『歴史探訪』(50)
江戸川木材工業株式会社
常務取締役 清水 太郎
『かざりなく門松立てず餅搗かず かかる家にも春は来にけり』
東海道ネットワークの会秋庭会長は,十返舎一九の研究家で,会報に毎回,「一九随想」と題して連載記事を寄稿されてもう10年になります。昨年は,由比宿に住むT氏が,十返舎一九真筆の掛軸を入手した,という報らせをきいて馳せ参じ,難解な崩し文字を苦労して解読され,辛じて文中の一首を会報で披露して下さったのが冒頭の狂歌です。拝見して私は,何と今の時勢にも合う狂歌であると感心した次第であります。
今回は,「東海道中膝栗毛」や広重,北斎の浮世絵を手掛りに歴史探訪します。
江戸時代は武家の時代であり,東海道は幕府と武士のために拓かれたと云われています。宿駅の制も武士の街道往来の利便のため制定されたことも,広重の東海道中の旅立ちを大名行列の出発で描き始めたことを見ても明らかであります。
十返舎一九は,明和2年(1765)に駿府で中下層の武士の子として生まれました。小田切土佐守直年に奉して,江戸の屋敷に居りましたが,その後,大阪で義太夫語りの食客になったり,材木屋の婿になって離縁されたりしていました。寛政6年(1794)に江戸に戻り江戸随一の大出版業者の蔦屋重三郎の食客になってから,黄表紙,洒落本等の作品で世間に知られるようになりました。
享和2年(1801)江戸から箱根までの,弥次郎兵衛と喜多八の旅の滑稽本「東海道中膝栗毛」が大当りして大流行作家になりました。
一九の特徴は弥次,喜多の会話の中に「地口,語呂合わせ」がやたらに出て来ることであります。よく知られたことわざや唄の文句を,発音が同じか,よく似た発音で,その頓知を楽しむあそびで,次のようなものがあります。
舌きり雀−着たきり雀
沖の暗いのに白帆が見える−年が若いのに白髪が見える
案ずるより産むが安し−杏より梅が安し
現代でも使われていることばもあります。
私が東海道を歩いて,何回か弥次・喜多の足跡に出合った記憶を辿ってみますと
東海道を出て品川を過ぎ,鈴ヶ森刑場の処で弥次さん
『おそろしや罪ある人の首玉につけたる名なれ鈴ヶ森とは』
私は第1日目は日本橋から鈴ヶ森で,その日の旅を終えた記憶がありますが,江戸時代の旅人は,初日は保土ヶ谷か戸塚まで約10里歩いたようです。宿場には留め女と云って客引が誘い込みます。
『おとまりはよい程が谷と溜め女戸塚まえてはなさざりけり』
平塚の手前で馬入川を渡ると,白旗村があり,昔,義経の首が飛んできたのを祭り込めた白旗宮が今でもあります。弥次さんがその話を聞いて,
『首ばかり飛んだはなしの残りけりほんのことかはしらはたの宿』
小田原の宿では有名な五右衛門風呂を勧められます。底に敷いた板が浮いているので,蓋かと思い,弥次さんがとって入ると底が熱いので,庭から下駄を持って来てはいて入ります。あとから入って来た喜多さんは「あっちっち」おまけに釜の底を踏み抜いて大騒ぎになります。
箱根の関所を無事に越え,三島へ下る途中,玉沢にある法華寺に,足利家武将が建立した七面堂を伏し拝んだ弥次さんは
『足利の武将の建てし名にめでて七面堂と言うべかりける』
武将と不精,七面堂としち面倒にかけた当意即妙の洒落が飛び出て来るあたりは流石弥次さん,いやこれは十返舎一九の狂歌師の面目躍如であります。私はこの故事は高校の教科書で読んだ記憶があります。私が東海道を歩いたときは,七面堂はすでに無く,故事を記した碑が建っておりました。
府中の先安倍川を渡りますと,とろろ汁を商う茅葺きの家が今でもあります。芭蕉はここで『梅若菜丸子の宿のとろろ汁』という俳句を詠みました。私達が訪ねたときは未だ準備中でした。同行した友人の画伯はスケッチをして描き終えたら丁度店があいたので,宇津ノ谷峠へ急ぐ私を尻目に,美味しいとろろ汁を堪能された,と後で訊きました。
東海道中の弥次・喜多はどうなったのでしょうか。十返舎一九先生の設定では,ちょうど腹を空かして2人がお店に入った処,店の従業員夫婦がけんかの最中で,とろろ汁をひっくり返してすべり,楽しみにしていたとろろ汁が食べられなくなってしまいました。
『けんかする夫婦は口をとがらかしとんびとろろにすべりこそすれ』
こんな調子で弥次さん喜多さんは西へ向かいますが,一九の弥次喜多シリーズは大当たりで,「続・東海道中膝栗毛」で新居から山田,京都から大阪,続巻で四国の金毘羅参詣,安芸の宮島参り,その後木曽街道,善行寺道,上州草津温泉道,中山道と巡り,江戸を出てから足掛け21年の長旅となりました。
静岡は一九の出身地で,十返舎一九の会が現代訳の膝栗毛を出版し,私も何冊か購入して読みました。いつ読んでも楽しく,弥次喜多のユーモアに癒されることもあります。
昨今の不況は百年に一度とか,少子高齢化,環境問題,その他リストラ等貧困に喘いで年間3万人以上の人が自ら命を絶つ現代を思うとき,若し冒頭の狂歌を見て一九大先輩に励まされ,思い留まる人があれば,どんなに素晴らしいことでありましょうか。 |