鑑定会、黙って坐ればピタッと当る?。というのが理想ですが、世の中そう上手くは参りません。前回(11月)の紙上鑑定刀の答えは「長曽祢虎徹入道興里」でございました。
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刀 銘 長曽祢虎徹入道興里(金象嵌)四胴 山野加右衛門六十八歳ニテ裁断
永久(花押)千時寛文五年二月十五日 |
虎徹の名前を有名にしたのは、元治元年(1864)新撰組の近藤勇が池田屋へ切込んで維新の志士をバッタ〃〃と叩き斬り、「今宵の虎徹は良く斬れる」と云った文句からだと喧伝されていますが、虎徹は人生の前半を越前の甲冑師で過ごし、50歳を過ぎてから江戸に出て刀鍛冶となり、刻苦勉励の後、切れ味が抜群だと賞賛された刀工であります。
お値段は新刀(1600〜1830)の中では最高であり、古今の名刀を含めても十指に入るビック・プライスであります。時代は「天下分け目の関ヶ原」から50年は過ぎており、尚武の士も減少し、刀剣の価格も暴落し売れぬ時代にです、故にビックリ仰天なのです。元来が甲冑師なので鉄に対する造詣が深く、その扱いが上手かったと言われています。
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平成二十一年度
誌上鑑定刀入札高点位者発表
平成二十一年四月号(六二七号)出題(六月号発表)から、平成二十二年三月号(六三八号)出題(五月号発表)までの誌上鑑定の入札において、次の方々が満点でした。
この方々には後ほど賞状と粗品をお送りいたします。
東京 市川 省三 大熊喜久男
大平 岳子 荻野 光章
亀岡 照夫 川浦 俊英
川上 正義 木住野幸則
駒沢 勝栄 菰田 照彦
酒井 博 島崎 勝
志村荘一郎 鈴木 康敬
橘 一郎 豊田 佳子
名倉 敬世 野尻 治
野添美佐子 水野 元
森田 宗典 渡辺 英男 |
この「紙上鑑定」への応募者数は判りませんが、正解は838人ですが外人(18人)と女性の数が増えて来て、中には鍛冶や刀職(金工・砥師・組紐師)への希望者もおります。今回、正解者は838名でしたが一年間ですと約半分の442名(52.7%)になります。その方には、褒美として忘れた頃に名前の入った賞状と袱紗か風呂敷が送られて来ます。
その月により問題の難易度が異なるので多少の違いは有りますが、大概の方はナンナク賞状と賞品をゲットしております。〜ワカラネバ、天ノ声デオシラセイタシマショウ。
…自分のことでナンなのですが、小生は30年?近く、正解を続けておりますです…
刀剣鑑定の歴史は古く、平安、鎌倉に遡りますが当時は個人の「目利き」の範疇であり、体系的に確立をしていた訳では無く余技として、将軍を頂点とした腕に憶えの武将等が主役でしたが、三代足利義満により世の中が落着き始めた室町御所で同朋衆や阿弥衆の中から自己の得意とする個人芸が認められ、それが後に独立して一家をなす迄に至つた。
これが、「○○道」であり今に伝わる「宗家・家元」の原点と云う事であります。 刀剣の鑑定は天正の頃(1573)豊臣秀吉より砥ぎが生業であつた、「本阿弥家」の頭領、本阿弥三郎兵衛光徳(当時の美術全般のオーソリテイ)がその認印である銅印を拝領し、以降は本阿弥宗家が幕末まで継承を致しております。本阿弥家の折紙(鑑定書)は非常に格式が有り「折紙付」の語源にもなってます。(毎月の3日に7家が集り合議で審査)。
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本阿弥銅印 |
さて、それでは「鑑定会」とは何ぞや、と云う事で、其のルールを少し説明しますと、先ずは目の前に数本の刀が出てきて、この刀の「刀匠(鍛冶)名を当てる事」でご猿。
記 |
1、 |
時間、60分一本勝負。(一刀に付き2分〜3分)、但し、何回見ても可。 |
1、 |
古刀・新刀の間には時代違いの枠を設けるが、新刀と新〃刀の枠は設けない。 |
1、 |
親子、兄弟は「同然」。国の枠内(国入り)は「能候」。街道の枠内は「通り」。 |
1、 |
前記のいずれにも当らぬものは「イヤ」、新刀と古刀が相違の場合は「時代違い」。 |
2、 |
採点。「当り→20点」「同然→15点」入札は三回迄とし、回を重ねると5点を減ず。 |
3、 |
そして回答を捻り出して、入札用紙に銘と時代と流派を書いて「判者」に差し出し、お茶を飲んで居ると、名前が呼ばれ、入札用紙を取りに行き、点数を見て愕然とす。 |
4、 |
ハズレ(当り・同然・以外の物)を再度入札する。 |
5、 |
時間が来ると、判者が一号刀から説明を始める。(刀銘・見所・落し穴)価格は言わない。 |
7、 |
成績発表 最高点から、天位・地位・人位、と呼び、「三星」と云う。大体80点以上。 |
8、 |
これまで小生も、地位、人位はマグレで偶には頂く時が有りますが、天位は今迄にござんせん、何しろ一回の入札で終りなんですから、それこそ天地が動転する訳です。 |
実はその権威ある鑑定会でビックリ仰天の奇跡が起こりましたので、その顛末を少々。「自画自賛」となりますので、恥ずかしい気も致しますが生涯で一度の事ですので…、報告をさせて頂きやす。
記 |
一 |
号刀、(来)国行は生ぶ在銘の長寸の太刀で、如何にも本筋の太刀姿、時代は鎌倉末〜南北朝、沸えが強いため山城物で来と見た。延慶の年期入りで物打ちに相手の刃入。 |
二 |
号刀、ガッシリとした造込みで新古境の江戸新刀、虎徹に似ていて、一瞬これはとの思いにかられたが、上総か和泉かで迷ったが虎徹の師匠と云われてる上総守兼重に。 |
三 |
号刀、備前長船までは誰でも来る、配体が鎌倉末より豪快で、素晴しい名刀で有る。 |
四 |
号刀、これには参った、見知りであり、少生の田舎の縁続きの千五鍛冶の流れである。 |
五 |
号刀、これも備前長船で重美の与三祐定、余りの健体の為、新〃刀と間違える程だ。 |
こんな訳で計らずも、天位にて候。これが本部の鑑定ならパレスホテルを貸切でご猿。
因みに、普段の鑑定会はこんなもの(下図の如き)でござります。
日本全国の支部や同好会(勉強会)では何処かで開催をしていますので参加は容易です。
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