忙中閑有、土用のサタデーの午後、梅雨(つゆ)空をボォーと眺め乍、来月号の月報のテーマを何とすべーか?と愚考をしていたら、突然、電話が鳴り「コレコレシカジカの刀が有るが、ナンボで買って呉れるカイネ?」と言う、名無しの権兵衛さんよりの問い合せがござった。アクセントからの感じではどうも東北地方の様だが、聞き慣れた秋田や津軽とも違うので隣の遠野かなと思ったが、為らばこの度の東日本大震災の罹災者の方とも考えられるので、言葉を丁寧語に改めて応答をさせて頂いたが、最近この手の相談はかなり多くなり申した。
|
太刀 銘 宝 壽 |
太刀 銘 宝(ほう)壽(じゆ) 長74.8cm(2尺4寸7分)反り3.7cm(1寸2分) 鎌倉時代 重要美術品。
宝壽は奥州平泉の舞草鍛冶の系統を引く鍛冶と言う、鎌倉から室町にかけて同名が続く。この太刀は鎌倉中期を下らぬ凛としたスタイルで、板目が肌立ち流れた鍛えに地沸(ぢにえ)が付き、小乱れ刃に丁子ごころの刃が混じり匂口(においくち)が潤み沸(にえ)づいて砂流(すななが)しの著しく掛ったものとなり、帽子は焼(やき)詰める。宝壽作中の名作であり、赤星鉄馬より岩崎小弥太に譲られた名品でご猿。
その原因はこの組合月報に日本刀の「アル事アル事」の掲載を始めた所為(せい)だろうと想像は致して居りますが、多分〜当たらぬとも遠うからず〜でしょう。併し小生はアドバイスは致しても、人様の持物の売買は一切致しません。勿論、ゼニの無いのが主たる原因ですが、売主に同情して購入しても、後で「伝家の宝刀を安く買われた」と云われるのがオチでご猿。因って、この様な場合は売主と一緒にプロの刀屋を何軒か廻り参考にして頂いております。
これ迄は売主の横に無言で一緒に坐って居るだけでも、かなりの効果が有りましたが、近頃はシブイ、即金での決済も少なく委託がいい所です。従って、何時売れるかは?です。
一番、換金性の早いのは、仲間内のセリ(オークション)ですが、駄物は二束三文の覚悟です。
以前の阪神大震災の時は、西宮や京都を中心とした関西方面の旧家やお公卿さん関係の書物や社寺の三幅対の大きな掛物、名物の茶器が多く出て業界全体が混乱を致しましたが、昨今はそれらの名物も大名物も収まるべき処に納まった様で大変に静かになりました。
併し、今回の福島の浜通り、宮城の塩釜や亘理地方、岩手の宮古や遠野方面はそれぞれその昔、「一所懸命」を唱え各地で群雄が割拠して、争った所ですので歴史は山積みでご猿。
その昔、宝亀年間(770〜80)頻りに蝦夷が騒ぐので、桓武天皇は紀古佐美(きのこさみ)に命じ鎮定(ちんてい)に当たらせたが、古佐美は藤沢城で大敗をしたのに「勝った勝った」と偽って帰国をした。
然し、勝ったと云うのに出羽(秋田・山形)への路は塞がれたままで相変らず通行不能の為、帝(みかど)は大伴弟(おつ)麻呂と坂上田村麻呂に命じ蝦夷を北方に駆逐し、志波城を築かせ凱旋をさせた。
|
蕨 手 刀 |
|
蕨(わらび)手刀(てとう) 総長66.0cm 刃長52.0cm(1尺6寸6分) 平安時代(8〜9世紀) 岩手・大長寿院
この蕨手刀には毛抜形の透しがあり、切っ先が欠損しているので本来は更に長かった。中尊寺の大長寿院に伝来し坂上田村麻呂と戦った悪路王の佩刀と伝わっている。蕨手刀の柄にこの様な透かしがある形式が毛抜形の衛府の太刀へと進化をして行く過程と思わる。藤原秀衡の棺上刀が平造りである事から考えると、東北地方の刀剣様式もこの時代に至り変化が有ったと思われ、湾刀成立(…から日本刀と呼ぶ)の貴重な資料でご猿。
|
金錯銘直刀 |
直 刀(金錯銘直刀) 全長64.5cm 古墳〜奈良時代(7〜8世紀) 群馬県古墳出土 文化庁。
直刀の刀身を砥ぎ出した物で、丸峰で切先は片刃で切刃造りとなっている。柄に二個の目釘を有す。外装としては、?(はばき)金具と足金具を残している。銘文の痕跡が有るか文字不明。
|
毛抜形太刀 |
毛抜形太刀 長さ66.4cm(2尺2寸) 反り2.8cm 平安時代(10〜11世紀)大宰府天満宮
この毛抜形太刀は菅原道真佩用と伝えられているが、天正の戦乱で焼身となって錆びが酷く作風は不明であるが、刀身と柄が鋲止のため藤原秀郷の佩用の物より儀仗としては、時代が下るのではないかと思われるが、日本刀の成立の変遷を知る上では好資料である。
その後も源義家VS阿部貞任の「衣のタテは綻(ほころ)びにけり〜」の歌で有名な前九年の役や秀衝、源義経、亡き後の頼朝の平泉平定(1189)による、御家人への論功行賞での領地の配分。これにてこの後の800年に亘る武士(もののふ)の本願地が決る。因って東北地方には地名の他に、武田・畠山・南部・葛西・小笠原・工藤・佐々木・渡辺・桜庭・三浦・菊地・佐藤・児玉・二階堂・等の当時の源氏の有力武将の名前が多く点在している。勿論それ以前に覇を唱えた阿倍さんも、阿部・安部・安倍と表記を変えながら連綿と続いて居られる。そして今回、その様な旧家の奥の奥の奥から先祖伝来の800年を経た文物が目の前に現われ、ドヒャーと言う事になる。
|
太刀 銘 「雲 生」 |
名物・南部雲生 太刀 銘「 雲(うん) 生(じょう)」 刃長 75.2cm(二尺四寸八分二厘)重要文化財。
雲生は備前鵜飼(うかい)派の刀工。備前と備中との国境にある剣嶽の生れ。弟が雲次、雲重は子。作柄は備前と青江に似る。後醍醐帝の太刀を打ち命名されるとの伝承だが、時代が合わず。豊臣秀吉より、奥州盛岡城主・南部家が拝領、以後同家に伝来す。雲生の生在銘は珍しい。
|
太 刀 銘・月山作 |
太 刀 銘・月山作 刃長 77.3cm(2尺5寸5分) 南北朝〜室町前期 山形・本間美術館。
月山鍛冶は陸奥と出羽の説があるが、名前から出羽月山にちなみ、山伏鍛冶との見方が強い。平安時代の鬼王丸という鍛冶を租とする説がある。作風は綾杉肌という独特な鍛を特色とする。刃文は匂口の沈んだ直刃で互の目が交じる。これは月山の典型的な作品なり。
本来この様な日本の文化遺産と云える様なお宝は国や県や地方の博物館や美術館なりがゼニを出し買い取って展示すべきで有るが、バブルが弾けた途端にどちら様も緊縮財政でゲルピンとなり目を回しており、現在はとても収蔵品を増やすどころではございません。
そこで、まだ懐に余裕のある有徳の方は今がコレクションを増す絶好のチャンスであり、これから始められる初心者の方も、多くの名品に接する事が出来る絶好の機会であります。こういう時に、物を見る目(鑑賞目)を養えれば、必ずや将来の役に立つこと請合いでご猿。
但し、現在は半値8掛け2割引きの物も確かにありますが、この様な物には絶対に手を出してはいけません。世の中には「骨董が大好きだ、趣味だ!」と云われる方がゴマンと居られますが、ナンデもカンデも手当たり次第に集めて、部屋中をゴミだらけにして悦に入っている方が居られますが、これは単なるクズ拾いで、ジャンルの違う趣味であります。
よく「何でも鑑定団」で島田紳助に大笑いされてオトされるのがこのタイプなのですが、鑑定団は本来は教養番組なのですが、現在は完全にバラエティ番組になっていますので、価格は限り無く0に近い方が一般受けをしますし、視聴者の多くも何千万・何億の期待は致していない筈でして、風の噂では税務署が毎回必ずチェックをしているとの事ですので、豚(トン)でもない高額の価格が出ると売却や相続でトラブルが発生すると云う事にもなります。
その点、刀剣は昔からの伝来やランク付けはキチンとしており、いい加減な格付けにはなってはおりません。その時代の好みによりスタイルや人気の刀工はかなり変化して来ておりますが、現在は不思議な事に昨日打ち卸した様な、現代刀が人気を呼んでおります。理由としては (1)価格の安さ、(2)姿の良さ、(3)踏鞴(たたら)による和鋼での本造り、(4)居合いの人気、これ等の事が大きな要素だと思いますが、外国に於ける日本独自の美術品に対する評価は、ヨーロッパのオークションに於いて、非常に高まって来ており、日本より確実に高値です。それと日本では立ち遅れている、金工による小道具は小品でも素晴らしい高値が付きます。元々、刀装具には非常に凝った物が多いのですが、手先の器用な日本人は金工に於いても世界でもトップクラスの技術を有しておりまして、現在でも刀剣と同じく一門一派が切磋琢磨して腕を磨いて来ており、当然、金工にも刀剣と同じく長い伝統が御座いますので、これは、其のうち行を改めてご説明を申しあげます。
|
葵据文赤銅魚子地の鐔・小柄・笄
(徳川家康の愛刀一文字助真の拵え付き。国宝。東京国立博物館蔵) |
|