参りまっせ…。
太刀 銘 則宗 付 葵紋蒔絵糸巻太刀拵 69.7cm(二尺三寸)反り2.3cm(7分)重文。
則宗は福岡一文字の始祖で、後鳥羽院の一月の御番鍛冶である、在銘作は4口が知られ本刀はその内の一口で、少し摺上だが腰反りの高い小峰の姿、刃文は直刃に小乱と腰刃。福岡一文字には時折り腰刃を見るが、その古い例で則宗の一作風である。土屋子爵家伝来。
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