東京木材問屋協同組合


文苑 随想

見たり,聞いたり,探ったり No.139

神戸、「人と防災未来センター」見学
青木行雄

※「人と防災未来センター」のビルの入口。左側が西館と右側が東館である。主に西館が防災を主体のコーナーがあった。
※防災センターの入口、奥のエレベーターで4階に上がる。最初の入場なので誰もいない。
 

 9時30分ピッタリに係員が「お待たせ致しました。開館時間です」と扉を開けた。
 ここは神戸、阪神・淡路大震災記念「人と防災未来センター」のビル入口前である。
 入場と同時にまずエレベーターで4階の震災追体験フロアに案内された。
 1995年(平成7年)1月17日の大震災、1・17シアターの会場に入る。かなり大きな変形スクリーンに上映時間は7分間だったが、かなりショッキングで地震破壊のすさまじい迫力のある場面が音響と共に放映され、汗にぎる体感であった。入場者は日本人の他、韓国の団体が20〜30人いた。防災センター見学とは韓国人も地震の予備知識の勉強かもしれない。
 続いて震災直後の町並みをジオラマ模型でリアルに再現された横丁を歩いての体感である。16年前、大震災1ヶ月後に現地に行ったことがあるが、その時の事を思い出し、改めてその時の様子を思い出した。その次の大震災ホールは上映の会場で上映時間15分とちょっと長いが、復興に至るまでの町の人を、直面する課題とともにドラマで紹介する内容、震災で運よく助かった1人の女の子が、いろんな人の支えや協力により成長していく姿をドラマ風に作られている。感動だった。以上この3ゾーンが4階の体験フロアとなっていた。
 西館はこの4階から下に降り、3階は震災の記憶フロアと言うことで、4階からエスカレーターで降りると、震災からの復興をたどるコーナー震災関係資料を提供者の体験談と共に展示していた。当時のあらゆる物品の展示や災害にあった写真や物品など何万点かあった。町の復興の様子や震災にあった時のビデオや再現、実際に震災にあった人がその時の様子を説明したり、グラフィック解説もあった。また防災用のグッズなども展示され、あらゆる場合の震災による知識も知ることが出来る。又特に関心を引くコーナーがあった。それは今回新木場で体験した液状化の状況をこの神戸で詳しく説明を受けた。この神戸のポートアイランドも全島が殆ど液状化となり、何故おきたか、どんな状況だったのか、詳しく模型を作っての説明に参加者は大変関心を示した。この防災センターに来る前に神戸のいろいろな場所を見て知識や勉強もして来たので、このセンターでの状況が大変よく把握出来た。
 2階の防災・減災体験フロアに移動する。災害情報ステーションには世界で今起こっている自然災害を学習出来るようになっている。もちろん東日本大震災の情報も詳しく見られるようになっている。今度の東日本大震災でこの防災未来センターが益々その意義が重要になって来た。
 防災・減災ワークショップでは、実験やゲームを通して、防災・減災に関する実践的な知識を学習するコーナーである。
 地震や風水害など自然災害をさけることは出来ないが、その災害を少しでも小さくおさえる減災には人間の力で対応が出来ると言うのがこの防災センターの大きな目的である。
 そして防災未来ギャラリーでは防災に関する様々な企画展を開催していた。
 特に3階の震災を語り継ぐコーナーでは、ビデオで震災体験を紹介したり、語り部で自ら、荻野君子さんと言う女性の方が自分の体験を詳しく写真と共に説明していた。
 私(彼女)は木造の2階建てに住んでいた。震災の時1階で寝ていて、震災に合った時1階がつぶれて下敷きになった。タンスが横に倒れ、冷蔵庫も倒れその間に挟まれた。隙間に挟まれた身体に怪我はなかったが身体を動かすことは出来なかった。幸い冷蔵庫のドアが開いていて中に水が少々あった。なんとか手を動かせて水が取れた。幸い火災にあわなかったので助かった。
 荻野君子さんの手記を頂いたのでそのまま記して見た。

「命の尊さ」
※語り部の荻野君子さんの書いた書、「命さえあれば何もいらない」写真撮影禁止なので撮れなかったがこれだけ撮った。
 「命さえあれば何もいらない。耐えた叫んだ極限状態の七時間でした。幸運に幸運が重なって倒壊家屋下の生き埋め状態から奇跡の生還です。
 家の前に子供2人のバイク2台が家の下敷きになり倒れてガソリンが漏れ始めた。東灘区に住んでいて、二階が落ちて来て、一階が押しつぶされて、アッと言う間に私達夫婦は生き埋めになってしまいました。中はガス管が外れたのか、ガスの臭いとガソリンの臭い、壁土の臭いが充満していました。ガスの臭いをかいだ時は、ガス爆発でフッ飛んで死んでしまうのではと・・・おしまいかな・・・と想うと身体がブルブル震えが止まらなくなってしまいました。身体は石膏に固められた様に上向き状態で、首から下は布団に守られ、顔の方は偶然に押入れの襖が被さり、窒息しない様に守ってもらい幸運にも七時間後、ご近所の方々5、6人と息子とに助けて頂きました。「遠い親戚より近くの他人」、「向こう三軒両隣」等。ことわざの通り大切です。ライフライン(電気・ガス・水道・交通・通信)が止まってしまいますと、連絡の方法が無く、どうしようも有りませんでした。この地震で助けられた人々はご近所の方々で90%、殆どがご近所の方々です。いざと言う時は、ご近所です。日頃より仲良くお付き合い、助け合う事がとっても大切と思います。感謝・感謝。

荻野君子

 子供達へのメッセージも記して見た。
 「長い人生の中では、楽しいことやうれしいことよりも苦しいことやつらいことの方がきっと多くあると思います。それでも、一瞬にして自分の命や大切な人を失ったたくさんの人の分もあなた達は強くたくましく生きていかなければなりません。
 そしていつかあなた達が親となった時、自分の子ども達に自分があの震災をくぐりぬけて大きくなってきたのだと、きっと話してあげてくださいね。
 そして私達がしてきたように、あなた達も又、小さな命を一生懸命守ってください」
「命の尊さと震災の教訓を語り継ぐ子どもたちへのメッセージ」より

 「人と防災未来センター」の建物の概要等説明してもらったので記して見た。
 「人と防災未来センター」の大きな目的は阪神・淡路大震災の記憶を風化させずに「語り継ぐ」ことにある。
 西館の外装デザインはシンボル性とモニュメント性が重視されている。建物全体が立方体であることは震災の記憶を風化させない強い意思を、ガラスの外壁はセンターの活動を多方面に広く公開していくことを表現しているらしい。夜間は外壁についている143個のLEDライトが太陽電池により点滅し、これは広く情報を発信することを表現している。
 敷地は「人の心の癒し」の象徴として水と緑で構成されている。西館周辺の水盤内には地震が起こった5時46分の時計の針の角度を、ガラスと御影石の立方体で表現した阪神・淡路大震災犠牲者の「鎮魂の碑」を配置している。東館の外装は「いのち」と「森」を基本テーマにデザインしている。

※西館の前庭に震災で崩れた高速道路の橋脚。かなりひびが入っている。
※市内の有名な「メリケン波止場」であるが震災の爪痕そのままを残すパークとなっていた。
※メリケンパークの一角で震災の爪痕がそのまま残っている。四方から見学出来るようになっていた。かなり酷い現場である。

 又西館には免震構造に加え、四隅の柱と壁に包まれたコア部に地震のエネルギーを吸収するオイルダンパー付き制震装置を備えていると言う。これにより建物の変形を抑え、阪神・淡路大震災と同じレベルの地震にも耐えられる。また、壁面ガラスを二重構造にすることで、空気の温度差を利用した自然重力換気ができ、建物内部への日射エネルギーの遮断や建物からの冷房エネルギーの放出を制御できる。更に、太陽発電(発電量20kw)を利用しており、全消費電力の約3%を供給している。建物のまわりの水盤は防火用水の役割も果たすと言われている。
 東館は太陽発電をガラスカーテンウォール、勾配屋根、外部の床に積極的採用し、実質的な省エネルギーを図り(発電量180kw)新エネルギーに対する取り組みを実施している。
 こんな知識をこの建物を見る前に深めておくと、どんなに勉強になるか、又見学する意義もいっそう大きいものになると思う。

 西館の設立は平成14年4月27日

 東館の設立は平成15年4月26日である

 日本は、空、地、海と自然災害の多発国であり、この災害を防ぐことは出来ない。この防災センターでも強調しているが、この災害を人間の力で「減災」にすることは出来る。あらゆる手段をこうじて、知識を広め、災害に対応して「減災」につなげる。そうすれば、この防災センターの見学も意義が大きいと言うわけだ。
 市内には大震災の現場保存場所があって、当時の生々しい現場を見ることが出来る。
 ある日突然発生し、甚大な被害をもたらす自然災害。この阪神大震災の経験を語り継ぎ、その教訓を未来に生かすことを目的に出来たこの施設は大いに勉強になった。

「希望の船出」の銅像とポートタワー

平成23年8月21日 記


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