東京木材問屋協同組合


文苑 随想


日本の文化 「日本刀」…Japanese Sword…

「♪一家に一本 日本刀 スカッーと爽やか日本刀♪」

其の95 (フィナーレ)

愛三木材(株)・名 倉 敬 世

 今年も何とかフィナーレとなり申した。一時は地震・雷・火事・原発と続き天下騒乱の兆しかいな?、とかなり騒然となって先行きが心配されましたが、この所は余震と人災を残し大鯰の方は他国に移動した様で小康状態となりましたが、しかし格言に曰く「天災は忘れた頃にやって来る」とも申しますので、夢〃油断は召されませんようにお願い申し上げます。
 其れに致しても、我国は神代の昔から天変地異には特別に恵まれていた様で、有史以来この方歴史を紐解くと天皇が改元する一番の理由は「ナマズが動いた」「雷神が怒った」がトップで、次が天皇の崩御と気紛れ、戦乱・飢饉・流行病となっており、慶事での改元は誠に少なく天平の朱鳥・大宝・慶雲・和銅・養老の時代だけの様でごわす。

 

 ところで、材木屋にも年に一度の「木と暮しのふれ合い展」が木場公園で開催される様に、刀剣の世界でも上図の如く「大刀剣市」と言う一大イベントが有り、北海道から九州迄のオール・ジャパンで75社程の刀屋がサンケイ新聞の後援で、芝の「東京・美術倶楽部」を
貸し切り、毎年「芸術の秋」ダンベェと云う事で10月の末に展示即売会を開いております。今年は10月の28・29・30日の3日間でしたが、連日飽もせず数千人の素人・玄人・と共に俺は目利だーと云う方が集って喧々諤々の大盛況でした。
 展示品は刀剣の他、鍔・縁・縁頭・目貫・小柄・笄・等の刀装具や鎧関係の大鎧・胴丸・
籠手・鉢金・面貌・陣羽織・軍配・印籠・旗指物・弓・槍・鐙・鞍・馬上筒(ピストル)・火縄銃。これ等が整然&雑然と並べてあり、売手よりお客の方が詳しい人が多いのには驚きました。
 この原因には一理あり、以前は刀の収集がメインであった人が今は財布が逆転して倅に主導権が倅に移ると高額な物には手が出せなくなり、それでも好きな道は止められずに、
比較的安目の刀装具にターゲットが移ると言うケースが増えて来ており、元々が本格的に刀から勉強されてますので、小道具も自然に熟知される事になり、そちらの知識も豊富で知らぬは恥だけのタイプの人が多いのですが、話をすると大変に博学で森羅万象に通じ、
下手な落語家よりも数段面白く勉強にもなります。

◎刀銘 住東叡山忍岡辺長曽祢虎入道 寛文拾一年二月吉祥日
 

 「住東叡山忍岡辺長曽祢虎入道」。この刀は小沸の厚く着いた互の目に良く足の入った数珠刃の作風を示し同工中の白眉である。この時代の江戸の鍛冶の多くが数珠刃の作風
となるが、地刃の冴やスッキリした姿は誰もが虎徹には及ばないところでご猿。

 大刀剣市には重要文化財(国宝も重文の認定)の展示をする「重文室」が設けられますが、今年も大河ドラマに肖り「江とその時代に生きた名工達」という事で重要文化財の信濃守
国広や上図の長曽根虎徹の刀や小野(野田)繁慶の短刀が展示され、関心を集めておりました。又、「現代刀匠による銘切りの実演」と「我家のお宝鑑定」も無料で行い大変に盛況でした。
 これは持主が売却希望ならば協会で買上げて、後に会員間でオークションに掛けています。
 出店が75店にもなりますと、名品・迷品・珍品・下手物、のオンパレードで見飽きません。伝家の宝刀から出来たばかりの迷刀迄(登録書は付いています)、選り取り見取りでご猿。

 

太刀 銘 豊後国 行平 作 刃長二尺五寸(81.0cm)反り七分六厘(2.8cm) 特別重要刀剣。
 鎬造り 庵棟 小峰となり腰反り高く踏張りがつく。板目肌 地沸細かに付き、地景入る。
 刃文 直刃にて湾こころに小乱、小丁子混じり小足が入る。匂口は潤み心に小沸が付いて下半に湯走りが掛かり、僅かに砂流し、金筋入り、はばき元に焼き落としがある。

 豊後行平は後鳥羽上皇の4月の御番鍛冶であり、平安末期から鎌倉初期に活躍した刀工で、列位は極めて高く武家や公家を問わず宝刀として扱われており、皇室にも東宮(皇太子)の佩刀として行平の小太刀が伝来しているほどである。
 代表作としては、細川幽斎が古今伝授の礼に烏丸光広に贈った国宝の太刀や高松宮家に伝わる、名物・地蔵行平などが上げられるが、この太刀も前述の国宝の太刀と同じく細川家伝来である。国指定の行平の太刀は国宝1・重文7・重美5の13振り、他に特重が5振ある。
 尚、この太刀は売品ですがプライスが?なので、ご希望なら銀座の泰文堂(3563-2551)にお問い合わせ下さい。〜イマハ、ビジュツカンやハクブッカンがゲルピンですのでコノヨウナ名品はオカイドクです〜

 処で、名品が有れば珍品も有りまして、マボロシの鍛冶平の短刀が立派な拵え付きで、
猿る店で売りに出ていたのには驚きました。この通称が「鍛冶平」と云う刀鍛冶の本姓は
「細田平次郎藤原直光」と申し、幕末の新〃刀期に活躍した荘司次郎太郎直勝の門人ですが、この世界では偽作者としてチョー有名人であります。本来、その腕はかなり良い刀工です。
 鍛冶平が後世に知られたのは、自分の作刀は全て偽銘まで記録して置いた、という誠にユニークな点で、美濃陶工で人間国宝になった加藤唐九郎の先輩と云うところであります。動機としても似たところが有り、精魂を傾けて造った刀を当時の一流と言われた鑑定家にコテンパンに貶されたので、それに憤慨して数々の名工の銘を入れて世に出したところ、
誰も気づかず、前に貶した鑑定家までがその直光の偽銘の刀を褒める始末でござった。
 時代は戦も無い平和な江戸中末期の頃、刀の需要はサッパリで刀工も上がったりの状態、
背に腹は替えられず刀屋が注文を取り鍛冶平が作刀というタッグマッチでグルになって、古名刀から新〃刀まで引受けて造った。本人と刀屋はしこたま儲り、世間もこんな名刀が安く買えてビックリの三方得と云うトライアングルを構築し落語にも無い、結構毛だらけ猫灰だらけの世界を造りました。その代り多少は気が引けたのか後〃の証拠の為か偽刀の押形を採り注釈まで入れて残したので、これがその後の悲喜劇の幕開けとなって現在まで混乱が続いている訳でご猿。

 次に滅多に無い、鍛冶平の若い時の自身作を載せて置きますのでじっくりご覧下さい。

 
鍛冶平こと細田平次郎直光の短刀。
押形・刃文原寸
短刀 直光造
慶応元 小春日
君万歳
(幕末−江戸)一四六年前
菖蒲造り 刃長五寸六分
(16・9cm)反りなし
元巾七分 先巾五分三厘
重ね一分八厘
 
菖蒲造りの小短刀で、中央に鎬が立ってやや鎬高く、反りはない。地鉄、小板目が無地風につみ、表はそこに柾を交えてやや肌立ち、地沸がこまかにつく。刃文、細い直刃で、表は沸深めに二重刃かかり、裏は締まって小のたれがかる。帽子、直ぐに表は先き掃きかけ、裏は丸に返って沸づく。  本作は出来はもう一つかもしれないが、数少ない直光自身銘の一振で貴重である。
 
虎徹鍛冶平偽銘押形
   

 (5)図・(6)図、共に見極めるのはかなり難しいのがお判りになりましたでしょうか?。
 鏨の入れ方の角度や方向で違い(・点)で違うとも云われる位ですので今では文字での
判定は頗る難しいと思います、ではどうするか?、は後日迄に考えて置きます。

正:(右)刀。寛文六、七年頃の銘で、堂々としている。正真銘である。
偽:(左)刀。鍛冶平偽銘で、なかなかよく銘字が切れているが、興の最後や徹の字に鏨癖が出ている。
正:(右)短刀。源清麿、正真である。
偽:(左)源清麿、鍛冶平偽銘である。正真と鍛冶平偽銘の鏨癖を書き出してみた。

 それでは、(1)富士(2)鷹(3)茄子び、のよい初夢を見られます事をお祈りして失礼を致します。

訂正 通巻735(2011年11月号)の26頁9桁目の12番目。根の振仮名の「こん」は間違い。
正しくは「ね」でした。 添図参照。又「力金」はカイガネとも読みますので両方正解。


前のページに戻る

Copyright (C) Tokyo Mokuzai Tonya Kyoudou Kumiai 2011