東京木材問屋協同組合


文苑 随想


『歴史探訪』(55)

江戸川木材工業株式会社
常務取締役 清水 太郎

 7月4日はアメリカの建国記念日です。月刊誌「歴史街道」を繙いておりましたら、第十六代大統領リンカーンと坂本龍馬が、ほぼ同じ時代に活躍しており、互に共通がある、と記してありました。今回は、日本史と世界史の「同時代」年表を眺めながら歴史探訪をします。
 1861年に南北戦争が始まり、北軍の代表リンカーンが南軍に勝って、南北は再統一され、1863年奴隷解放宣言がなされました。
一方、今、NHK大河ドラマで大活躍の坂本龍馬は、1866年薩長同盟を演出し、大政奉還、明治維新の大きな原動力となりました。
 リンカーンは1865年暗殺され、龍馬も明治維新を見ることなく、1867年、若い命を散らしてしまいました。
 若し南北戦争が起こらなければ、米国は日本を侵略していたかも知れず、従って米国が国を二つに割って争っていたことが幸いして、日本丸は辛うじて世界へ船出することが出来たと云えるのではないでしょうか。
 西暦29年、イエスキリストがエルサレムで処刑されました。29歳のときです。約30年後の西暦57年、倭の「奴国」(ワノナコク)が後漢(ゴカン)に使者を送り、光武帝(コウブテイ)から印綬(インジュ)(「漢委奴国王」金印)を授けられました。この史実は中国の史書「後漢書」に記されております。
 西暦239年、邪馬台国の女王卑弥呼は魏(ギ)に使いを送りました。中国では220年魏、呉、蜀の三国時代に突入します。魏の操曹、呉の孫権、蜀の劉備が力の限り戦う様は、かなり誇張されて、三国志として1800年を経た今日まで、血湧き、肉踊る物語となって読者を魅了しております。女王卑弥呼については、「魏志倭人伝」に記されていますが、当時の日本は文字を持たなかった為、邪馬台国の位置も、卑弥呼の存在も謎に包まれており、今日に到るまで、学者だけでなく、歴史を探訪する我々にとってもロマンとなっております。
 1192年、源頼朝が征夷大将軍に就任しました。異母弟の義経を匿った藤原秀衡、泰衡を滅ぼし、天下統一がなされました。
 義経、弁慶ほど国民に慕われた主従はいないのではないでしょうか。五条大橋に於ける出会いは童謡に謳われ、安宅の関に於ける逃避行では、歌舞伎、勧進帳で親しまれています。
 義経の死後も伝説は日本各地に残っており、大陸に渡ってチンギス・ハンとなりその子孫が大軍を率いて襲来したと、まことしやかに伝えられています。チンギス・ハンがモンゴルを統一したのが1206年ですから、若し義経が生存していれば40歳くらいになっていた筈です。蒙古襲来は二度に及び文永(11年、1274)弘安(4年、1281)の役と云われましたが、二度とも神風が吹いて蒙古軍は壊滅しました。以後、鎌倉幕府は衰退に向います。
 話は脇道に逸れますが、西郷隆盛に纏わる伝説があるのを御存知でしょうか。これも国民的人気が為せるわざでしょうが・・・
 江戸幕府を倒して明治政府の要職に就いた薩摩の西郷隆盛は、征韓論を唱えますが、反対され野に下って悠悠自適の生活を楽しんでおりました。しかし、彼を慕う若者達に担ぎ出されて「西南の役」を興しますが、破れて自刃して果てました。しかし、死後も人気は衰えず、ベトナムに渡って王になったという伝説が生まれました。都を自分の名に因んでサイゴンと定めた、という落ちまでついています。
 1275年、商人の息子マルコポーロがアラビアの隊商と共に駱駝に乗って中国を旅行し、ここで日本についての情報を得ます。奥州の藤原氏が隆盛であった頃、出羽の国は金が採れ、平泉の中尊寺に金色堂が建てられました。中国と貿易をして物資を購入し、代価は金で支払われておりました。後にマルコポーロは『東方見聞録』を著わしますが、日本については家屋の屋根は金の瓦でできている、等と書かれ、これを読んだ欧州の商人達は日本へ行こうと企て、大航海時代に突入します。
 1492年、アメリカ大陸を発見したコロンブスも当初は日本へ行こうとして西へ西へと航海して、着いた島に皮膚の黒い人に出会った為、てっきりインドに着いたと勘違いし、今でも周辺の島々を西インド諸島、住民をインディアンと呼びました。
 1543年、種子島に鉄砲が伝来しました。1560年、桶狭間の戦いで今川義元を討ち、勢力を拡張していた織田信長は、キリスト教布教の為やって来た宣教師を保護し、世界の情勢について聞きます。1543年、コペルニクスが「地動説」を発表する等、地球の裏側の日本人には信じられないことばかりでしたが、理解力の優れた信長は「地球は丸い」ということを信じた最初の日本人でありました。卓越した先見力と鉄砲の大量生産で天下統一を志しましたが、天地人のうち、天の時、地の利は得ましたが、人の和を軽視して、本能寺の変で49年の生涯を閉じます。以後、秀吉、家康と権力は移り、1600年、関ヶ原の戦いで天下を取ります。
 奇しくも同じ1600年、イギリスは東インド会社を設立し、欧州諸国は世界中へ進出し、未開の国を傘下に収めて植民地とします。
 日本は1639年鎖国をして、独自の道を行きますが、鎖国の功罪については、今後機会がありましたら検証したいと思っております。

 



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