東京木材問屋協同組合


文苑 随想


日本の文化 「日本刀」…Japanese Sword…

「♪一家に一本 日本刀 スカッーと爽やか日本刀♪」

其の84 稀代の名刀

愛三木材(株)・名 倉 敬 世

 謹んで新春を賀し奉り、皆様の益々のご多幸とご健康を祈念申し上げます。

直刀 無銘 ( 号 水龍剣 ) 刃長62.3cm(二尺六分) 僅かに内反り 奈良時代・八世紀。
付 梨地水龍瑞雲文宝剣拵 長80.2cm(二尺六寸五分) 重要文化財 東京国立博物館。
この太刀は元来が正倉院に納められていた物ですが、明治五年に刀剣愛好家であられた明治天皇がお手許に留められた物で、正倉院・北倉に納められていたので聖武帝所持と伝えられている太刀である。

飾太刀 梨地螺鈿金装飾剣 総長 103.3cm(三尺三寸四分) 平安時代・12世紀 東博・国宝。「刀装形状」長金具は山銅地鍍金枝菊文透彫、地板鍍銀磨地、冑金の縁は山銅鍍金魚子地、枝菊高彫、鍔は分銅形、柄は白鮫着、俵鋲は表が猪目、裏俵形、鞘は梨地尾長鳥文螺鈿。
 この飾剣は唐太刀の様式を踏襲した物で平安時代には節会・御禊・行幸・賀茂の祭
などに上級の公家…「東宮及参議己上節会時着レ之」…が佩いた儀式用の太刀である。
飾剣の正式名称は「如法飾剣」と言い、柄は白鮫、鍔は唐鍔、鞘は紫檀で蒔絵・螺鈿で金具には瑠璃や玉が嵌められ装束も赤鞣革でご猿。
 この飾り太刀は公家の広橋賢光の献上で、先祖の藤原北家二代の真楯が佩用したとの伝称でご猿。この様な飾剣は焼入れが致しておりませんので、このままの軟鉄(グズ鉄)ではとても使用にはなりません、まだナマクラ(焼き戻し)の方がナンボかマシでご猿。
 今回は、ニューイャーで「新玉の年の始め」でござんすので、現今の我国を代表するビック・スリーをご紹介いたしましょう。これは質実剛健+美しさ+伝承、を加味した総合点での小生個人の評価ですので、この点をお間違えの無い様にお願いを致します。

  

太刀 銘 備前国包平作・(名物 大包平) 長さ 89.2cm(二尺九寸五分)反り3.5cm(1寸二分)
      国宝 平安時代(12世紀) 東京国立博物館蔵。
 作風は小板目肌が詰み、地沸が付き地景が細かく入り、乱れ映りの立つ鍛えに小乱れに小丁子を交え足・葉の入った小沸出来の刃文の作風となり、表裏に棒樋を掻き流している。

 この太刀は従来の包平とは一味違う出来で、健全無比な傑作で日本刀の屈指の代表作の一口である事は既に定評がある。大包平の号は単に大きいという意味だけでは無くて、その偉大さを含めた敬称である。備前・岡山の太守・池田三左衛門輝政の愛刀であり、輝政が「一国に替え難し!」との言葉が光る流石の名刀でご猿。

 

太刀 銘 真恒・(久能山の真恒) 長さ 89.4cm(二尺九寸五分)反り3.9cm(一尺三寸)。
             国宝 平安時代(12世紀) 静岡・久能山東照宮。
鎬造りで猪首切先、小板目の良く詰んだ鍛えに地沸が細かく付き小乱れに足・葉が入り、物打より上に互の目ごころに乱れ小沸の付いた刃文の出来。腰反りが高く踏張りが有る。

 古備前真恒は正恒の流れを汲む刀工で現存する作は大変に少なく、この堂々たる太刀は大包平と双璧と言うべき古備前の作品中の雄刀である。


梨地桐紋蒔絵糸巻太刀拵 総長 120.6cm(四尺) 桃山時代(17世紀) 静岡・久能山東照宮。

 二代将軍秀忠が久能山東照宮に奉納した真恒(国宝)の拵、総金具は赤銅魚子地金桐紋散、鞘には桐紋蒔絵をした糸巻き太刀である。桐紋の形や鞘の薄い肉取りに桃山時代の姿が見られ、糸巻太刀の基準作例になるものでご猿。元和三年(1617)正還宮に奉納した物で、当時の金工・漆工の技術の高さが判り、資料的価値も高い物でご猿。

  太刀 銘 安 綱 (名物 童子切) 長さ 80.0cm(二尺六寸四分) 反り2.7cm(九分)。
            平安時代(10世紀) 国宝 東京国立博物館蔵。
 ご存じ、源頼光が大江山で酒顛童子鬼と言う鬼を退治した時の刀で「童子切安綱」と言われている名刀だよ〜ん。伝来は室町将軍家から秀吉〜家康〜二代秀忠〜娘の勝姫が越前宰相忠直に嫁入りする時に持たせたが、忠直の乱業により越前家取り潰しの後に〜津山松平家に移る。享保名物牒にも所載され「日本刀」の原点という大名物でご猿。
 制作年代は昔は大同頃(806)と言われていたが、完成された日本刀は平安中期以降と考えられるので現在は永延頃(988)と推定されている。因みに、年号が明記されている日本刀は平治元年(1159)八月二日銘の薩摩の行正・国安の合作の太刀でござりまする。

(今年の干支・兎の鍔)

「月兎の図」  
  鉄地 丸型 透かし彫り 毛彫り 両樋 縦86mm 横88mm 厚5mm、赤坂忠重作
鍔の丸い形を名月に見立て、月の中で兎が餅を搗くという有名な伝説を表した物、
杵を力強く持ち餅を搗く兎の姿がよく写されている。特に兎の真剣な目は怖いくらい。
 この所、政冶・経済は許より気候や北朝鮮のサプライズ続きで、三日先が皆目判らぬ?状態が続いておりますが、その所為か日本固有の美術品の世界でも変化を来たしており、今迄に伝家の重宝として秘蔵されていた名品の類が顔を見せる様になって参りました。これらは、阪神・淡路の大地震の折に神戸や京都から名品が出て来た時以来で、今回は
(1)不況の長期化。…公的機関の買取り資金不足で美術館・博物館への納入が×。
(2)後継者の不在。…日本文化・美術への無知・無関心、又は興味・趣味の違い。
(3)国指定品(重要文化財)の国外への持出し禁止規定の厳格化。…国宝ハ重文ノ内。

 これらが名品が一般に出回る事になった主な理由と思いますが「子孫に美田を残す」とお考えの方、チャイナの(土地以外に日本美術にも手を出し始めました)言動を憂う方、今が日本古来の素晴しい物、「日本の宝」の購入には絶好のチャンスと思いますので…。

 それでは、今年も心身とも元気で、グッド・ラ(ワ)イフで頑張りましょう。


透鍔・松竹梅図
土州明珍紀宗義作

 



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