新年、明けましてお目出度うございます。本年は多幸の年である様にお祈り申し上げます。
「獅噛(しがみ)鍔」獅子が物に噛みつこうとしている状態を図案化したものであり、獅子噛みの略。鬼面と書いて「シガミ」とも読む。兜の前立ちにも多く使われており、一種の魔除けでご猿。
この手の鍔は奈良刀の如く土産物が多い様だが、この鍔は鉄味(てつあじ)も良く左右が非対称の為に数打物では無く、真当な鍔師の手になる作品と思う。目玉と両手首と足首に色絵が見えるので真物と思われるが、裏面に奈良作との鏨が入っているのが気になるところでご猿。
さて、昨年の最終号で偽物造りの天才である、「鍛冶平」こと「細田平次郎藤原直光」に話が及びましたので本年はその続きからスタートをさせて頂きます。
昔より歌舞伎の石川五右衛門の台詞ではございませんが、「石川や浜の真砂は尽きるとも世に盗人の種は絶えまじ!」と言うが如く、世間には偽銘(ぎめい)の刀やその予備軍となる無銘刀は矢鱈(やたら)にございます。因って皆様やお知り合いの方が何時何時(いつなんどき)、刀を持たれる事に成る鴨(かも)知れませんので、その為に今回はごく初歩的なレクチュアーを申し上げて見ましょう。
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◇直 光 カジ平 〔明治/武蔵〕
新々刀 中上作
直勝門、偽作者として有名で自己の作品極めて少ない、「江戸三作」中の月山銘がカジ平である事がこの銘振りに
依って伺ふ事が出来ます。
刻銘「直光」「細田平次郎藤原直光」 |
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これが、かの有名な「鍛冶平・直光」の自身銘であります。鍛冶平は幕末の刀工である、荘司次郎太郎直勝の門で江戸の湯島天神内に居住しており、明治三十年頃までは生存して居た様ですが、正確な没年は不明であります。
刀工としてこれからと言う時に不運にも「廃刀令」(明治3年・1870丁髷(ちょんまげ)禁止は4年)が発令されて刀はまったく売れなくなるのですが、直光の性格は意志が弱く大酒飲みでした。その仲間には性質(たち)の悪い酒飲みが多く砥師の神田の研兼や本郷の紙又等の名前が聞えます。これ等と散財する飲代はどこから工面するかと云えば、全て偽銘による収入による訳です。
併し、当時は直光ばかりでは無くかなり名の知れた刀工でも偽物作りをやっていますが、その中でも直光の技がずば抜けて高かったので、鍛冶屋の平次郎の名前が残ったのでご猿。又、「鍛冶平」の奇異な所は自作の偽物の多くを押形に採って後世に残していた事でしょう。その為に当時の多くの識者は明盲目(あきめくら)だったと云う事が判ったのは大いなる収穫でござった。
この当時どの様な刀工の偽物が多いかと申しますと、手許に多少の資料が有りますので、それらを覗いて申し上げて見ましょう。これらは出版社のアンケートの抽出によります。
(1)虎徹・65 新刀の中では抜群に人気が有り偽物も多く鍛冶平の作が一番多いと云われる。
(2)忠吉・62 忠吉系の後代の肥前刀の鍛肌が良く似ているので、それらが直される事が多い。
(3)助広・58 助広写しの涛乱刃は新〃刀の鍛冶が多く手掛けるので、それらから直される。
(4)左行秀・41 時代が近い為に現代刀が圧倒的に多い、人気も価格も高いがチト重すぎる。
(5)清麿・32 時代も近く相伝の鍛冶は全てが狙う、成功例は聞かぬがそれらの物に銘を切る。
(6)真改・28 真改写しは数多(あまた)ある、価格も高く需要も有るので、それらの中から選ばれる。
(7)水心子正秀・21 弟子も多く各流派に跨るので、その中から適当な物を選び銘が切られる。
(8)祐定・19 新刀期の祐定を直すのが一番多いと云われて居るが、地鉄が中々難しいと思う。
(9)国広・17 新古境のあらゆる刀に可能性がある。其れなりの物は判別が難しいと思われる。
(10)兼元・11 関物の大将であり、類似品は山程ござる。之定(のさだ)も同様だが少し少ないかと思う。
(11)直胤・10 時代が若いので幕末から現代までの物で意識して作った物が多い、花押(かおう)に注意。
以上は『日本刀の真贋』(光芸出版編集部)よりの孫引きで、少生が多少加筆したものでご猿。
正真の清麿銘 |
偽銘 |
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偽 |
正 |
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短刀。嘉永三年二月日、源清麿は(右)の押形を手本にして作った偽銘である。
目釘穴の位置に三の字をかけた所まで真似ている。現代偽銘。 |
短刀。寛永三年二月日 源清麿は正真である。 |
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これらは当然の事ながら人気(=価格)が高いポピュラーな刀工ばかりと云う事になります。古刀もありますが、時代と地鉄(じがね)が違うので余り多くは無く、継(つ)ぎ中心が多いのが特徴です。たまに売掛金の代わりに「迷刀を持って来たから見ておくれ!」と言う依頼を受けますが、生姜(しょうが)が無いからプロではないからロハで結構と言って見る事が有りますが、今まで一本も本物の名刀にお目に掛かった事が有りません。名刀でも迷の字の付く方ばかりであります。どうも、刀は「虎徹」と言う風潮が蔓延しすぎてコテツばかり三本も続けて見せられた事がありますが、大体が白鞘を払っただけで、◎か×か大体判る気がします。現品を見ないでいくら何でもソレは無いダロウと思われるでしょうが、それが意外にあるんですネ。特に「虎徹」の時は、それだけ偽物が多いという証拠でもありますが、それとお宅にお邪魔して玄関から部屋に入ると、矢鱈に焼物や書画骨董の類が多く乱雑なお宅も×です。この様な光景はTVの「何でも鑑定団」でよく見ますが、小生も遥か以前に番組に出た事がありましたので、大体の見当は付きますが、あの番組自体は元来がバラエティですので上げたり下げたりして、笑いが取れればそれで良いのでしょうが、刀剣の真贋はチト違い長年お持ちの物が大半ですのでハテナと思っても中々ハッキリ駄目!と云う訳にもいかず、「イイ物ですからお大事に…」と言う事になり、後でハッキリ言った方が良かったかなと、悩むことになる訳です。新刀(慶長1600年以降)には無銘物は無いのがセオリーなのですが、現実にはこの手の物がかなりあります、これらのトレサビリティー(原産地証明)不明の物が第二の鍛冶平を生む素地に為っているのは間違い無いと思います。因って無銘刀に十分ご注意を願います。鍛冶平は金象嵌銘も達者でござった。若林東水が寛政の頃に刊行した『新刀問答』の中に「当時、虎徹の作は殊のほか賞玩す、価貴きが故に偽物多し、商家で扱う物は大体偽物也」とあり、若林東水は『地鉄万能』論者で『押形無用』論者であった。
前頁に現在では「虎徹」とベストテンの1位〜2位を争う人気の「源清麿」の弘化年期と嘉永年期の正真銘と鍛冶平の偽銘を並べておきます。この銘では泣かされた天狗も多いと思いますが、宜(むべ)なる哉の思いでご猿。
余談ですが戦後の刀剣界に於いての本間薫山佐藤寒山先生は別格官幣社でありまして、その業績は赫々たる物が御座います。特に日本全国を廻わられました、寒山先生は酒豪で有りまして酒席での鞘書きや襖への墨書の落書は仰山ございます。その為に後日これが問題になる時が希にはありましたが、この場合は「粗見を致しました」で一件落着ですが、この粗見の落書はその後も長く残りますので、粗見物を掴んだ方は悲劇のババ抜きとなります。
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本間、佐藤両氏の極めのある重刀の正真物 |
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