東京木材問屋協同組合


文苑 随想


日本の文化 「日本刀」…Japanese Sword…

「♪一家に一本 日本刀 スカッーと爽やか日本刀♪」

其の81
(備前一文字)

愛三木材(株)・名 倉 敬 世

 夏風邪を引いたら定説通りさっぱり治らぬ。誰かに移せばよいのだろうが?、組合も夏休みでどうにもならず、仕方が無く自宅より一歩も出ず連日の猛暑の中でクーラーも点けず、ボーと時代劇を見ていたら「菊一文字」と云う名前が頻繁に出て来て、その名刀で将軍・徳川吉宗が悪者をバッタ〃〃と薙ぎ倒して拍手喝采でおました。併し、これはどうにも馬鹿っぽい、若い頃の三代家光が度胸を付ける為に夜な〃〃辻斬りをした、と云う話は聞いた事が有りましたが、吉宗は歴代将軍の中でも抜群の名君なのでそんな馬鹿な事は絶対に致しません。
TVもこんな時に「菊一文字」という名前を気安く使って呉れては困るのでご猿。

国宝『後鳥羽上皇像』
伝藤原信実筆 水無瀬神宮蔵
御鳥羽院の御所で造られた北面や西面の武士たちや、承久の太刀には菊紋の毛彫りが乱に出陣する武士たちにもこれを施され、菊一文字と呼ばれ、下賜し、武勇を高揚されたと云う。細身の気品高い作風を示す。後に悲運の上皇への思いからか、上皇が自ら焼入れを施した菊紋の太刀は「菊一文字」、又は太刀を「菊御作」と云う。「菊御作」と呼ばれ永く尊ばれた。

 太刀 菊紋・菊御作。刃長78.1cm 反り2.2cm 鎌倉時代初期(1195頃)重要文化財。
御鳥羽院が自ら焼き入れをされたと伝えられる太刀である。細身で腰反り高く、先は伏しごころに小峯で優雅な姿をしている。鍛えは小板目よく詰み、地沸こまかく付く、刃文は直刃に小乱、小丁子が尖り小互の目交じる。茎は雉子股形、ハバキ下に十六葉の菊紋の毛彫り。鎌倉時代初期の太刀であり、菊紋の彫りも疑義が無く、越前松平家に伝来した物である。

 「一文字」とは、正確には「一文字派」と云って、後鳥羽上皇から御番鍛冶の効により、刀銘に「一」の字を許された刀工の集団。大体が鍛刀地の名前が多く、備前の福岡一文字・吉岡一文字・正中一文字(正中は時代名)・備中の片山一文字、相州の鎌倉一文字等の名称がある。尚、新刀には基本的に一文字鍛冶は居ない。
 「一」の意味に於いても、古剣書には解説したものが無い為、様々な推測が行われている。一般的には古来の刀工は無学のため、横に線を一本引っ張って符牒とした、と云う説が多いが備前では他の地区とは違い古備前(1000〜40)の時代より専門の銘切り師が居たという説も有力なので、簡単な符牒の様な物は本来では無い、と言われ今だにハッキリしないが、とにもかくにも名刀揃いでご猿。
尚、下段の1〜3は古一文字、4〜6は福岡一文字、7は吉岡一文字にて候。

 以下に天下に名高い、「一文字」を載せて置きます。若しこの様な刀に遭遇をされましたら一大事です。刀屋と「お宝・何でも鑑定団」が飛んで参りまっせ…。


太刀 銘 則宗 付 葵紋蒔絵糸巻太刀拵 69.7cm(二尺三寸)反り2.3cm(7分)重文。
 則宗は福岡一文字の始祖で、後鳥羽院の一月の御番鍛冶である、在銘作は4口が知られ本刀はその内の一口で、少し摺上だが腰反りの高い小峰の姿、刃文は直刃に小乱と腰刃。福岡一文字には時折り腰刃を見るが、その古い例で則宗の一作風である。土屋子爵家伝来。
太刀 銘 一(号 上杉太刀) 群鳥文兵庫鎖太刀拵 76.1cm(二尺五寸一分)国宝。
 これが、かの有名な「上杉太刀」である。上杉謙信とは直接の関係は無いのだが、遠祖の公家の上杉重房が丹波の上杉荘を賜り武士となり、宗尊親王が第六代の将軍に任じられて鎌倉に下向、上杉も供奉して下向。その折りに京都から携えてきた太刀を三島大社に奉納?。その後、無類の刀剣好きの明治天皇に三島大社からプレゼント、それで上杉太刀の号が付。
 この兵庫鎖太刀は13世紀初頭の作で豪華で精巧な造りである。刀身は福岡一文字の作で
カマス切先で生ぶ刃を残す健全さであり、地肌は小板目よく詰んで、地沸つき乱映り立つ。茎は生ぶ、反りのある雉股、太めの鏨で「一」の字を鎬に掛けて切る。金具は全て鍍金仕上。
太刀 銘 延房作 付 螺鈿象嵌細太刀拵 77.7cm(二尺五寸六分)重要美術品。
 信房は三月の番鍛冶で日本鍛冶の長者の名を授けられた。この太刀は出雲の千家の旧蔵。長寸で身幅広く腰反りの高い堂々とした姿で中峰。板目肌よく詰み、全体に地沸が付き乱れ映り鮮明に立つ。刃文は小丁子乱、足、葉よく入る。帽子はのたれ込んで小丸に返る。腰元で反り先伏しごころの長大な太刀で気高さが感じられる。公家の飾り太刀拵えも完存。
太刀 銘 南無八幡大菩薩           鎌倉時代(1322)  国宝。
      南無妙身大菩薩 元亨二年三月日
      備前国吉岡住左近将監紀助光 刃長 82.3cm(二尺七寸二分) 反り3.4cm
 助光は銘文にもある如く、吉岡一文字の助吉の子である。この長大な太刀は吉岡一文字の棟梁として貫碌を示す傑作であり丁子で一世を風靡した一文字派の最後を飾る太刀でご猿。
太刀 銘 助真 刃長78.9cm(二尺六寸)反り3.3cm(一寸一分) 鎌倉時代 重要文化財。
 これが天下に名高い、鎌倉一文字と称され、相州伝の三名人の一人である助真の太刀です。鎬造、庵棟、踏張りあり、中反り高く、中峰。刃文は大少の丁子が交り板目詰み映り立つ。生ぶの太刀姿は大変に貴重である。徳川将軍家に伝来。福岡一文字らしい匂い出来である。
薙刀 一   刃長 50.6cm(一尺六寸七分)鎌倉時代 中期  重要文化財。
 この薙刀は反りが浅く、先の張らない鎌倉時代の中頃に流行をした薙刀の典型的な姿を示している。刃文は片面は華やかな丁子であるが、他面は互の目が目立つ。当時の薙刀が
現存する物は少なく、一文字の在銘であることも大変に貴重である。

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